7月5日、私はチョンさんに出会いました。
チョンさんは私がよく遊びに行っている雑貨屋さんに居ました。
いつも通りそのお店に行くと、
きよみちゃんのお腹でタオルに包まれて寝ていました。
それはそれは小さな子猫でした。
きよみちゃんは私にすぐに私にチョンさんを抱かせてくれました。
細くて、軽くて、私はまるで鳥みたいだと思いました。
そんな子猫でした。
7月1日にチョンさんはお店の近くで倒れていたのを保護されました。
保護したのはいいけれど、風邪もひいているし、
弱っているし、やせ細っているし、すぐに病院に連れて行って、
点滴をしたら少し回復したそうです。
きよみちゃんはチョンさんを育てる決心をしました。
いつもチョンさんを仕事場に連れてきて、
ずっとお腹で暖めて、エサを与えていたのです。
きよみちゃんは本気で命を守ろうと思ったのです。
しばらく私はチョンさんを抱っこしていると、
チョンさんはもぞもぞと体を動かして、
とても痩せていて、弱々しくもあるけど、きちんと生きていました。
「私はこの子はだいじょうぶ」と思いました。
今は食欲はないけれど、きよみちゃんがしっかりと面倒を見ているし、
ちゃんと病院に連れて行ってもらって点滴も打っているし、
現にこうやって動いているし、チョンさんは時期によくなって、
大きくなるんだと思いました。
地面もたどたどしくも歩いて、ひとしきり鳴いたりもして、
ひなたぼっこをしたりもしていました。
その姿はほんとうに可愛いかったので、
はやく元気になって一緒に遊びたいと思いました。
バイバイと手をふって、私は店を後にしました。
昨日、猫のおもちゃを持ってお店に行きました。
絶対に元気に生きてることを疑わずに行きました。
きよみちゃんは「チョンさん死んでしまった」と泣きました。
チョンさんは一回だけ私に姿を見せてどこかに消えてしまったのです。
きよみちゃんと一緒に居たのは10日だけでした。
きよみちゃんはチョンさんが死んで行った経緯を詳しく説明してくれました。
やっぱりご飯が食べられなかったこと、急に具合が悪くなってしまったこと。
なにか不思議な気持ちがしました。
チョンさんと出会ったこと。
チョンさんがもう去って行ったこと。
私はきよみちゃんと色々な話しをしました。
地震の話しや仏教の話しもしました。
「私たち丈夫な体に産んでもらえてよかったよね」
という呑気な話しもしました。
チョンさんが夏の初めにやってきて、すぐに去って行ったこと。
そのことに私はたくさんの意味を見出そうとしていることに気がつきます。
チョンさんのことをたくさん考えて、
自然とチョンさんをすごく立派で神々しいものに仕立てようとするのです。
そこになんの意味があるのかはわかりません。
人間の勝手な心の慰めなのかもしれません。
ただ、生き物が死ぬ、命がどこかに消えていくということは、
何か心もとなく、悲しいことなのだけど、
どこかすごく安心できるのも確かです。
「どこに行っちゃったのかなぁ、チョンさん」
なんてつぶやきながら、私は確かにあの時チョンさんの存在を感じていました。
でも、もうチョンさんは目に見える形ではいなくなりました。
そう、私たちはもしかしたら、目に見える形で過ごす為に、
ここに居るのかもしれないと思うのです。
目に見えるうちにやるべきことはやらなくてはと、
チョンさんはそんな思いをもたらしてくれました。
チョンさんありがとう。
きっとまたどこかでチョンさんを見つけるよ。
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