2012年5月9日水曜日

ゆきたん




家庭の事情で猫を手放す事になりました。
新しい飼い主さんも運良くすぐに見つかり、
これもひとつの縁と流れなのだと決心して、
さっそく昨日新しいお家に連れて行きました。
ゲージから新しいお家に連れてこられたゆきたんはビクビクして、
姿勢を低くして、体を硬直させ、暗くて狭い所に隠れていました。
私はそのままバイトに行って、家に帰って、21時ぐらいに連絡が入り、
「うんちとおしっこを床にしてしまって、体や床を拭こうにも、
フーフー怒って触らせてくれない。」
とのことでした。
急いでゆきたんの新しいお家に向って、
ゆきたんに会いにいった所、お尻も脚もうんちとおしっこで、
ベトベトになっていました。
でも私が行くと全然怒らなくて、簡単に抱く事が出来て、
ゴロゴロと喉を鳴らしていました。
表情も全く違うと言っていました。
本当に可哀想なことをしたんだなと、その時、痛感したのでした。

ゆきたんは私といるとリラックスするし、
私もゆきたんといるとリラックスする、
そういう関係でした。
もう10歳は生きているし、最後まで面倒を見ると覚悟をしていたのに、
どうしても面倒を見ることが出来なくなり、悔しくて仕方がないのです。
なによりも、家の中で飼い始めたこの一年間、寝起きを共にして、
夜は毎日一緒に過ごしていて、本当にたくさんのことを得たのです。
猫は私にとって心の安定剤だし、つっかえ棒のようなものでした。
デコボコした不安定な心の隙間を埋めるように、
そっ、とそこに猫はいつもいたし、
トゲトゲした気持ちもマイルドにする作用がありました。
猫と離れ離れになって私も猫と同じぐらい不安です。
これから私の心は猫がいなくても安定して暮らしていけるのか、
猫と暮らす前のように、どこか思い詰めて、
自分で自分を苦しめてしまうのではないかと、
思ったりするのです。
色々な事をどうでもよく思わせてくれる猫は、
平和で暖かな暮らしには必要不可欠だとさえ思います。

ゆきたんは新しいお家に慣れるようにがんばっているので、
私もゆきたんがいない生活に少しずつ慣れなくてはいけません。
死んでしまったわけではないし、
しょっちゅう会いに行くこともできるので、
早く新しいリズムを取り戻して、
新しい生活に馴染まなければと思います。

私以上に猫に依存して暮らす人たちは多いです。
特に女の人。
猫は本当に見事に心の隙間を埋めるのです。
あの効果は絶大なもので、きっと亡くしてしまったときの、
悲しみは想像以上のものだと思います。
家族や友人を亡くすのとはまた別の類いのものです。

次はいつ猫と暮らせるようになるかは解りませんが、
きっといつかまた猫と暮らすでしょう。
その時まで我慢して、何か別のもに愛情を注いで生きていくのでしょう。
女の人は何かを愛さずにはいられない、
きっとそういう性質があるのです。

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