DVDを4枚一気に借りてみた。
「恋の門」
「自虐の詩」
「嫌われ松子の一生」
「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」
私の中で同系統のものをセレクトしてみた。
この内2本は主演が中谷美紀である。
やっぱり私は中谷美紀が好きである。
西原理恵子の漫画の映画化が続いているけれど、
主人公役(つまり西原理恵子役)の女優が、
みんないい女優であることがなぜか気なる。
深津絵里、菅野美穂、小泉今日子。
うーん、いいなぁ。
西原理恵子って確かすごくさくらももこを意識してた、
イメージがあって、これはある意味越えたんじゃないかと思うわけで。
2人とも漁師の娘と、八百屋の娘ということで、
親の才能とか全く関係なしに、
自力でやってる感になんとなく惹かれるものがある。
西原理恵子のウィキペディアを今みたけど、
ものすごい壮絶な過去だった。
なんだか人生荒れくれてるというイメージはあったけど、
あそこまでだったとは。
川上未映子といい、荒れくれた人生経験を持つ人は、
やっぱりたくましくなれるんだなぁ、と人間に対する一抹の希望。
昨日の新聞に中学生の少年が首つり自殺をしたことが載っていた。
その原因が、母親の糖尿病や脳梗塞などの病気と、家庭の貧困で、
毎日の家事もその少年がこなしていて、
母親の看病で学校も休みがちだったそうだ。
そんな中の将来に希望が持てなくて自殺。
いやーなんだろうね。この気持ち。
確かに中学生にはキツ過ぎる現実なんだけど、
もう少し生き続けていれば何か見えたんじゃないか、
なんて思うのは勝手過ぎる言い分だろうか。
趣味が読書だったのだから、本からなにか生きるヒントというか、
希望みたいなものは見出せなかっただろうか。
日々の現実が、日常が、活字の世界に勝ったのかもしれない。
中学生にとってみれば、いくら読書が好きな瞬間があっても、
現実のほうが圧倒的なリアルで迫ってくるし、受け止めてしまう。
大人みたいに逃げたりしない。逃げられない。
しかし、そうなったら文章の負けだ。
言葉なんて所詮そんなもんだ。無力だ。
よしもとばななだったか、
たしか、自殺する人が減るようにと思いながら書いている、
と、どこかに書いていた。
人の精神には色んな次元がある。
家族と関わる時間、漫画を読む時間、テレビを見る時間、友達と話をする時間、
全部、自分の違う世界で、一回の人生でも、
様々な次元を行き来することになる。
だから、家族と過ごす時間や、現実に襲いかかる不幸なこととは、
違う次元を自分の中に創りだして、
その両方を自在に行き来できるようになれば、
随分精神的に楽になるのだけど、
中学生にはまだなかなか難しいテクニックなのだ。
分裂症気味と言われてしまったとしても、
それはそれで生き抜く為の知恵である。
しかし生きてみて面白い事があるかどうか、
それは、その人次第なのでなんとも言えないのだが。
世の中のあるとあらゆる不幸と思われる事情は、
真に受けたら終わりである。
ということに気がつく。
ただひたすらに自分を追いつめるだけだ。
ちょっと頭悪いぐらいになって、
ヘラヘラしてゆるくこなしていると、
不幸というやつはどこかに逃げていくらしい。
きっとそんな風にして人間を試しているんだと思う。
誰かが。
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