2011年2月1日火曜日
マイリトルポニー
「家系図カッター」をも一回読み返してみる。
なぜか最初読んだときよりも泣きそうになる部分が増えていた。
色々おもうことはあるのだけど、そのまま通り過ぎて行く感情も多く、
なんとか掴まえた部分を3つ挙げることにする。
①増田セバスチャンという人物について。
彼の様々な側面をおもう。
宗教的観念、商売気質などが彼の先祖の中に見て取れる。
彼がディレクターを努める6%dokidokiのホームページを観たところ、
「センスがいい」ではなく、
「商売うまそう」というのが滲み出ている。
純粋な芸術家というよりも、やはり、
なにか人の心を捉えたり惹き付けるものを見出して、
商売をする才能があるように思う。
それだけの範囲に収まり切れない圧倒的スケールの世界も感じられる。
そして改めて思ったのは、
ポップルズとマイリトルポニーは有無を言わさずかわいいということ。
②ミドリという人物について。
増田セバスチャンが付き合っていた彼女なのだけど、
最後の別れ際がなかなか興味深い。
「小説家になりたい。」とか「アメリカに行きたい。」
という言葉を出したのは男を試したに違いない思った。
暗に「私とお店どっちが大事なの?」
と、聞いているのだ。
きっとずっと我慢し続けていたのだろう。
本当はそんなに寛容じゃない自分を隠しながら、
それでもいつか振り向いてくれるに違いないと思っていたのだ。
きちんと自分を愛して欲しかった。
増田セバスチャンが結局お店を選んだあとの、
彼女の暴れぶりはなかなか凄まじいものがある。
私なんかはプライドが邪魔をして他人にぶつけることが出来ない。
しかし、ちんけなプライドや理性を吹き飛ばして、
平気で嫌がらせをやってのけるタイプの女の人は確実にいる。
そしてそういうタイプに好かれる男の人もいるのだ。
増田セバスチャンのように圧倒的な才能を持つ人に多いのだとおもう。
③育児放棄について。
結局この本に惹かれるのは、
私自身も「育児放棄された」という少なからず意識があるからだと思う。
つまり、私も「育児放棄する可能性」がある、ということだ。
ネグレクト予備軍。
母親はよくこんな風に話す。
「私は放ったらかしで育てられたのよ」と。
軽く話すけれど、それを少し恨んでる風でもある。
たったひとりの時間にどれだけ深い闇の中に入ったのかは
想像するしかないけれど、きっと軽い感情では済まなかっただろう。
増田セバスチャンの家ほどの壮絶さはないけれど、
壊れた家庭内に充満する空気感にリンクするものが少なからずある。
お金でなんでも解決しようとするところや、
子どもにそんなに関心がないところ。
他にも色々思い出す部分はある。
「どれだけ老後一人で寂しい思いをしてしまうとしても、
そこにある孤独は甘んじて受けなければならない。」
時々そんな風に思うことがある。
子どもを産み育てるということ。
そのことをもっと真剣に考えるべきなのだろう。
自分の生い立ちに自信がない人間は、
子どもを産む前に、見たくもない事実にきちんと
向き合わなくてはならないのだ。
そうしないと、悲劇は何度でも繰り返されるのだろう。
そして、そんな風に育児放棄のことばかりを考えてしまう私が、
なぜか地元の子育て情報誌のお手伝いをしているのだから、
なかなか因果が複雑だ。
割り切れない何かがあるのかもしれない。
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