2012年5月15日火曜日

結婚式と韓国とアラサー女子

29歳にして初めて友人の結婚式にお呼ばれしてきました。
ディズニーランド近くのホテルで、チャペルでの挙式、そして披露宴。
「これぞ結婚式!」という感じで、とても楽しかったです。
結婚式というのはそれまでの人生の総ざらいという感じがしました。
普通に大学を出て普通に就職をする普通の夫婦というのは、
結婚式でもやらない限り、
「自分がどういう家庭で育ち、どういう人物なのか」
というのを大勢の前で知ってもらう場は、ほとんどないのでしょう。
結婚式で二人をクローズアップし、そこからまた新しくスタートする。
そういう気合いみたいなものがとても伝わってきました。
ついでに自分はこういうことできるだろうかと想像したところ、
絶対出来ないなぁ、と思いました。
まず絶対的に写真が足りないです。
スライドショーみたいなのとか、恥ずかしすぎて無理です。
色々「自分は無理だなぁ」ということが再確認できてよかったです。

次の日、友人と新大久保に行ってきました。
電車降りて改札出たら、ほぼ女の人だらけでした。
路を歩けば、韓国料理屋のオンパレード。
お店を覗くと、若い韓国人男性がわんさかと働いています。
どうやら日本人女性が韓国人男性を見物しに来る場所でもあるようです。
友人が最近知り合ったという韓国人男性に会いに行くと、
ものすごい人懐っこい笑顔で、スリスリと擦り寄って来る感じでした。
「あ〜こういうのにやられるんだな〜」
とニヤニヤしながら眺めていました。
新大久保で働いている韓国人男は、ほぼ犬です。
日本のホストとはまた違った意味で、
日本の女達が貢ぎたくなる感じがあるような気がします。
女の欲望がひしめき合う新大久保。
なかなか興味深い街でした。

アラサー女子達とたくさん会った週末でもありました。
結婚していたり、妊娠していたり、彼氏がいたり、いなかったり、
色々なアラサー女子模様を観察できました。
「次は誰が結婚するんだろう」
みたいな牽制し合う感じとか、
「私はもう結婚していて子供もいるし」
という高見の見物のような感覚とか、
女達の色々な思惑がひしめきあっていて、
「くだらなくて、下世話で、ベタでいいなぁ」
と思いました。
結局女の価値は男ありきなのかと思うと、
げんなりしますが、そんなものなんでしょう。
どんなに文明が発達しようとも、女という生き物の価値は、
「生殖能力の高さ」という最も動物的で原初的な部分で、
いつだって判断されているという感じがしました。

他にも個人的なことで、
色々わかったこともあり、
色々勉強になった東京での週末でした。

2012年5月9日水曜日

ゆきたん




家庭の事情で猫を手放す事になりました。
新しい飼い主さんも運良くすぐに見つかり、
これもひとつの縁と流れなのだと決心して、
さっそく昨日新しいお家に連れて行きました。
ゲージから新しいお家に連れてこられたゆきたんはビクビクして、
姿勢を低くして、体を硬直させ、暗くて狭い所に隠れていました。
私はそのままバイトに行って、家に帰って、21時ぐらいに連絡が入り、
「うんちとおしっこを床にしてしまって、体や床を拭こうにも、
フーフー怒って触らせてくれない。」
とのことでした。
急いでゆきたんの新しいお家に向って、
ゆきたんに会いにいった所、お尻も脚もうんちとおしっこで、
ベトベトになっていました。
でも私が行くと全然怒らなくて、簡単に抱く事が出来て、
ゴロゴロと喉を鳴らしていました。
表情も全く違うと言っていました。
本当に可哀想なことをしたんだなと、その時、痛感したのでした。

ゆきたんは私といるとリラックスするし、
私もゆきたんといるとリラックスする、
そういう関係でした。
もう10歳は生きているし、最後まで面倒を見ると覚悟をしていたのに、
どうしても面倒を見ることが出来なくなり、悔しくて仕方がないのです。
なによりも、家の中で飼い始めたこの一年間、寝起きを共にして、
夜は毎日一緒に過ごしていて、本当にたくさんのことを得たのです。
猫は私にとって心の安定剤だし、つっかえ棒のようなものでした。
デコボコした不安定な心の隙間を埋めるように、
そっ、とそこに猫はいつもいたし、
トゲトゲした気持ちもマイルドにする作用がありました。
猫と離れ離れになって私も猫と同じぐらい不安です。
これから私の心は猫がいなくても安定して暮らしていけるのか、
猫と暮らす前のように、どこか思い詰めて、
自分で自分を苦しめてしまうのではないかと、
思ったりするのです。
色々な事をどうでもよく思わせてくれる猫は、
平和で暖かな暮らしには必要不可欠だとさえ思います。

ゆきたんは新しいお家に慣れるようにがんばっているので、
私もゆきたんがいない生活に少しずつ慣れなくてはいけません。
死んでしまったわけではないし、
しょっちゅう会いに行くこともできるので、
早く新しいリズムを取り戻して、
新しい生活に馴染まなければと思います。

私以上に猫に依存して暮らす人たちは多いです。
特に女の人。
猫は本当に見事に心の隙間を埋めるのです。
あの効果は絶大なもので、きっと亡くしてしまったときの、
悲しみは想像以上のものだと思います。
家族や友人を亡くすのとはまた別の類いのものです。

次はいつ猫と暮らせるようになるかは解りませんが、
きっといつかまた猫と暮らすでしょう。
その時まで我慢して、何か別のもに愛情を注いで生きていくのでしょう。
女の人は何かを愛さずにはいられない、
きっとそういう性質があるのです。

2012年5月4日金曜日

マンボウの哀しみ

小学生の女の子にマンボウについて教えてもらった。
女の子曰くマンボウは3兆個卵を産むらしい。
(さっきウィキペディアで調べたら3億個って書いてあったのけど、
どちらにしろ途方も無い数だ。)
成魚になる確立は5億分の1という情報も。
「マンボウには絶対生れ変わりたくない!」
という意見で一致したんだけど、
マンボウを調べれば調べるほどなんだか哀しい生き物である事がわかった。

・厚い粘膜に覆われていて寄生虫だらけ。
・寄生虫を振り落とすために勢いをつけて海面からジャンプする事がある。
この時、着水の衝撃で死に至る事がある。
・手で触ると手の跡がそのまま付くくらい皮膚が弱く、飼育が難しい。
・鮮度が落ちると臭みが出て不味い。
・卵は親に保護されることもなく海中を浮遊しながら発生するため、
ほとんどが他の動物に食べられてしまう。

知れば知るほどマンボウって切なくて残念な生き物。
寄生中は好んでつけているわけじゃなくて、
勝手についていて、しかも振り落とす為に海面にジャンプしたら、
その時の着水の衝撃で死んじゃうぐらい弱いってくだりなんか、
哀しすぎて切なすぎて、もはや爆笑。
マンボウって可哀想で気持ち悪いけど、
なんか笑えるし、憎めないし、気になってしまう、そんな存在。
クラスにひとりは居たような、存在自体が可哀想な感じのアイツ。
あの感じをすごく思い出した。
いつかマンボウが主役のハリウッド映画とか出来たらいいのになー。
スパイダーマン的なノリで。
マンボウマンとか。
いや字面的にはマンボーマンか。

2012年4月29日日曜日

自然の力


バイト遅刻しそうだったから早足で歩いてたんだけど、
ふと横を見たらこの写真の景色。
「えー!」と思って写真とってみた。
別に変哲の無い風景なんだけど、一ヶ月まえの風景がこれ。
http://manjuu33.blogspot.jp/2012/03/3.html
葉っぱが茂り過ぎててびっくりした。
まじで自然の力すげー。

てことで4月が終わるまでにはあと一日残っているけど、
色々振り返ってみようかと思い。
やっぱりこれといってないんだけど、
誰に言うわけでもなく、
「もう大丈夫だよー」と言いたい。
自分が自分に言えたら一番いいかなとおもう。
なんとなく「もう大丈夫だよー」な気分がある。
気分なんてものは移り変わっていくもので、
「全然大丈夫じゃないし!」という時はいずれ来るのだろうけど、
少なくとも今はもう大丈夫な気分。
なにがどう大丈夫なのかはよくわからないけど、
とにかく大丈夫。
大丈夫の魔法を手に入れたかんじ。
この大丈夫は、明日世界が核戦争になっても、
それでも大丈夫って気持ち。
それってただバカってことなのかもしれないけど、
人ってそういう部分を持ってないと、すぐに腐っちゃう。
苦しみとか、悲しみとか、
そういうやつにやられちゃう。
人に「暗い」とか「重い」とか言われて、
でもそれって違うんじゃないかと思ったりする。
言葉は私の中を通過する風景を表現する為の手段で、
風景が私自身であるとは言い切れない。
風景は通り過ぎる。
くるくると回って、違う景色をたくさんみせる。
私はただの空洞だから、空洞にどんな景色を入れるかは、
わたし次第で、出来ればたくさんの景色をみて、
「人」というものを知りたかったから、
私は「暗い」ものも「重い」ものも観ていたに過ぎない。
「暗い」も「重い」も怖くない。
突き放したくない、ぐっと引き寄せて抱きしめていたい。
それによってメンドクサイことがたくさん起きても、
それは私が選んでそうなったこと。
そんな風に、私は世界を小さくしたくなかった。
みんなが嫌がるものも抱え込むことで、
みんなが行けないところまで行きたかった。
それはただ冒険心と探究心。
もちろんそれでボロボロになって、ズタズタになったこともあるけど、
それでもやっぱり私の本質は変わらないし、
世界は青いし、広いし、澄んでいる。
そのことが解って私は「大丈夫」という概念を、
本当の意味で手に入れたのかもしれない。

もう誰にも左右されない。
もう誰も羨まない。
もう誰も求めない。
もう誰も恨まない。

そんな風に安定している精神状態を、
これからなるべく維持できるようにするのが、
今後の人生の課題という気がする。

私たちは自由だ。
自由ということは自分で選べるということ。
自分で何かを選びながら生きている人は実は結構少ない。

2012年4月27日金曜日

インドと北欧からのオザケン

「インドと北欧」無事終了しましたー!
ご来場して頂いたみなさん本当にありがとうございました。

ツイッターとフェイスブックで一応いろいろ書いたのですが、
もう一度改めてブログ用に書いてみるとすると、
「まじ最高だった!」
というとてもシンプルでバカみたいな言葉しか浮かんできません。
出演されたサントゥール奏者の新井孝弘さん、
タブラ奏者のユザーンさん、
カンランのトリタニさん、アヤコさん、カリームさん、
素晴らしい夜を本当にありがとうございました。
カンランさんの曲の歌詞に精神が救われ、
インド古典音楽でモヤモヤが吹き飛んだ気がします。
その結果さっぱりとした人間になったような錯覚さえ起きました。

そんな晴れ渡ったような気持ちの中、
最近知り合った方がミュージックマガジンの小沢健二特集に、
文章を寄稿されているということで、
さっそく本屋さんで立ち読みしてきました。
2年前の「ひふみよ」には行ったのですが、
4月に東京オペラシティで行われた「我ら、時」には行ってなかったので、
どんな感じだったのだろうと思い読んでみました。
簡単に言うとオザケンがただのミュージシャンではない、
といことを改めて再認識しました。
大衆芸術家、大衆思想家という言葉を使っている文章もありましたが、
確かにオザケンの場合ポップミュージックを使って、
ちょっとみんなの心を明るく盛り上げてみた、というような、
なにか気軽さのようなものを感じます。
しかしそのベースにはもっと広大で深遠な世界が広がっていて、
それを追求する為に何年ものフェイドアウト期間があったのだということです。
小沢家の家系を遡っても芸術一家である事を伺えます。
よしもとばななの父親が吉本隆明である事や、
よしもとばなながオザケンのファンで、
でもエッセイかなにかでオザケンを批判して、
ちょっとムードが悪くなったくだりなどをちらっと思い出したりしました。
何でも「血筋の宿命」ってものがあるのでしょう。
「我ら、時」で原田郁子や、ハナレグミや、
スカパラや、スチャダラを巻き込んで、
小沢健二が日本の音楽界で示した位置は、確信的なものがあります。
音楽が、とりわけポップミュージックが人々の心にもたらす、
明るい光は、現実が悲惨であればあるほど輝くもので、
それは「宗教」全く同じ効果を現すのでしょう。
そのようなことを確信し、効果的に表現しているのが、
オザケンの音楽なのだと思います。
徹底的に光を見つめ続け、表し続ける覚悟。
私たちはいつだってミュージシャンのその姿勢に圧倒され、
ずっと追いかけたくなってしまうのです。
一人でひっそりと闇を見つめその闇の力を利用してうまく光りに転換する、
そのような魔法を持っている人々を、
私たちはいつの時代も待ち望んでいるのだろうと思います。

2012年4月16日月曜日

正しくエロいこと


水曜日に星野源が出演する舞台を観に行くので、
なんとなく久しぶりにサイトを覗いたところ、
トップページのイラストがドツボでびっくりしました。
http://www.hoshinogen.com/
この世界目眩がするほど完璧!
さっそくアマゾンに行ってこの方の漫画を購入しました。
まだ手元に届いてないですが、「花のズボラ飯」という漫画です。
ネットの情報を見ただけで、すでに素晴らしいのです、色々と。
「かわいい」「だらしない」「エロい」「おいしい」
をとことん追求したユートピアみたいな漫画だと思いました。

中学生の時、自分が書いた漫画を思い出したりしました。
あの頃の自分が妄想して描いてたものって、
自分の生の、何者にも犯されていない、原初のもので、
色々なものを眺めてきた今も、確実に残っている世界なのだと、気付きました。
個人的に究極の「かわいい」「だらしない」「エロい」「おいしい」
など、とにかく快楽部分を追求していったら、
自分にとってどういうものがベストなんだろう、とふと思い、
これを極めていくのが今後の人生の課題だな、と思いました。

あと「自分が男子だったら」とちょっと妄想して、
どんな女の子が好きだろうと考えたところ、
やっぱり、かわいくて、だらしなくて、エロい子が好きだな、
と思ったりして、なんかアホみたいですが、
「自分が男子だったら、こんな女の子が好き」
みたいな女の子に自分がなったら完璧じゃないか?
と、すごい発見をしたりして、
今後とも女子研究に磨きをかけていきたいと思いました。

「いやいや、こんな女の子現実にはいないよね」
みたいな、はっ、とするような女の子を発掘していけたらと思います。

2012年4月14日土曜日

正しく歩くこと


最近は25日にライブをしてもらう、
カンランのアルバム「大地のうた」をエンドレスリピートです。
派手に気分を盛り立てる音楽ではないですが、
じわじわとエネルギーを頂いて、しっかりと生きて行こうという、
気分にさせてくれる素晴らしい音楽です。
早く生で聴きたいです。

こないだ靴屋さんで靴を作ってもらったのですが、
そのときに教えてもらった「正しい歩き方」を実践中です。
今まで使ったことの無い筋肉を使っている感じがして、
ちゃんと歩いている感が増しました。
天気がよくて暇さえあれば歩こうと思いました。
車社会で歩くことの少ない地方だからこそ、
たくさん歩かねば、と思います。
年寄りみたいですが、年寄りになって困ってしまってからでは遅いので、
今のうちから「自分の脚を使ってきちんと歩く」
という人間の基本を大切にしようと思います。

「魔法少女まどか☆マギカ」の5,6巻をやっと観ました。
最終回は号泣しました。アラサーですが号泣できました。
変身シーンは「セーラームーン」を思い出したりしました。
ついでに「なかよし」も思い出しました。
もちろん「まど☆マギ」の方が「セーラームーン」より深くて、
壮大な話しで、ほんとよく創ったなぁ、と思います。
「涼宮ハルヒの憂鬱」も「すげーなぁ」と、感動しましたが、
宇宙の成り立ちのひとつの仮説として、
リアリティがあって、バカに出来ないところが、
日本のアニメのすごいところだと思います。
なによりも自由です。
映像のクオリティもだいぶ高かったです。
今後も話題になるアニメはチェックしようと思います。