図書館に来ている。
調べものをしようと思い、本などを検索し、
管理ナンバーをメモし、図書館の中を彷徨い歩き、探すのだけど、
いっこうに見つからず、どうしようもないので、
その周辺にある本数冊を適当に手に取り、机に座り読む。
とたんに眠い。
どうしようもない眠気に襲われ一体なにをしたかったのか、
よくわからなくなっている。
「宇宙時代の科学的古事記正解」
なんて本をパラパラとめくるが、
昭和30年代にこんな変態的なことを考えている人が、
いたんだなぁ、と感心するのと同時に、
わけのわからない単語の羅列の中に吸い込まれていく
ような感覚に陥る。
また、図書館にくると、様々な種類の本が膨大にそこにあり、
よくぞここまで情報を文字に化かしたなーと、
人類の努力を讃える気持ちと同時に、
途方も無いな全く、なんて徒労感に教われたりもする。
反対の事柄が自分の中で起こって同時に進行していく。
入り口にあった「現代詩手帖」なんかを手に取り、読んでみる。
世の中にこんなにも詩人という種類の人間が存在し、
ぽつりぽつりと、言葉の海の中を泳ぐことを生き甲斐としている人たちが、
いることに驚く。
外界との接続を最小限にして、
内側にのみ耳を澄ます、という行為は賛同する。
外の世界と内の世界がバランスよく取れてくると、
うまく周囲が動いてくれる。
そんな風にしてひとりひとりの世界が常に流動的に動いている。
世の中にどんなに仕事の種類が増えたとしても、
ひたすら内側にしか興味が無い種類の人間の絶対数というのは、
変わらないのではないかと思う。
言葉と人間。
音と人間。
絵と人間。
世の中の喧噪から離れた場所での、
表現することの深遠さは、ますます深まる一方だ。
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