2011年2月18日金曜日

図書館

図書館に来ている。
調べものをしようと思い、本などを検索し、
管理ナンバーをメモし、図書館の中を彷徨い歩き、探すのだけど、
いっこうに見つからず、どうしようもないので、
その周辺にある本数冊を適当に手に取り、机に座り読む。
とたんに眠い。
どうしようもない眠気に襲われ一体なにをしたかったのか、
よくわからなくなっている。
「宇宙時代の科学的古事記正解」
なんて本をパラパラとめくるが、
昭和30年代にこんな変態的なことを考えている人が、
いたんだなぁ、と感心するのと同時に、
わけのわからない単語の羅列の中に吸い込まれていく
ような感覚に陥る。
また、図書館にくると、様々な種類の本が膨大にそこにあり、
よくぞここまで情報を文字に化かしたなーと、
人類の努力を讃える気持ちと同時に、
途方も無いな全く、なんて徒労感に教われたりもする。
反対の事柄が自分の中で起こって同時に進行していく。

入り口にあった「現代詩手帖」なんかを手に取り、読んでみる。
世の中にこんなにも詩人という種類の人間が存在し、
ぽつりぽつりと、言葉の海の中を泳ぐことを生き甲斐としている人たちが、
いることに驚く。
外界との接続を最小限にして、
内側にのみ耳を澄ます、という行為は賛同する。
外の世界と内の世界がバランスよく取れてくると、
うまく周囲が動いてくれる。
そんな風にしてひとりひとりの世界が常に流動的に動いている。

世の中にどんなに仕事の種類が増えたとしても、
ひたすら内側にしか興味が無い種類の人間の絶対数というのは、
変わらないのではないかと思う。

言葉と人間。
音と人間。
絵と人間。

世の中の喧噪から離れた場所での、
表現することの深遠さは、ますます深まる一方だ。

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