2011年10月14日金曜日
ばるぼら
最近また手塚治虫氏の文庫版が新しく出版されているようだ。
たまたま目に入って読んだことがない作品だったので、
あと、なんとなく表紙に描かれている女の人に惹かれて、
amazonでポチっと買ってみた。
それと、名前の不思議さ。
帯にはこんな風な紹介文が書いてある。
「謎に満ちた少女バルボラ、はたして彼女は悪魔か女神か!?
芸術家の栄光と苦悩をめぐる幻想譚」
出だしはこう。
「都会が何千万という人間をのみ込んで消化し、
たれ流した排泄物のような女、それがバルボラ」
表紙の女バルボラはいつもお酒をのんだくれていて、
新宿駅の構内でみすぼらしい格好でうずくまっている所を、
作家に拾われるところから話しが始まる。
しかもその作家が異常性欲者という謎の欠陥を持った人で、
マネキンやら犬やらを人間と間違えて好きになってしまう。
その危機的状況を救うのがバルボラなのだけど、
とにかくバルボラはミューズなのだ。
あらゆる芸術家の前にあらわれて、ツキと幸運をもたらす。
ミューズに飽きられ、捨てられた芸術家は落ちぶれる。
時には気に入らない男を藁人形で呪いをかけて、
殺してしまうほどだ。
そんなミューズ・バルボラの魅力にどんどん取り憑かれていった男が、
精神的に異常をきたしておかしくなってしまう、
という話し。
色々と思う事があるいい漫画だったのだけど、
その中でも印象に残ったところをあげるとすると、
芸術家が政治に傾倒する場面が何度か登場する。
ミューズはそれを止めようとするし、
政治に傾倒した芸術家はろくなことがない、
という一貫したスタイルで書かれている。
手塚治虫氏の漫画はどれも政治の書き方がうまい。
汚さや黒さなど政治の本質を的確に捉えている。
バルボラは「魔女」なのである。
「魔女」はその場に応じて自らの性質を変幻自在に変えて、
常に物事の本質を捉えていて、ずぼらで、怠慢、かつ自由なのだ。
何ものにも束縛されていない。
普段はみすぼらしい姿でカモフラージュをするが、
時々ものすごくいい女である。
「魔女」についてこれからも研究していきたい。
読み終わって、ふと山岸凉子氏を思い出した。
私の敬愛する漫画家なのだけど、
たしか手塚治虫氏の息子と結婚している。
「あーなるほど、そりゃ結婚するわ」
と、物事の道理を知った。
世の中結婚すべき人と結婚するし、
そういう結婚は解りやすくておもしろい。
あと、オノ・ヨーコ氏も最強の魔女だなぁ、とおもった。
確かに女は愛してくれる男がいて、より輝けるものなのだろう。
この世の秘密を知っている女というか。
あ、追記。
男がいろんな女に手を出すということは、
それだけ、色んな女から恨まれたり、呪われたりするということで、
結局いい事は起きないんだろうな、と思った。
特に魅力的な女の人ほど、魔力が強いということだから、
ひとたび怒ったり、恨まれたりしたら、
ほんとうにろくな事が起きないと思う。
魅力的な女の人に近づく場合、その辺、覚悟した方がいい。
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