2011年5月15日日曜日
すばらしきMUDAの世界
どうしようもなく駄目のまま、
私はこのまま生きるんだろうと思う。
というのも、出来ないものは出来ない。
「これをしなさい」とか
「これをしたらいい」と言われても、
結局できない。
する必要のないことはしたくない。
今まで随分無駄な事をしてきたな、
と思っているのだけど、
きっとこれからもいくつもの無駄をするんだろう。
まず幼稚園に行ったのが無駄。
学校に行ったのも無駄。
私立の高校に行ったのも無駄。
東京の大学に行ったのも無駄。
友達に出会ったのも無駄。
たくさんの映画や本を読んだのも無駄。
音楽を聴くのも無駄。
誰かを好きになったりなられたりしたのも無駄。
結婚も無駄だし、子どもも無駄。
命が無駄。地球が無駄。
お金という概念が無駄。経済が無駄。文化が無駄。
そもそも私がこの世に産まれてきたのが一番の無駄である。
死ぬ間際には「全部無駄だったな〜」と思うことだろう。
むだむだむだむだむだむだむだむだむだむだむだむだむだむだ。
の、この世界で、
「おお」と思ったり、
「これは」と夢中になる時間のありがたさよ。
誤摩化してくれてありがとうと思う。
無駄の泥沼からはい出せる瞬間が一番の幸せである。
何もかもに「つまんね」となった時の最終的な拠り所が子供だろう。
しかし子供にはお金がかかる。
お金を稼ぐ為にはさらにたくさんの無駄をこなさなくてはいけない。
そんなエネルギーが私のどこにあるというんだ。
ない。まったくない。
働かなくては餓死をする、というどん詰まりになって初めて、
私は働くだろう。
この世に野望も目的もない。
誰かの期待に答えたいわけでもないし、
誰かを執着しているわけでもない。
執着を求められるから執着をしているフリをしているだけだ。
私がやりたいことは、
いかにこの世が無駄であるか、無駄で構成されているか、
を暴くことだ。
無駄に一喜一憂して、人が生きている。
愛もないし、慈しみもない。
美しくもないかわりに、汚くもない。
ただ私の周りにいる人たちを観察して、
彼らの観る世界を通して、人というものを調べ考える。
それも大きな無駄の中の一部分で、
無駄を必死に誤摩化そうとする作業である。
命がけで無駄と闘う。
無駄はいつも私の周りを取り囲んでいて、
吞み込もうとしている。
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