「グーグーだって猫である」の中で、
拾った病気の子猫を、もともと飼っている猫達に対面させるときに、
「動物には弱いものをいじめる本能がある」
と作者である大島さんが気にかけるシーンがるのだけど、
なるほど、いじめは動物の本能なのだな、と思った。
学校の中でいじめられるというのは、
集団の中で「劣っている」と判断されるとそうなる。
人は劣っていると感じるものを排除したいのだ。
ナチスドイツもそうだ。
ユダヤ人を排除して理想の世界を創りあげようとした。
そういうことは実は個人個人が、
普段何気なくやっていることだと思う。
優劣の判断基準は人それぞれだけど、
「劣っている」ものにはなるべく接したくないと感じるものだ。
集団から排斥したり、見ないようにする。
それは生き物の本能だ。
どこかに属する為には資格が居る。
誰かと友達になるにも、その誰かに認められなくてはいけない。
人はいつだって誰かに判断されているし、判断している。
切ったり、受け入れたりして、
自分を知るし、他者を知る。
残酷だけどそれがこの世界の仕組み。
一体なんのため?
「ほんとうの愛をみつけるため」
だといいけど。
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