言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか
あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ
あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう
あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる
園子温監督の「恋の罪」に出て来る詩です。
田村隆一さんの「帰途」という詩。
言葉の力に圧倒されます。
言葉が産まれる前の世界について、
言葉が産まれる前の世界について、
想像してしまいます。
動物に近い何か。
太陽や空や土や草や木は、
もっと何かを訴えていたのではないかと思うのです。
言葉を覚えてしまったから、
言葉ありきで世界を捉えてしまうけれど、
今、言葉がやるべきことは、
言葉が産まれる前の世界と繋げることだったりするのかもしれません。
矛盾しているけれど、
言葉を越えた言葉を、
私たちは今獲得しなくてはいけないのではないかと、
思うのです。
「賢治と啄木」という本を読みました。
岩手県出身のふたりを比較している本です。
どちらも天才に違いないのだろうけれど、
二人の東京と故郷への思いや、揺れ方など、
とても共感しました。
東京は故郷ありきの東京なのだと、改めて思いました。
そして、もはや故郷を無くした東京の人が、
自然の中に見出すのではなくて、
魂の奥の奥の方をどんどん突き詰めていくのが、
自然の中に見出すのではなくて、
魂の奥の奥の方をどんどん突き詰めていくのが、
今の東京の人たちなのではないかと思います。
自然ではなく、魂の深いところに、
向っているような気がします。
そういったものに対して研ぎ澄ませている人たちが、
今の東京の主流を創っているのではないかと、
ふと思いました。
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