2011年7月26日火曜日

メトロポリス


DE DE MOUSEのMVに影響を受けて、
久しぶりに「メトロポリス」を観ました。

大学生の頃、一度観たことがあるのですが、
ラストに号泣してしまい、ものすごく印象に残っていて、
久しぶりに観たらやっぱり泣きました。

原作が手塚治虫で、脚本が大友克洋という、
日本アニメ映画史に残るべき作品なのですが、
国内での評価がとても低い。
確かにストーリー展開が薄っぺらくて雑な感じではあるけど、
映像は緻密で非常に美しいし、
なによりティマがめちゃくちゃかわいい。
そして見終わった後に「ずーん」と心に残るものがある。
崩壊する場面も、レイ・チャールズの
「I CAN'T STOP LOVING YOU」という曲が思い切って使われていて、
それによって崩壊の悲壮感が緩和されているし、
よりぐっと伝わってくるものもあるし、
歌詞もけんいちの心情にぴったりなのだ。
音楽が映像とちぐはぐと言われているけど、
私はあえてあの場面に軽快なジャズが流れているからこそ、
少し救われた気持ちになるのだと思う。

やっぱティマがかわいいというのが大きいな。

昨日のハリーポッターでもそうだけど私は子どもに非常に弱い。
どうもピュアな生き物に反応してしまうらしい。
ティマはピュア度ベスト1位。
人間じゃなくてロボットというのがまたいいのだ。

2011年7月25日月曜日

南無阿弥陀仏



ASA-CHANGがいよいよいわき市で活動を始めた模様です。
詳細は上のリンクからみることができます。

いわき市の郷土芸能「じゃんがら念仏踊り」を練習中ということだけど、
ものすごくASA-CHANGらしいというか、
ASA-CHANGにしかできないというか、
至極真っ当で何ものにも代え難い、そういう表現だと思った。

ASA-CHANG&巡礼からタブラボンゴナイトに至るまで、
ASA-CHANGの思想というか祈りのようなものは一貫してそこにあり、
時々、私たち日本人はそれらを享受すべきアンテナを持っていなくては
いけないのではないかとさえ思う。

多種多様な理不尽なことが蔓延しているこの世の中で、
理不尽さに襲われた人間にとって、陽気で能天気な音楽は全くの無意味だ。
陽気で能天気な音楽は生きている健康的な人間の為にある。
言ってしまえば、どん底にいる人や死んでもうこの世に居ない人は
完全に無視されている。無かったことになっている。
音楽はそういった狭さであり冷たさがある。
しかし、ASA-CHANGはそういった音楽の狭さに風穴を作るみたいにして、
音楽活動を行っている希有な人物なのだ。

それは、軽くて、明るくて、前向きで、上昇志向を好む病気にかかっている、
多くの現代の日本人にとって受け入れ難い世界である。
しかし、もうそんなことを言ってる場合ではないどん詰まりのところに、
差し掛かっているのであって、
とにかく、多くの人間が希望に群がることにより、
絶望を量産しばら撒いていることは間違いないのであり、
あえて、絶望に飛び込んでそこから見える景色を発表する人間がいないと、
この世界は終わる。
いづれ終わる運命にある世界なのかもしれないけれど、
それを先に延ばすことはできる。
そこに意味があるのかは解らない。
ただ、人間という生き物の粘り強さであり、執念を見ることが出来る。

そもそもなぜこの世界を延命させたいのか。
この世とはなんなのか。
人間は常に闇との攻防があり、
押したり引いたりの綱引きを永遠にしているみたいな、
そんな感覚に陥る。

死んだ人の供養とはどういうことか。
津波に呑込まれた人間の無念とはなにか。

あ、わからなくなってきた。

そう、結局、命の根本、世界の根本は謎のままである。
根本は謎なのだけど、人間が勝手に創った概念の中で、
右往左往はできる。

右往左往し、その中で「これは」と思えることを、
自分なりに掬っていくしかないのである。

2011年7月22日金曜日

魔法少女⇔DE DE MOUSE


すでにブームは去っておりますが、「魔法少女まどか☆マギカ」
数ヶ月前テレビでアニメ放映をしてた頃、
いい大人達が夢中になっていたようで、
その頃からすごく気になっていたのだけど、
いかんせん三重県ではテレビの放映も無かったし、
気になりつつも踏み込んでいませんでした。
しかし、今回とあることがきっかけで漫画を手にして読んでみたところ、
大人が夢中になるのも頷ける、ものすごく深ーい内容の作品でした。
「涼宮ハルヒの憂鬱」でもかなり衝撃を受けたのですが、
この手のヒットする漫画やアニメというのは、
やっぱりそれなりに素晴らしい作品なのだと思いました。
数ヶ月前、とあることがきっかけで精神的なダメージを受けて、
じわじわと落ち込んで、すでに治りつつはあったのですが、
まだ後遺症の中にいた私の気持ちに、
ひとつの回答を得たような気がします。
「誰も何も悪くなかったんだ」という確信。
私はやっとそれを心の底から手に入れることが出来たように思います。
「魔法少女まどか☆マギカ」のおかげで。

作品との出会いは新しい人生との出会いでもあります。
そういう深い作品に出会えたことに、深い喜びを感じて、
やっと一歩前に進めたような、そんな充実感を得ることが出来ました。
ハルヒにしろまどか☆マギカにしろ、
オリジナリティ溢れる壮大な宇宙観はほんとうに素晴らしいです。
「エヴァンゲリオン」や「時をかける少女」のニュアンスもあります。

ところでDVDがまだレンタルしてないのはなぜなのだろう。
アニメのクオリティがほんとうに素晴らしいらしいので、
レンタル開始したら是非みてみたいと思います。

で、「魔法少女まどか☆マギカ」読み返しながらネットしている時に、
ふと出会ったのがDE DE MOUSEです。
名前は知っていたのですがちゃんと聴いたことなくて、
youtubeを何気なく開いてみると、
久しぶりに、どかーん!とハートを持っていかれました。
頭の中がまどか☆マギカでいっぱいだったので、
また余計にしっくりきてしまったようです。
りんご音楽祭に出演予定らしいので、
これまたかなり楽しみになってきました。
とりあえず動画はりまくります。






DE DE MOUSE最高じゃ〜!

2011年7月15日金曜日

東進のCMがおもしろい件


「サイタマノラッパー2」を観た。
今回もすごくおもしろかった。笑えるしちゃんと泣ける。
安藤サクラが出てて「借金」とか「不渡り」という台詞を、
ラップに乗せていたのだけど、それがすごく似合っていた。
いやー、彼女はドスきいててほんとすごい。
そもそも20代後半って辺りで、もうどんぴしゃな訳ですよ。
「川の底からこんにちわ」もだけど、
世の中における映画ならではの現実感というか、そういうのが半端ないと思った。
映画の役割ってこういうことかー、と感心するような。
素晴らしいです。ほんとうに。
そして「サイタマノラッパー」を観るたびに、
スチャダラパーの偉大さを改めて再確認させられる。
ラップをあそこまでオリジナリティ溢れる世界観で、
洗練させることに成功できたのはスチャダラパーだけだろう。
いやー、ほんとすごいよ。
りんご音楽祭がますますたのしみだ。
(実は去年なにげにスチャダラパーを3回ぐらい観ている。)



続いて「サガン〜悲しみよこんにちわ〜」。
サガンの本て実はちゃんと読んだことないのだけど、
私はカポーティもしかり、昔の外国の作家の生き様が好きなのである。
しかも途中で破滅する型の作家。
今の時代そんな作家はいない。
みんなそれなりに巧く、楽しく、人生を送っている。
すでにそういうコツを掴んでいる。
作家や芸術家が薬やお酒に溺れるなんて古臭くて、ナンセンスなのである。
サガンはそういった今やナンセンスな破滅的な人生を送っている。
どこまで事実に忠実なのかは全く知らないけれど、
すごく賢くて、すごく駄目なのだ。
すごく賢い人は、すごく駄目にしか生きられないのだと思う。
人生とは不思議なものでそんな風に出来ているのだ。
サガンの人生を観ていると、西原理恵子がチラチラと頭に浮かぶ。
もちろん西原氏にはサガンほどの繊細さや、
アンニュイな部分はあまり感じられないが、
ギャンブル好きなところなど、破天荒ぶりはかなり近いのではないかと思う。
カポーティであり、サガンであり、
彼、彼女らの自在感はかなり共感する。
それゆえにあまりにも繊細な部分も。
いたずら好きの愛されるべき人たちなのだけど、
最終的に誰からも愛されることがない。
誰よりも愛を求め、そして誰よりも愛を恐れ、
愛を避けるようになるのだ。
不思議だけど、そういう風にできている。
あと、この映画はファッションも素敵なので注目です。
それから、カポーティもしかり、役者の演技が素晴らしいです。

友人が東進のCMの真似をよくしているので、
気になってなんとなく見返してみたところ、
やっぱすごくおもしろかった。
はねトビのメンバーもパロってたのね。
この人たち変だよなーどう考えても。

2011年7月14日木曜日

まどろむとある午前


怪我をしたときに病院で刈られた下半身の体毛が、
まだ生え揃わない我が家の猫ちゃん。
元気に昼寝をしています。
チョンさんが死んだことを知った日の夜から、
なぜか私の横で寝るようになりました。
「うちらもいずれ居なくなるんだしそれまで仲良くやろうぜ」
というような、そんな気持ちが聴こえてくるようです。
まぁ、とにかくかわいいです。

昨日注文していた一人用テントが届きました。
汗だくになりながら畳の上で一人で組み立ててみました。
なんとか組み立てられましたが、
この作業を強い陽射しの中でやるのかと思うと、ぞっとしました。

今なんとなく色々なことが止まっている状態。
いや、意識の底のほうでは動いているのだけど、
視覚化できないようなそんな状況。
昨日も22時過ぎにはベッドに寝っころがったし、
今日もなんとなくぼんやりと過ごしている。
空の青さに感動したり、
時々窓から吹き込んでくる風に、はっ、としたり。
瞑想し放題。

昨日の田口ランディ×飴屋治水×大友良英のイベントがどうだったかが気になる。

そういえば、こないだ朝まで友達と呑んでたときに、
ある一人の友人から「君はもったいないことをしている」と言われて、
ああ、確かに全部駄目にしているなぁ、と思ったりして、
その一方で、横に座った大卒フリーターのうだつのあがらない男子に、
すげー体触られたり、下ネタ連発されたりしていて、
確かにこの場にいることがもったいないなぁ、と思ったりしたけれど、
きっとこのセクハラ男子は日々の色々な鬱憤を、
無抵抗そうな女のような曖昧な存在に発散しているんだと思ったり、
男のそういう馬鹿馬鹿しさというか、くだらなさというか、可哀想さを思い、
男に対して激しく嫌悪しながらも、
やはり何も抵抗できずに居た自分の不甲斐なさ、
というか、奇妙な優しさと残酷さを思った。

2011年7月13日水曜日

チョンさん

7月5日、私はチョンさんに出会いました。
チョンさんは私がよく遊びに行っている雑貨屋さんに居ました。
いつも通りそのお店に行くと、
きよみちゃんのお腹でタオルに包まれて寝ていました。
それはそれは小さな子猫でした。
きよみちゃんは私にすぐに私にチョンさんを抱かせてくれました。
細くて、軽くて、私はまるで鳥みたいだと思いました。
そんな子猫でした。

7月1日にチョンさんはお店の近くで倒れていたのを保護されました。
保護したのはいいけれど、風邪もひいているし、
弱っているし、やせ細っているし、すぐに病院に連れて行って、
点滴をしたら少し回復したそうです。
きよみちゃんはチョンさんを育てる決心をしました。
いつもチョンさんを仕事場に連れてきて、
ずっとお腹で暖めて、エサを与えていたのです。
きよみちゃんは本気で命を守ろうと思ったのです。

しばらく私はチョンさんを抱っこしていると、
チョンさんはもぞもぞと体を動かして、
とても痩せていて、弱々しくもあるけど、きちんと生きていました。
「私はこの子はだいじょうぶ」と思いました。
今は食欲はないけれど、きよみちゃんがしっかりと面倒を見ているし、
ちゃんと病院に連れて行ってもらって点滴も打っているし、
現にこうやって動いているし、チョンさんは時期によくなって、
大きくなるんだと思いました。
地面もたどたどしくも歩いて、ひとしきり鳴いたりもして、
ひなたぼっこをしたりもしていました。
その姿はほんとうに可愛いかったので、
はやく元気になって一緒に遊びたいと思いました。
バイバイと手をふって、私は店を後にしました。

昨日、猫のおもちゃを持ってお店に行きました。
絶対に元気に生きてることを疑わずに行きました。
きよみちゃんは「チョンさん死んでしまった」と泣きました。
チョンさんは一回だけ私に姿を見せてどこかに消えてしまったのです。
きよみちゃんと一緒に居たのは10日だけでした。

きよみちゃんはチョンさんが死んで行った経緯を詳しく説明してくれました。
やっぱりご飯が食べられなかったこと、急に具合が悪くなってしまったこと。
なにか不思議な気持ちがしました。
チョンさんと出会ったこと。
チョンさんがもう去って行ったこと。
私はきよみちゃんと色々な話しをしました。
地震の話しや仏教の話しもしました。
「私たち丈夫な体に産んでもらえてよかったよね」
という呑気な話しもしました。

チョンさんが夏の初めにやってきて、すぐに去って行ったこと。
そのことに私はたくさんの意味を見出そうとしていることに気がつきます。
チョンさんのことをたくさん考えて、
自然とチョンさんをすごく立派で神々しいものに仕立てようとするのです。
そこになんの意味があるのかはわかりません。
人間の勝手な心の慰めなのかもしれません。
ただ、生き物が死ぬ、命がどこかに消えていくということは、
何か心もとなく、悲しいことなのだけど、
どこかすごく安心できるのも確かです。
「どこに行っちゃったのかなぁ、チョンさん」
なんてつぶやきながら、私は確かにあの時チョンさんの存在を感じていました。
でも、もうチョンさんは目に見える形ではいなくなりました。

そう、私たちはもしかしたら、目に見える形で過ごす為に、
ここに居るのかもしれないと思うのです。
目に見えるうちにやるべきことはやらなくてはと、
チョンさんはそんな思いをもたらしてくれました。

チョンさんありがとう。
きっとまたどこかでチョンさんを見つけるよ。

伊勢から江戸へ 後編

9日17時30分。
西船橋到着。
友人が主催をしているDJイベント、
「ポコニャンナイト〜オレンジ色のニクいやつ〜」
に参加するため会場のアジトというお店に向う。
大学生の頃から継続して開催しているこのイベント。
私はいつもわざわざ三重県から行くのである。なぜか。
なぜだろう。
友人達と話しがしたいというのもあるし、
音楽で盛り上がりたいというのもあるし、
都会における同年代の人たちの生き方というのを、
密かに調査している感もある。
ずっと参加しているので、突然参加しなくなるのもどうなんだろう、
という気持ちが無い訳でもない。
とにかく色々な気持ちが重なり合って、私は参加している。

というかそもそも酒を飲んで音楽で踊りはしゃぐという行為が私は好きなのだ。
それはそれは楽しいのである。
人間の根本である生きることの喜びみたいなものが、
わーっと湧き上がってくるのだ。
盆踊りであり、阿波踊りであり、沖縄のカチャーシーであり、
人間が音楽に合わせて踊るのは自然なことだ。
そういうことが出来る機会があるのがこのポコニャンというイベントで、
しかも音楽は知ってる曲が流れてくるし、
知らない曲でも安心できる選曲なので私はわざわざ足を運ぶのだろう。

この日もダフトパンクやくるりなど、
普段通りベタな展開をしつつも、
新しいネタなども仕込んであって楽しく盛り上がりました。
最後の最後、アンコールがAIRのLast Danceで、
それが今まで聴いてきた中でどんぴしゃでした。
そのあと朝まで近くの居酒屋で呑んだのですが、
4時過ぎぐらいからかなり体調が悪くなってしまい、
漫画喫茶で2時間ぐらい寝ました。
が、それでも回復せず、
慣れない寝不足と疲労と二日酔いで相当グロッキーな状態になり、
地面を這うようにしてなんとか東京駅八重洲口まで行って、
バスで帰ることが出来ました。

今回少しだけの上京でしたが、
いろいろあって楽しく過ごすことが出来ました。
次の週末から3ヶ月ぶりに働き出します。
テントとリュックを購入するので。