こちらのブログ。
いろいろとどこかに行ったりはしていたのですが、
言葉に残す行為にどこかしんどさを感じてしまったり、
自分の未熟な言葉で事象を残す事で逆にその事象が薄まるというか、
そういう気分になっていました。
気が向いたらまた残すようになると思います。
2012年は色々あったような無かったような、
いかんせん忘れっぽいので何をしたのかよく覚えていないのですが、
日々ミクロの風景を凝視しておりました。
色々なミクロの風景が積み重なって、
たくさんのパターンを見続ける事により、
人間の奥深さや浅はかさがわかってきたような気もします。
そのことで、自分の精神も鍛えられてきたのか、
昔ほどの急上昇急降下を繰り返す事はなくなってきました。
もっと大きくて力強くて確かな存在へと変貌すべく、
修行の日々だったのかもしれないと思ったりもします。
どれもこれも、ただの「思い込み」だったり、
いつの間にかどっぷりと吸収していた、
世の中の当たり前や価値観に振り回されていただけで、
ただそれだけのことで、
こんなにも人間は苦しまなくてはならないのかと思うと、
悲しいですが、それは自分の理解力の至らなさや、頑さが原因で、
わかる人は最初からわかるし、
きちんと理解することなのだと思います。
赤ちゃんの頃はきっと何もかも理解していたのだと思います。
母と私と私の想像力の関係の中で全ては完結していたのです。
でも成長して、学校に行って、たくさんの雑多な情報を吸収して、
人間はボロ雑巾みたいに、この世のどうでもいいことを吸ってしまうのです。
この世の姿そのままに、人間の心も俗物まみれになる。
でも、どこかで「そうじゃない」となる瞬間がきて、
それが鬱病になってみたり、旅に出たり、本に埋没したり、
となるのかもしれません。
その暗闇の中で見つける光がその人にとっての本当で、
それはもう本当に孤独な作業なのですが、
その作業をしなくては次には行けないのです。
人には通らなくてはいけない道というのがあり、
その道を通らなくては見えない世界があり、
人間はただその世界をみるために生きているのだと思ったりもするのです。
と、なんだかこのブログとは違うテンションになってしまいましたが、
こういうテンションも自分の一部分という事で、
受け入れていくしかありません。
人はそれぞれに決められた仕組みの中を泳ぎ続けるしかなく、
我々はどこかに向い、誰かと出会い、また別れるのです。
というわけで、これからも無意識の海を泳ぎ続けて、
そのままをぶつぶつつぶやいていけたらなー、
と思っております。
あけおめ&ことよろ。