今日は立川談春独演会を観に鈴鹿まで行ってきました。
ちなみに先週は古今亭菊六さんの落語を観ました。
落語づいております。
立川談春の落語は非常に素晴らしかった。
口上での日本の伝統芸能のスキャンダル問題について言及して、
きっちり毒を吐いていたのがよかった。
談志の毒に影響されているんだろうけど、
談春の毒としてちゃんと確立されていて、それも感じがよかった。
落語がなんで好きなんだろうと、思ったけど、
やっぱり「死」をすごく軽く扱っているのが好きな要因として大きい。
弟子が師匠を簡単に殺したり(桂歌丸がいつも殺されてるかんじ)、
落語家の葬式の話もなんか楽しそうだ。
そんな風に「死」を軽く扱うことはとても救われるのだ。
ちなみに、落語が流行るのは、世の中が不景気だからだそうだ。
不景気な世の中の落語は、
日本人にとって本当にとても重要な役割があるんだろうな。
それにしても落語のおもしろさって外国人にも伝わるんだろうか?
流れるような言葉、日本語の美しさ、言葉のリズム、
やっぱり日本人じゃないと解らないのかもしれない。
さくらももこの「神のちからっこ新聞」もそんな感じ。
また観に行きたいなー。東京で落語みたいけど、
チケット取るのがむずかしそうで、そうなると、
地方でよかったなぁ、なんておもう。
小倉千加子の「結婚の条件」がおもしろすぎる。
こないだ高校時代の同級生が6人集まった時、
ひとり以外は全員未婚だったんだけど、
(ちなみに、みんなを招集したがるのは既婚の子)
間違いなく未婚5人のうち何人かが一生独身になりそうだった。
お互いの近況を順番に話したり、
今付き合っている人がいるかとか、
探りを入れ合っているのがまるわかりで居心地が悪かったのを覚えている。
みんな色々抱えているんだろうなと思う。
女の人には二通りの生き方があるんだそうだ。
「女」になりきるか、「人間」になるか。
残念ながら「女」になりたくてもなれない女の人がいる。
そんな女の人は人間になる道を歩むことになる。
「女」になるには、「男」が必要で、
つまり「男」を得るために「女」になることを、
普通にやれる女の人がいる。
そんな女の人は大学生の頃に「JJ」を読んでいるらしいけど、
確かに、私が大学生の頃「JJ」を購読読していた子がいて、
その子は早々に結婚している。
私はもちろん「JJ」なんて読んでいなかった。
てか「JJ」すごいな。
つまり私に関して言えば、「女」ではなく、
「人間」にならざるを得ないということだ。
「楽して専業主婦」になる道は確実に閉ざされたということになる。
ま、そんなことは昨年わかっていたけれど、
色々整理が出来ておもしろいのが、「結婚の条件」という本。
マリリンモンローとジャンヌダルクが両極ですよね。
返信削除ジャンヌは女を拒否して、純粋な人間になろうと試み、
マリリンは人間を拒否して、純粋な女になりきろうと試みた。
ともに実現不可能なことですが
二人とも、男と人間のあいだにはなんの矛盾もないのだという
男の作り話を真にうけてしまった。
そしてそれにふさわしい女と人間の関係をつくり上げようとして
無残な復讐を受けることになった。
返事が遅くなってしまいすみません。
返信削除コメントありがとうございます。
なるほどー。ただ文章読解力が乏しいので、
「そしてそれにふさわしい女と人間の関係をつくり上げようとして」
という部分がうまく吞み込めないので、
コメント欄見てもらえてたら教えてもらえるとありがたいです。
ほんとにどっちも悲しい最後を終えてますね。
男の人は生きてて男になるか人間になるか、
みたいな選択はないですよね。
男辞めて女になるって言ってる人はいっぱいいますけど。
うーん。
女の人の精神って多分男の人より複雑なんですよね。なんか。
「女」ってだけで色んなイメージがまとわりついてて、
そういうのを取り込んだり、振り払ったりして、
常にもがいてる気がします。
男と女の考察は奥が深すぎますね。