2011年2月22日火曜日

引き寄せる引力を

DVDを4枚一気に借りてみた。

「恋の門」
「自虐の詩」
「嫌われ松子の一生」
「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」

私の中で同系統のものをセレクトしてみた。
この内2本は主演が中谷美紀である。
やっぱり私は中谷美紀が好きである。

西原理恵子の漫画の映画化が続いているけれど、
主人公役(つまり西原理恵子役)の女優が、
みんないい女優であることがなぜか気なる。
深津絵里、菅野美穂、小泉今日子。
うーん、いいなぁ。

西原理恵子って確かすごくさくらももこを意識してた、
イメージがあって、これはある意味越えたんじゃないかと思うわけで。
2人とも漁師の娘と、八百屋の娘ということで、
親の才能とか全く関係なしに、
自力でやってる感になんとなく惹かれるものがある。

西原理恵子のウィキペディアを今みたけど、
ものすごい壮絶な過去だった。
なんだか人生荒れくれてるというイメージはあったけど、
あそこまでだったとは。
川上未映子といい、荒れくれた人生経験を持つ人は、
やっぱりたくましくなれるんだなぁ、と人間に対する一抹の希望。

昨日の新聞に中学生の少年が首つり自殺をしたことが載っていた。
その原因が、母親の糖尿病や脳梗塞などの病気と、家庭の貧困で、
毎日の家事もその少年がこなしていて、
母親の看病で学校も休みがちだったそうだ。
そんな中の将来に希望が持てなくて自殺。

いやーなんだろうね。この気持ち。

確かに中学生にはキツ過ぎる現実なんだけど、
もう少し生き続けていれば何か見えたんじゃないか、
なんて思うのは勝手過ぎる言い分だろうか。
趣味が読書だったのだから、本からなにか生きるヒントというか、
希望みたいなものは見出せなかっただろうか。
日々の現実が、日常が、活字の世界に勝ったのかもしれない。
中学生にとってみれば、いくら読書が好きな瞬間があっても、
現実のほうが圧倒的なリアルで迫ってくるし、受け止めてしまう。
大人みたいに逃げたりしない。逃げられない。

しかし、そうなったら文章の負けだ。
言葉なんて所詮そんなもんだ。無力だ。

よしもとばななだったか、
たしか、自殺する人が減るようにと思いながら書いている、
と、どこかに書いていた。

人の精神には色んな次元がある。
家族と関わる時間、漫画を読む時間、テレビを見る時間、友達と話をする時間、
全部、自分の違う世界で、一回の人生でも、
様々な次元を行き来することになる。
だから、家族と過ごす時間や、現実に襲いかかる不幸なこととは、
違う次元を自分の中に創りだして、
その両方を自在に行き来できるようになれば、
随分精神的に楽になるのだけど、
中学生にはまだなかなか難しいテクニックなのだ。
分裂症気味と言われてしまったとしても、
それはそれで生き抜く為の知恵である。
しかし生きてみて面白い事があるかどうか、
それは、その人次第なのでなんとも言えないのだが。

世の中のあるとあらゆる不幸と思われる事情は、
真に受けたら終わりである。
ということに気がつく。
ただひたすらに自分を追いつめるだけだ。
ちょっと頭悪いぐらいになって、
ヘラヘラしてゆるくこなしていると、
不幸というやつはどこかに逃げていくらしい。

きっとそんな風にして人間を試しているんだと思う。
誰かが。

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