2011年4月29日金曜日

ロイヤルウエディング

「ハリーポッターの世界だ!」
と、母親と興奮しながらイギリスからの生中継を眺めていました。
まるでおとぎ話の中のよう。イギリスすてき〜。
そして外人の子どもはやっぱりかわいすぎる。
この感じは日本に無いなぁ、と思いながらうっとりした。
寺院とか、馬車とか、ドレスとか、まぁ、いちいち似合うこと。
あの感じは真似したくなるけど、
アジア人は絶対真似したら駄目だと思う。不釣り合いでみっともない。
次はヨーロッパ人に生れ変わりたいなぁ。
でも今は日本人なので日本人を満喫しようと思う。
日本人は日本人でおもしろいからね。

最近このブログでもアップした安全ちゃんの動画と、
いとうせいこうの動画を頭の中で比較していた。
安全ちゃんの言う事の方が突き動かされるものがある。
いとうせいこうは、やっぱり独裁者っぽくて、
上から押さえつけるような言い回しで、
あんた何様だ、という感情が湧く。
うーん、これも時代だよな。

「江頭2:50のピーピーピーするぞ!」の中の、
映画評論のコーナーでエガちゃんが「悪人」を紹介する回がすごい。
エガちゃんが一人で妻夫木聡と深津絵里と満島ひかりの演技をしてるんだけど、
それがめちゃくちゃ巧くてびびった。
訛りが完璧なんだけど、エガちゃんの地元らしい(佐賀)。
うーん、やっぱり改めて「悪人」って映画について考えた。
地方の生活、現実、それがすごくリアルに表現されてるんだよなぁ。
私も知ってる。あの田舎の風景。
国道沿いに立つ紳士服店、寂れたラブホテル、貧しい漁村のあの感じ。
のどかな田舎暮らしも、視点を変えたら、
敏感で有能な若者たちの都会への流出によって、
残された老人たちだけが作り上げてる隔離された世界だ。
「子どもは親を簡単に捨てる」そして「親も子どもを簡単に捨てる」
そんな事例が多くなっている時代なんだと思う。
結婚をしたとしても、離婚をして簡単に相手をチェンジできるようになっている。
私たちが産まれて、出会って、家庭を作って、
子どもを育てるという根源的で単純で当たり前の作業が、
ものすごく薄っぺらくて、低能で、下品なものになっている気がする。
出会いの仕方や、結婚する動機がなどからして、なにか軽い。
結婚式がビジネスとなっていて、
若い女達は素敵なウエディングドレスを着ることで、
自分がお姫様になることを目的とし、
もっと根源的な何かに対する意識が欠けている。
私は全部なくなってしまえばいいと思うことがある。
そしたら多分思い出せる。
人間が生きているということ、子どもを産むということ、死ぬということ。
いつも深くて遠い宇宙と繋がること。
つまりカミサマの存在を抱えながら生きること。
そのことさえ出来れば、人間はいつだってしあわせな生き物なのだと思う。
現代の日本の生活でそのことを実践する事はとても難しい。
でも、実践し続ける価値はあるのだと思う。
何の話しかよくわからなくなったけど、
下の動画はエガちゃんが「悪人」を紹介している動画。
3:40ぐらいからどうぞ。

2011年4月28日木曜日

問題があります

「サブカル界の水島ヒロか!」
というツイッターで回ってきたツッコミには笑った
星野源のゴシップネタ。
私がエガちゃんにウツツを抜かしている間に、
と思うとまた切ないものがあります。
いやーなんか久しぶりに異性に心をかき乱されました。
そわそわしすぎて、友達に陰湿なメールを送りつける始末。
そして暇な私は買い物ついでにさっそくスーパーに行って、
噂の女性誌をチェックしてきましたよ。
「ああ、もう私完全にただのおばちゃんだわ」
と、そのとき悟りました。
タレントの私生活に一喜一憂して、
何してるんだろうという異様な虚無感に襲われました。
今までずっと雲を掴んでいたような感覚。
何も無い。何も残らない。
人というのは夢のような刹那の生き物。
そして私はただ存在しているだけの生き物。
生きているという質量というか厚みが圧倒的に足りない。
毎日隙間だらけで、パソコンに思ったことを言葉にしてカチカチ入力して、
ほんとそれだけ。
それだけの人生。
というのは言い過ぎだけど、
常に物足りない。
かと言ってむやみやたらと働きたい訳でもない。
なんだこれ!ワガママ!惰性!なまけもの!
という感じで人生をまざまざと振り返るきっかけになりました。
茫然自失となったところで、
佐野洋子さんのエッセイ本「問題があります」を読む。
なんだかすごくニュートラルな自分に戻してもらえた。
昨日のディープピープルという番組で、
梅佳代さんが女性の美しさについて、
「おばさんの無敵な感じが好き」と言っていて、
篠山紀信さんやホンマタカシさんはもっと男性の夢の中のような事を、
言っていて「ああ、それだけ男と女では感じる部分や見ている部分が違うんだな」
と思った。
もちろん男性的には女性の魔性というか妖艶な世界を見たいのだろうけど、
女性というのはおばちゃんの無敵な感じがあってなんぼだと思う。
ゲラゲラ、ぎゃはは、と笑うあの感じ。
あの世界が世の中にある限り地球は大丈夫だとおもえるほどだ。
これからは、そういう女を目指したいなぁ。

猫とカラス

昨日の土砂降りの雨の影響か、
我が家で飼っている白猫が尋常じゃなく薄汚れていた。
タオルで手荒にふいてみたら怒ってきた。
そして最近猫のエサ目当てに我が家にカラスが集まってくるようになった。
2、3匹はいて外がギャアギャアうるさいなと覗いてみると、
カラスがエサの取り合いでケンカしていた。
その間猫は知らんぷりをしている。
多分カラスのほうが強いのだろう。
そういえば岡本太郎がカラスを飼っていたという話をしていたけど、
確かにカラスというのはなんとも言い難い魅力があるように思う。
飼いたいとは思わないけど。

ネットで注文した組み立て式ラックが届いた。
7kgある段ボールを2階にあげ、
封をしてあるガムテープを剥がして、
部品を出して「よし組み立てよう」と思ったら、
穴が本来開いているはずの場所に穴がなくネジを入れることが出来なかった。
つまり不良品だった。
さっそく注文した会社に穏便に電話をしたところ、
速やかに交換してくれることになった。
一度だした部品を再び箱にしまい、封をして、一階におろした。
なんとも言えない徒労感だった。

GINZAでの連載がはじまった「安全ちゃん」をググってみたら、
すげーおもしろかった。
文章がいちいち冴え渡っていて、サブカル界の申し子だと思った。
女の子でこんな風に言葉を操れる人はそうそう居ない。
言葉のボキャブラリーもインテリ層の男性受けもしそうだし、
かつ女性から見ても好感が持てるのがすごい。
20代ということで私と同学年だったら面白いなとおもう。
やっぱり1982年組は変態が多いということで。
あれ、ていうか、もしかして私今年29歳?
うわーすごー。
来年30歳?
うわー。
私たちの感覚でさえ古くさく思えてくる時代がくるんだろうな。
昨日のNHKの「ディープピープル」の篠山紀信さんが、
「時代は新しいものを次々と産む。それを撮っていきたい。」
というようなことを言っていたのだけど、
確かに時代というのはくるくると回っている。
時代に標準に合わせ続けるにはエネルギーが居るし、
なんだか虚しくなるものもあるけれど、
新しい価値観を瞬時にかぎ取り、呼吸していくのは、
飽きることのないことでもある。
安全ちゃんの政治や経済に対する感覚は、
まさしく女性ならではのものがあるし、
ああいう風に石原慎太郎を捉えて、安全ちゃんなりに変換して行く作業が、
今ものすごく必要だったりするんだろうと思う。
じわじわと時代は動めいている。
その空気を感じ取り構築してく人間だけが生き残っていく時代で、
情報による精神的サバイバルゲームはこれからも続いて行くんだろう。

豆板醤と土砂降りの雨とライブ

豆板醤て我が家には置いてない調味料のひとつなんだけど、
そろそろ取り入れてみようかとおもっている。
そんな一日。

今日はライブに出掛けた。
伊勢のおはらい町にあるカップジュビーというお店の店長の、
外村伸二さんがCDを出したのでそれのレコ発ライブ。
相変わらずギターの音色は心地よく、
フィドルや、ハーモニカや、ウッドベースも気持ちよかった。
私は全然音楽に詳しくないし、知識の浅い人間だけど、
外村さんの曲には、高田渡とか、
ジム・オルーク的要素を勝手にちょっとずつ感じたりしている。
外村さんの音楽を聴いている間ずっと自分の事を考えていた。
なんとなくそういう音楽だ。
というか私は音楽を聴いてる間自分の事しか考えてないかもしれない。
「私はミュージシャンじゃない」と、最近よく思う。
そもそも楽器が何一つできないので当たり前である。
当たり前のことをよく考える。
ミュージシャンというのはミュージシャン脳というか、
ミュージシャン体質があるように思うのだけど、やっぱり私はそうじゃない。
音楽は好きだけど、音楽以外の事もかなり好きだし、
ものすごく下世話というか、下品だったり、残酷だったりすることが好きで、
つまり美しい夢を長く見続ける事が出来ない。
それから人とあんまり仲良く出来ない。
他人に対して心を広げる幅が狭い。
偏愛するし、苦手な人がたくさんいる。
とにかくミュージシャンというのは「いい人だなぁ」と思うのだ。
いい人で居ないとミュージシャンをやることが出来ないというのもあるんだろう。
時々そんな姿をみていると息苦しくなる。だから無理だ。

自分の事はさておき、外村さんは伊勢に帰ってきて、
伊勢での暮らしや生活をブルースにして歌っている。
田舎から都会へ、そして田舎に戻る。
その経緯は私も体験している部分なので非常に共感できる。
少年の頃に見た原風景、遠い記憶、
外村さんの体内から自然発生的に漂っている世界には、
限りなく無垢で純粋なものを感じる。
ふんわりと優しく流れている世界を、
外村さんの声と言葉とメロディでとても丁寧に描かれていて、
私が感じ得る外村さんの本質的な部分はそういう所にあるのではないか、
と勝手に考えている。
というか、私の中にもあるんであろう無垢で純粋な世界と共鳴するので、
外村さんの音楽について考えるとき、
その世界が浮き彫りになるのだと思う。
もちろん他にも外村さんの世界は多面的に広がっており、
それを表現されているのだけど、
私はギターの音色にも現れているその純粋な世界にいつも反応している。

それにしても人というのは、本当に様々な顔を持っている。
キラリと光っているその世界を埋もれさすのは常にその人自身だ。
その人の中で一番美しい部分を、なんとか拾い上げて、
常に眺めることが出来たらいいのだろうけど、そうはいかない。
なぜなら人は煩悩の塊だからだ。

2011年4月27日水曜日

ドラキュラ


「ぼくのエリ 200歳の少女」を観る。
タイトルもさながら出てる子どもがかわいかったので借りてみた。
「キックアス」に続きこれも残虐なシーンが多くて、
うわわ、となり、目を伏せたり、早送りにしたりした場面が多数。
でもやっぱり子どものやりとりはかわいいし、
服装とかいちいちおしゃれだし。それだけで満足した。
それにしても、どうやら原作を読むとエリは少女ではなくもともと少年らしい、
ということが発覚。
うーん、最近思ってた、
「男でも女でもない生き物」ってドラキュラだったんだ、となんか妙に納得。
しかも近々アメリカのリメイク版が公開になるらしく、
その主人公のドラキュラの女の子役はあの「キックアス」のヒットガール役の子。
不思議なことにいろいろ繋がっておりました。
予告編を観る限りでは映像の美しさとか、
子どものかわいらしさはスウェーデン版の勝ちだなぁ。


なんか見つけた動画。↓

ミーアキャット


どうも、こんにちは。
こないだ人生で初めてミーアキャットに似ていると言われた坂本です。
あごの無さ加減が多少似ているかもとおもいました。
五桂池にいるらしいので今度みてこようかと思います。

めっきりエガちゃんづいていて、
youtubeでいくらでもピーピーピーが観れてしまうので、
キリがありません。
それにしてもエガちゃんが好きで無職なんて、
いよいよまずいことになってきている気がするのですが、
わりと見てみぬフリをしています。
ピーピーピーで、エガちゃんの映画論評のコーナーがあるのですが、
「キックアス」という映画に珍しく高評価をつけていたので、
気になってレンタルしにゆきました。
て、どれだけエガちゃんに影響されとんねん、
というかんじですが、これはもうしょうがないです、エガちゃんですから。
「キックアス」はスパイダーマンでもなく、バッドマンでもない、
新しいアメリカのヒーロー物です。
冴えないただのオタクがヒーローに憧れて、
ネット通販で全身緑のコスチュームを買うところから始まるのですが、
このアメリカのオタクっていうのはどうして型が同じなのでしょうか。
くるくるの天然パーマに、ださいフレームのメガネ、そしてネルシャツ。
完全に「バス男」を彷彿とされましたが、
「バス男」よりは男前でした。
途中でゲイに間違われるアクシデントがありつつも、
結局イケてる女の子とくっつくし。
そして見逃さなかったのが、マウンテンデュー。
「ソーシャルネットワーク」にも出てきた、
オタク小道具のひとつとしてもはや確立されつつあるマウンテンデュー。
(そういえばソーシャルネットワークの主人公も頭くるくるだ)
なによりこの映画で一番かっこいいキャラクターが、
クロエ・グレース・モレッツが扮するヒットガール。
実はこの女の子は「500日のサマー」で主人公にアドバイスしているあの女の子。
ほんとかっこいいんですよ。これが。
ただR15指定だけあって、残虐なシーンが満載で怖かったんだよなぁ。
「キルビル」いける人だったらいける。
紫のカツラがかわいい。
予告編でも貼っておこう。



曲はMIKAってのがまた完璧ですよね。
We are youngってのがもうゴリ押し。

2011年4月26日火曜日

エガちゃんに学ぶ

コバルトヤドクガエルくんです

昨日は馴染みのアクセサリー屋さんに行ったり、
ハローワーク(職安)行ったり、
ブックオフ行ったり、なんか思い出したり、忘れたり、
缶ビールと新種のポテトチップスを食べたり、
ニコニコ動画で「江頭2:50のピーピーピーするぞ!」を見たりした。
そして今朝は狂ったように掃除をした。
テレビしか観ない生活を送っている母親を見ていると、
「体は動かせるうちにちゃんと動かさなくては」と、
変な汗が出るほどの強迫観念に襲われるのだ。
母親は私が知っている人間の中で一番の駄目女である。
この私が「駄目だ」と思うということは相当駄目だということだ。
一番の駄目女のすぐ側で暮らしていて、
しかも一緒に生活をしているとなるとこれは尋常ではない恐怖感である。
「駄目人間」が放つ負のエネルギーに吞み込まれていく。
駄目人間の棺桶に片足を突っ込んでいる。
生きながらも、じわじわと首を絞められているような状態。
そういう日々。

馴染みのアクセサリー屋の女の子に、
「八丈島に行くんだ。メンバー私以外男子なんだけどね。」
と話をしたら、
「まわされにいくの?」
とサラっと返してきた。
そういう感じになるのか。そんなダイレクトにそうくるか。
とビクビクした。
本当にいよいよ私が女であるという事が呪わしくなる。
なんか死にたい。誰も悪くない。がこの不条理さはなんだ。
さわやかに、どこまでもさわやかに、そして子どものような無邪気さで、
私は旅行を楽しもうと思っているし、
そういう男と女のぐちゃぐちゃした感じを一切排除した、
世界を見ようと思っているのに、
大人になればなるほど、男と女のぐちゃぐちゃな世界がインプットされる。
もちろん私も知らないわけではないが、
無性にそういう世界を嫌悪したくなることがある。
男でもなく女でもない生き物になりたい。

佐野洋子さんの「100万回生きた猫」の内容が気になったので、
ブックオフで買った。
子どもの頃読んだ事あったのだけど、
何がおもしろいのかよくわからなくて、
改めてこの歳になって読んだらすごくいい内容だった。
西原理恵子さんの世界と通ずるものも感じる。
そういえば、リリー・フランキーさんと西原理恵子さんと佐野洋子さんの、
対談本もあったので今度読んでみようと思う。
なにか似ている3人なのだろう。

家に帰ってビールとポテトチップスを食べて、
ニコニコ動画で「江頭2:50のピーピーピーするぞ!」を観る。
江頭2:50は結構前から絶対いい人だな、と思っていたのだけど、
最近はそれが顕著に現れてきていてみんなからも認められてきてうれしい。
エガちゃんの存在の有り様とうか、生き様というのは、
本当に常に全力でやっていて、目のつけどころというか、
アポなしでどこかに出掛けるときなどは神懸かり的なものがある。
パナウェーブとか、福島とか、北朝鮮から砲撃を受けた韓国の延坪島とか、
とにかく、「そのタイミングでそこに行くか?」ということを、
現実にやってしまうのがすごいとおもう。
何も計算せずにとにかくやってしまおう!とう純粋な気持ちや、
「ああ、この人ほんとの本気でやってるんだな。」という気迫が伝わってくる。
そういう姿には圧倒される。
どうしようもない下ネタや、本気で気持ち悪い事や、
他人が嫌われるようなことも知っていて、
でも躊躇することなく、どんどんやってしまう姿なども、
ちょっと泣けてしまうぐらいだ。
もちろん本人は他人からそんなことされたら終わりだと思ってるんだろうけど。
エガちゃんがこの世界でほんとにやりたかった事や、
言いたかった事は、きっと彼がこの世を去った時に伝わる。
でも解る人はちょっとずつ解ってきているんだろう。
とは言え、近くに居たら迷惑だけど。
エガちゃんを見てる途中でホンマタカシなど、
写真家さんが出てるテレビがやってることに気がついたけど、
エガちゃんを見続けてしまった。
というか、エガちゃんの世界からホンマタカシさんの世界に、
どうしても入って行きづらかったのだ。
水曜日に再放送があるということなので、
忘れずにチェックしよう。