2011年5月7日土曜日

人生の立て直し


八丈島に行く前から様子がおかしかった家の猫が、
やっぱり様子が変、というか明らかに怪我をしていたので病院に連れていった。
膿がたまっていたので皮膚に穴をあけて取る大きな治療をしたので、
月曜日まで病院に入院することになった。
もしかしたらもう外で飼えないかもしれない。
私は今でも猫は外で飼うものだと思っている。
怪我をしようが、ノミだらけになろうが、
猫は外でのびのびと暮らすのがいい。
私は「猫かわいがり」というのが苦手だ。
べったりとした人間の欲望が丸出しで嫌だ。
猫をまるでおもちゃみたいに扱っていて嫌だ。
でも最近ではそういった愛情表現がスタンダードになっていて、
私みたいな人間は生きづらい。
猫はどこへでも自由に行けるからいいと思う。
本来動物とはそういう生き物だ。
自分の意志で自分の好きな所へ行く。
でもそうできなくしたのは人間達だ。
ペットショップに売られている犬猫をみるたびに心を痛めている自分がいる。
人間達の手によって世界がどんどんねじ曲げられていく。
欲望をかたちにするために世界はどんどん醜くなる。
そういった気付かないねじれがあちこちにあるんだと思う。
私たちは知らずにねじれていって、
そしてそのねじれが当たり前になってどんどん気持ちが悪くなる。
人間は気持ちが悪い生き物。近頃本当にそう思う。

テレビを見ていても、人間と話しをしていても、
パソコンの前で情報を得ても、まっすぐで正しいものはなにもない。
それか私がとことん間違っているのかもしれない。
間違っているのかもしれないけれど、私は「ノー」だと言う。
だったら私の「イエス」とはなんなのか。
それを見つけなくてはいけない。

人生のマンネリに陥った人間にもたれかかられることがある。
私の中に何かを見出して勝手に盛り上がる。
私が観たいのは、その人が観ているものではない。
私の世界に勝手に入り込んでくるなと思うし、邪魔しないで欲しい。
男の妄想にはうんざりだ。
既存の世界だし、なにもかも生き詰まっているし、引きずり下ろさないで欲しい。
ただ、つまらない。
私はこの世の全てから耳を塞ぎ、目を閉じる。
そうなれば世界はどこまでも自由だ。
どこまでもゆける。

自分は間違っていないし、否定しない。
そう信じる事でしか私は私の世界を守る事はできない。
それはズルくて、人として発展性のないように思えるけど、
実はその中でしか、新しい新鮮な世界は産まれないように思う。

すこーんと突き抜ける。
世界はそんな風にして産まれ変わる。どんなときも。

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