おとつい細野さんをNHKで観て、昨日はユーストリームで観る。
NHKで改めて細野さんの生き様を観て、その突っ走りぶりには感動した。
やっぱりいつも新しいものが好きなんだなぁ、ていうのも伝わってきた。
それか極端に古いもの。
あと原田知世とコシミハルの髪型の被り具合に注目していた。
流行ってるんかな。
salyuもあんな感じだしな。
ちなみに私もああいうのしてた。
なんとなく今はアンビエント音楽の気分だ。
細野さんの「omni Sight Seeing」を引っ張りだして聴いている。
明日友人に貸す予定。
最近ブログの更新が(私のわりに)滞っているのは、
パソコンをしていると猫がキーボードの上に乗り邪魔をするという、
嫌がらせにあっているからだ。
猫が熟睡している間に、こそこそと書き上げなくてはならない。
パソコンに向うにはタイミングが必要になってきた。
ブログを書くのに猫の様子をうかがわなくてはいけないとは、
まるで悪い男に引っ掛かったみたいだと思った。
やれやれ。(←ハルキ風味)
2011年5月31日火曜日
2011年5月26日木曜日
シェルター
なぜか上半身をティッシュの箱に委ねる猫。
「グーグーだって猫である」のグーグーが亡くなっていたことが判明。
しかもなぜかスヌーザー編集長の田中宗一郎さんのつぶやきで。
今の時代どこからどう情報が入ってくるかわからない。
近頃やっと大島弓子さんの漫画を集めるようになった。
だいぶ昔から大島弓子さんのことは知っていたけど、
今みたいな心境になってやっと大島さんの世界観を欲するようになった、
というかんじ。
今のときの為に読むことを留まっていたみたいだ。
作品や人と出会うタイミングは、こちら側の心の模様による。
そういう風に人生はできている。
というわけでここのところ古本屋さんに行って、
大島弓子さんのほかに、おーなり由子さんや、
「みかん絵日記」の我孫子三和さんの漫画を買い漁っている。
甘ったるいぐらいに優しくて、昔から知っている世界。
懐かしくて、暖かい、あの世界。
誰からも、何者からも毒されていない、密閉された世界。
世の中の色々に追い込まれるようにして、
私は今あの世界に逃げ込んでいる。
私にとっての精神的なシェルターだったのだ。
もうしばらく、内省的な世界に引きこもる。
もしかしたら永遠にその世界に住むかもしれない。
でも残念なことに、時期が来たら自然と出て行くんだろう。
2011年5月25日水曜日
種と苗と
朝顔をプランターに植えた。
ひとつのプランターには苗から、
もうひとつのプランターには種から育ててみようと思っている。
まだ種が余っているので、
もっと撒いて育ててみるつもりだ。
ぐんぐん育つといいなぁ。
母親が「すっぱいものが食べたい」と言うので、
ピクルスを作ろうとおもう。
きゅうり、にんじん、だいこん、カリフラワー、パプリカ、などで。
近頃、カレーうどん→伊勢うどん→味噌焼きうどん、
とうどんをよく食べている。
讃岐うどんのように太くてコシのないうどんは、
やはりやさしい。
けど、讃岐うどんのようなコシのあるうどんもたまには食べたい。
今日も世界は平和だ。
色々な問題はあるが、ひとまず平和だ。
極小の世界で、ささやかな幸福の中で、
これからもぬくぬくと生きたい。
ひとつのプランターには苗から、
もうひとつのプランターには種から育ててみようと思っている。
まだ種が余っているので、
もっと撒いて育ててみるつもりだ。
ぐんぐん育つといいなぁ。
母親が「すっぱいものが食べたい」と言うので、
ピクルスを作ろうとおもう。
きゅうり、にんじん、だいこん、カリフラワー、パプリカ、などで。
近頃、カレーうどん→伊勢うどん→味噌焼きうどん、
とうどんをよく食べている。
讃岐うどんのように太くてコシのないうどんは、
やはりやさしい。
けど、讃岐うどんのようなコシのあるうどんもたまには食べたい。
今日も世界は平和だ。
色々な問題はあるが、ひとまず平和だ。
極小の世界で、ささやかな幸福の中で、
これからもぬくぬくと生きたい。
2011年5月22日日曜日
グリーンカーテン
節電に一役買おうというわけじゃないけど、
今年の夏は朝顔で緑のカーテンを作ろうかと目論んでいる。
小学生ぶりに朝顔とむきあってみようかと。
グリーンカーテンだけじゃなくて、
畑しようかと思ったり、思わなかったり。(どっち?)
高木美保や、杉田かおるのように、
年増の独身女性の心の最後の拠り所が畑だと思うんだけど、
もはや28歳にしてそんな心境になってしまったのかどうかはさておき、
畑いいなーと思っている。
いまのところ。
ブログを2個持つことにした。
以前利用していたはてなダイアリーを復活させて、
そちらに重めものことを書いて、
こっちには軽めのことを書いていこうかと。
http://d.hatena.ne.jp/krtec1129/
(ブログの右側にリンク貼ってあります。MONOlogueってやつ。)
うまくいくかどうかはわからない。
とりあえずやってみる。
見切り発進もいいところ。
自分が軽い人間なのか、重い人間なのか、と言ったら、
どちらも面も大いにある部分なので、
気分によって書く場所を変えてみたら、
また違ったものがみえてくるんではないかと思い。
こっちには主に、音楽のこととか、身の回りの軽いこととか、
そんなことを書いて行こうと思う。
書いてる途中で軽い→重いに移行する可能性は十分にあるんだけど。
今年の夏は朝顔で緑のカーテンを作ろうかと目論んでいる。
小学生ぶりに朝顔とむきあってみようかと。
グリーンカーテンだけじゃなくて、
畑しようかと思ったり、思わなかったり。(どっち?)
高木美保や、杉田かおるのように、
年増の独身女性の心の最後の拠り所が畑だと思うんだけど、
もはや28歳にしてそんな心境になってしまったのかどうかはさておき、
畑いいなーと思っている。
いまのところ。
ブログを2個持つことにした。
以前利用していたはてなダイアリーを復活させて、
そちらに重めものことを書いて、
こっちには軽めのことを書いていこうかと。
http://d.hatena.ne.jp/krtec1129/
(ブログの右側にリンク貼ってあります。MONOlogueってやつ。)
うまくいくかどうかはわからない。
とりあえずやってみる。
見切り発進もいいところ。
自分が軽い人間なのか、重い人間なのか、と言ったら、
どちらも面も大いにある部分なので、
気分によって書く場所を変えてみたら、
また違ったものがみえてくるんではないかと思い。
こっちには主に、音楽のこととか、身の回りの軽いこととか、
そんなことを書いて行こうと思う。
書いてる途中で軽い→重いに移行する可能性は十分にあるんだけど。
2011年5月21日土曜日
まさかの沖縄化
昨日いつもお父さんの職場に行く途中の海が沖縄のようにきれいな海だった。
車から眺める光景に胸がざわざわして、
思わず車を海岸の方に走らせていた。
砂浜に着くと私ひとりで、少しの間ぼんやりと眺めていた。
久高島の砂浜を思い出して、
いつの時代も波打ち際が持つ浄化効果は変わらないんだろうと思った。
生きていることのシンプルさを考える。
2011年5月19日木曜日
ビョークっぽい人々
タイコクラブにマイア・ヒラサワという人が出演するのだけど、
youtubeでチェックしてみたところ、なかなかよい。
コメント欄にビョークっぽいと言われまくっていて、
まぁ、確かに似てるけどビョークにはないポップさがあるかんじ。
ビョークに似てると言えば、
レジーナ・スペクターも似てると思うんだけど、
レジーナ・スペクターよりも似てるな、確かに。
でも本家の迫力というか、観たり聴いたりしてて、
同じ人間として動物的な根源を揺さぶられるのは、
ビョークにしかない。
なんかこう、ぞっとする。
かなり安定的にぞっとする。
このビョークの存在感はやっぱり半端ない。
ビョーク
マイア・ヒラサワ
レジーナ・スペクター
いじめは本能
「グーグーだって猫である」の中で、
拾った病気の子猫を、もともと飼っている猫達に対面させるときに、
「動物には弱いものをいじめる本能がある」
と作者である大島さんが気にかけるシーンがるのだけど、
なるほど、いじめは動物の本能なのだな、と思った。
学校の中でいじめられるというのは、
集団の中で「劣っている」と判断されるとそうなる。
人は劣っていると感じるものを排除したいのだ。
ナチスドイツもそうだ。
ユダヤ人を排除して理想の世界を創りあげようとした。
そういうことは実は個人個人が、
普段何気なくやっていることだと思う。
優劣の判断基準は人それぞれだけど、
「劣っている」ものにはなるべく接したくないと感じるものだ。
集団から排斥したり、見ないようにする。
それは生き物の本能だ。
どこかに属する為には資格が居る。
誰かと友達になるにも、その誰かに認められなくてはいけない。
人はいつだって誰かに判断されているし、判断している。
切ったり、受け入れたりして、
自分を知るし、他者を知る。
残酷だけどそれがこの世界の仕組み。
一体なんのため?
「ほんとうの愛をみつけるため」
だといいけど。
拾った病気の子猫を、もともと飼っている猫達に対面させるときに、
「動物には弱いものをいじめる本能がある」
と作者である大島さんが気にかけるシーンがるのだけど、
なるほど、いじめは動物の本能なのだな、と思った。
学校の中でいじめられるというのは、
集団の中で「劣っている」と判断されるとそうなる。
人は劣っていると感じるものを排除したいのだ。
ナチスドイツもそうだ。
ユダヤ人を排除して理想の世界を創りあげようとした。
そういうことは実は個人個人が、
普段何気なくやっていることだと思う。
優劣の判断基準は人それぞれだけど、
「劣っている」ものにはなるべく接したくないと感じるものだ。
集団から排斥したり、見ないようにする。
それは生き物の本能だ。
どこかに属する為には資格が居る。
誰かと友達になるにも、その誰かに認められなくてはいけない。
人はいつだって誰かに判断されているし、判断している。
切ったり、受け入れたりして、
自分を知るし、他者を知る。
残酷だけどそれがこの世界の仕組み。
一体なんのため?
「ほんとうの愛をみつけるため」
だといいけど。
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