2011年2月28日月曜日

海月と水母はどちらもくらげと読む



くらげって「海月」とも「水母」とも書くらしい。
海の月のような、
水の母のような。
どっちもぴったりだな。日本語ってすごいな。

今日は小雨が降る中、スーパーや書店を回って、
バイトしている育児情報誌の販売状況をチェックしてきたのだけど、
途中で寄ったスーパーで、すてーんと派手に転んでしまった。
転んだ時の気まずさと恥ずかしさは大人になっても慣れないな。
というか、大人だからますます恥ずかしい。
「私ってドジでしょ?テヘ☆」
みたいなブログになってしまって心外だけど、
事実だからしょうがない。
そもそもドジって全然かわいくない。
他者にどんくさい奴であることを証明してしまい、
ひたすら自己嫌悪に陥る。
ドジはイラつく。
そんな書店回りの途中で立ち読みしたテレビブロスが特集してる漫画が、
とてもおもしろそうで気になったので、仕事の帰りに、
ヴィレバンに寄って買ってみた。
それが「海月姫」という漫画。
絵がすごいタイプ。いいなーこういうの。
別冊spoonですでに特集済み。はやいな〜。
寝る前の楽しみにとっておくことにしよう。

ファンション業界も音楽業界も一部の人たちが、
アニメオタクであることを公言するのが流行っているけれど、
それに便乗させて頂いて私もそろそろオタク文化を、
取り入れていってみようかと思ったり。
そもそも、中学生まで「アニメージュ」という雑誌を買ったりして、
かなりのオタクぶりを発揮していたのだけど、
やはり当時はオタクへの偏見は激しく、
周囲からの風当たりの悪さを事前に察知して、
それほどのめり込む事はなかった。
その代わり弟がかなりのオタクぶりを発揮していた。
色々知ってるんだろうな。
ああ、弟に会いたいなぁ。

世界が終わる夜に



「嫌われ松子の一生」と「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」を観た。

「嫌われ松子の一生」は「自虐の詩」に続いて号泣。
なんなんだよー。中谷美紀主演の映画はどっちも泣けた。
てか、主人公に自分を投影しすぎてしまうんだろうな。
ちなみに今後の人生の過ごし方によっては、
1割ぐらいの確率でゴミ屋敷に住むゴミおばさんになる可能性がある気がする。
捨てられるゴミが可哀想で、ゴミを拾ってくる人。
でも、そんなに純粋じゃないかもしれないな。

「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」は、
佐藤江梨子のぶっ壊れた姉加減が素敵でした。
スタイルのよさが異常。
ああいう、気違いの寄せ集めみたいな家族模様は、
観ててぞくぞくする。
誰だったか、「歪みが美しい」って言ってたけど、
まさしくそう。
どこか歪んでないと逆に人として安心できない、
というのはあると思う。

チャットモンチーの「世界が終わる夜に」は、
「腑抜けども」のエンディングテーマ。
これがまたいい。
映画ぴったり。
歌詞もいいなー。

なんとなく思い出した清竜人の「ヘルプミーヘルプミーヘルプミー」
これ、ラジオで聴いた時歌詞に衝撃受けた。
てか、やっぱ歌詞かい。


これもいいなー。



サカナクションの「ネイティブダンサー」。なんとなく。

2011年2月27日日曜日

東京で起こる事は全国で起こる

今日は立川談春独演会を観に鈴鹿まで行ってきました。
ちなみに先週は古今亭菊六さんの落語を観ました。
落語づいております。
立川談春の落語は非常に素晴らしかった。
口上での日本の伝統芸能のスキャンダル問題について言及して、
きっちり毒を吐いていたのがよかった。
談志の毒に影響されているんだろうけど、
談春の毒としてちゃんと確立されていて、それも感じがよかった。
落語がなんで好きなんだろうと、思ったけど、
やっぱり「死」をすごく軽く扱っているのが好きな要因として大きい。
弟子が師匠を簡単に殺したり(桂歌丸がいつも殺されてるかんじ)、
落語家の葬式の話もなんか楽しそうだ。
そんな風に「死」を軽く扱うことはとても救われるのだ。
ちなみに、落語が流行るのは、世の中が不景気だからだそうだ。
不景気な世の中の落語は、
日本人にとって本当にとても重要な役割があるんだろうな。
それにしても落語のおもしろさって外国人にも伝わるんだろうか?
流れるような言葉、日本語の美しさ、言葉のリズム、
やっぱり日本人じゃないと解らないのかもしれない。
さくらももこの「神のちからっこ新聞」もそんな感じ。
また観に行きたいなー。東京で落語みたいけど、
チケット取るのがむずかしそうで、そうなると、
地方でよかったなぁ、なんておもう。

小倉千加子の「結婚の条件」がおもしろすぎる。
こないだ高校時代の同級生が6人集まった時、
ひとり以外は全員未婚だったんだけど、
(ちなみに、みんなを招集したがるのは既婚の子)
間違いなく未婚5人のうち何人かが一生独身になりそうだった。
お互いの近況を順番に話したり、
今付き合っている人がいるかとか、
探りを入れ合っているのがまるわかりで居心地が悪かったのを覚えている。
みんな色々抱えているんだろうなと思う。

女の人には二通りの生き方があるんだそうだ。
「女」になりきるか、「人間」になるか。
残念ながら「女」になりたくてもなれない女の人がいる。
そんな女の人は人間になる道を歩むことになる。
「女」になるには、「男」が必要で、
つまり「男」を得るために「女」になることを、
普通にやれる女の人がいる。
そんな女の人は大学生の頃に「JJ」を読んでいるらしいけど、
確かに、私が大学生の頃「JJ」を購読読していた子がいて、
その子は早々に結婚している。
私はもちろん「JJ」なんて読んでいなかった。
てか「JJ」すごいな。
つまり私に関して言えば、「女」ではなく、
「人間」にならざるを得ないということだ。
「楽して専業主婦」になる道は確実に閉ざされたということになる。
ま、そんなことは昨年わかっていたけれど、
色々整理が出来ておもしろいのが、「結婚の条件」という本。

2011年2月25日金曜日

リア充とDQN

「リア充」と「DQN」の意味を今日知りました。
なるほど。
ちなみに親が子どもに付ける珍妙な名前をDQNネームと呼ぶそうだけど、
ほんとに最近、普通に子どもの名前が変だ。
育児情報誌に産まれたばかりの赤ちゃんを、
載せるページがあるのだけど読めないことが多い。

酒井若菜については健全に日々を送っているようで安心しました。
過去に人気を博していて、最近テレビでみなくなったらアイドルのその後が、
やたら気になってしまうのは前に、
「アキハバラ@DEEP」に出ていた小阪由佳の病的な激変ぶりを
見てしまったからだ。
それからは、モーニング娘やAKB48など、
大人に消費されていくアイドルが心配になった。

まぁ、どんな状況化でも人は狂う時は狂うのだろうけど。

真夜中の映画館

とりあえず借りてきたDVD2本のうち
「恋の門」と「自虐の詩」を観る。

どちらも松尾スズキが出ていた。
そして「恋の門」は松尾スズキが監督&脚本。

「恋の門」は、随分昔に漫画で読んだ事があり、
「そういえばこんな内容だったなぁ。」と、
懐かしく思い出したりした。
酒井若菜を久しぶりに観て、今なにしてるんだろう?
と、思ったのであとでネットで調べてみるつもり。
漫画自体がおもしろいのか、おもしろくないのか、
曖昧なところだったのだけど、映画もそんなかんじだった。
今は亡き忌野清志郎の元気な姿が観れたのがよかった。
あと、さり気なく出てた安野モヨコと庵野秀明とかよかった。
星みっつぐらい。

「自虐の詩」は、半分ぐらいギャグなのかと思って借りたら、
3分の2以上が泣ける話で、ティッシュの消費量が半端なかった。
予想してなかったので、ほんと、びっくりした。
そして中谷美紀の演技がすごい。
あんなに美人なのに、あんなに貧乏臭い風になるのって、
実は相当難しいのではないかと思う。
これは続いて観るつもりの「嫌われ松子の一生」が楽しみだ。
やっぱり美人がぶっ壊れてる姿を見るのはなんか爽快だ。

気がつけば夜中の2時だ。
私はだいたい12時には寝てしまう人なのだけど、
近頃はちょっと夜型人間になってみようかと思う。
だいたい何かを創作する人たちは、
夜中に創るという意見をよく聞くし。
もしかしたら夜中は、何かが暗闇の中をうようよと蠢いていて、
ちょっとした拍子に何かが取り憑いて、
自然とタイピングしてしまったりするのかもしれないと思うと、
俄然夜のほうが楽しいだろう。
しかし、今日はさっき映画を観て思う存分に泣きはらしてしまったので、
少しまぶたもつかれているし、そろそろ寝てしまおうと思う。

何かを書き終わった後の空っぽ感が私は好きだし、
その感覚にもっとどん欲になってもいい気がする。
よし、より動物っぽくなろう。

2011年2月23日水曜日

ウランちゃん

私は人生で2回ほど、
「手塚作品に出てきそう」と言われた事があり、
それはわりと嬉しいのだけど、
ウランちゃんとかかわいいなぁと思って、
ウランちゃんをグーグルで検索しようとしたところ、
誤って劣化ウラン弾を検索してしまったら、
多分劣化ウラン弾で負傷した人間であろう、
ものすごいえげつない画像を見てしまい、
今だに立ち直れません。
しかもウランちゃんを検索してもあんまりかわいい画像がなかったです。
あと今まで人生で立ち直るのに時間がかかったものは、
学生の頃、家庭科の授業でみた奇形児です。死ぬほどこわいです。

女の人の本質は結局のところ「空っぽ」なのかもしれない。
男に合わせてコロコロと自分を変える。
女が無色透明であればあるほど男は自分の欲望をそのまま女に投影する。
それが気に入った男であれば、
女は男が見ているものを速やかに察知してそれになろうとする。
それになりきれるか、なりきれないかが、女の勝負どころだ。
しかし、一旦なりきれたとしても、
だんだんそのポーズが苦しくなって崩壊したところに、
真の女の凄みというか、本質的な世界が現れてきて、
そうなった時、女は生まれ変わり、
一番エネルギーに溢れ自由に生きることができる。
そのことに気がついている男がどれほど居るだろう。

「空っぽ」だから女の人は強い。
どこへ行ってもそれなりに順応してしぶとく生き抜く。
今の時代に必要なのはうっとおしいぐらいのしぶとさかもしれない。

2011年2月22日火曜日

引き寄せる引力を

DVDを4枚一気に借りてみた。

「恋の門」
「自虐の詩」
「嫌われ松子の一生」
「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」

私の中で同系統のものをセレクトしてみた。
この内2本は主演が中谷美紀である。
やっぱり私は中谷美紀が好きである。

西原理恵子の漫画の映画化が続いているけれど、
主人公役(つまり西原理恵子役)の女優が、
みんないい女優であることがなぜか気なる。
深津絵里、菅野美穂、小泉今日子。
うーん、いいなぁ。

西原理恵子って確かすごくさくらももこを意識してた、
イメージがあって、これはある意味越えたんじゃないかと思うわけで。
2人とも漁師の娘と、八百屋の娘ということで、
親の才能とか全く関係なしに、
自力でやってる感になんとなく惹かれるものがある。

西原理恵子のウィキペディアを今みたけど、
ものすごい壮絶な過去だった。
なんだか人生荒れくれてるというイメージはあったけど、
あそこまでだったとは。
川上未映子といい、荒れくれた人生経験を持つ人は、
やっぱりたくましくなれるんだなぁ、と人間に対する一抹の希望。

昨日の新聞に中学生の少年が首つり自殺をしたことが載っていた。
その原因が、母親の糖尿病や脳梗塞などの病気と、家庭の貧困で、
毎日の家事もその少年がこなしていて、
母親の看病で学校も休みがちだったそうだ。
そんな中の将来に希望が持てなくて自殺。

いやーなんだろうね。この気持ち。

確かに中学生にはキツ過ぎる現実なんだけど、
もう少し生き続けていれば何か見えたんじゃないか、
なんて思うのは勝手過ぎる言い分だろうか。
趣味が読書だったのだから、本からなにか生きるヒントというか、
希望みたいなものは見出せなかっただろうか。
日々の現実が、日常が、活字の世界に勝ったのかもしれない。
中学生にとってみれば、いくら読書が好きな瞬間があっても、
現実のほうが圧倒的なリアルで迫ってくるし、受け止めてしまう。
大人みたいに逃げたりしない。逃げられない。

しかし、そうなったら文章の負けだ。
言葉なんて所詮そんなもんだ。無力だ。

よしもとばななだったか、
たしか、自殺する人が減るようにと思いながら書いている、
と、どこかに書いていた。

人の精神には色んな次元がある。
家族と関わる時間、漫画を読む時間、テレビを見る時間、友達と話をする時間、
全部、自分の違う世界で、一回の人生でも、
様々な次元を行き来することになる。
だから、家族と過ごす時間や、現実に襲いかかる不幸なこととは、
違う次元を自分の中に創りだして、
その両方を自在に行き来できるようになれば、
随分精神的に楽になるのだけど、
中学生にはまだなかなか難しいテクニックなのだ。
分裂症気味と言われてしまったとしても、
それはそれで生き抜く為の知恵である。
しかし生きてみて面白い事があるかどうか、
それは、その人次第なのでなんとも言えないのだが。

世の中のあるとあらゆる不幸と思われる事情は、
真に受けたら終わりである。
ということに気がつく。
ただひたすらに自分を追いつめるだけだ。
ちょっと頭悪いぐらいになって、
ヘラヘラしてゆるくこなしていると、
不幸というやつはどこかに逃げていくらしい。

きっとそんな風にして人間を試しているんだと思う。
誰かが。