2011年7月26日火曜日
メトロポリス
DE DE MOUSEのMVに影響を受けて、
久しぶりに「メトロポリス」を観ました。
大学生の頃、一度観たことがあるのですが、
ラストに号泣してしまい、ものすごく印象に残っていて、
久しぶりに観たらやっぱり泣きました。
原作が手塚治虫で、脚本が大友克洋という、
日本アニメ映画史に残るべき作品なのですが、
国内での評価がとても低い。
確かにストーリー展開が薄っぺらくて雑な感じではあるけど、
映像は緻密で非常に美しいし、
なによりティマがめちゃくちゃかわいい。
そして見終わった後に「ずーん」と心に残るものがある。
崩壊する場面も、レイ・チャールズの
「I CAN'T STOP LOVING YOU」という曲が思い切って使われていて、
それによって崩壊の悲壮感が緩和されているし、
よりぐっと伝わってくるものもあるし、
歌詞もけんいちの心情にぴったりなのだ。
音楽が映像とちぐはぐと言われているけど、
私はあえてあの場面に軽快なジャズが流れているからこそ、
少し救われた気持ちになるのだと思う。
やっぱティマがかわいいというのが大きいな。
昨日のハリーポッターでもそうだけど私は子どもに非常に弱い。
どうもピュアな生き物に反応してしまうらしい。
ティマはピュア度ベスト1位。
人間じゃなくてロボットというのがまたいいのだ。
2011年7月25日月曜日
南無阿弥陀仏
ASA-CHANGがいよいよいわき市で活動を始めた模様です。
詳細は上のリンクからみることができます。
いわき市の郷土芸能「じゃんがら念仏踊り」を練習中ということだけど、
ものすごくASA-CHANGらしいというか、
ASA-CHANGにしかできないというか、
至極真っ当で何ものにも代え難い、そういう表現だと思った。
ASA-CHANG&巡礼からタブラボンゴナイトに至るまで、
ASA-CHANGの思想というか祈りのようなものは一貫してそこにあり、
時々、私たち日本人はそれらを享受すべきアンテナを持っていなくては
いけないのではないかとさえ思う。
多種多様な理不尽なことが蔓延しているこの世の中で、
理不尽さに襲われた人間にとって、陽気で能天気な音楽は全くの無意味だ。
陽気で能天気な音楽は生きている健康的な人間の為にある。
言ってしまえば、どん底にいる人や死んでもうこの世に居ない人は
完全に無視されている。無かったことになっている。
音楽はそういった狭さであり冷たさがある。
しかし、ASA-CHANGはそういった音楽の狭さに風穴を作るみたいにして、
音楽活動を行っている希有な人物なのだ。
それは、軽くて、明るくて、前向きで、上昇志向を好む病気にかかっている、
多くの現代の日本人にとって受け入れ難い世界である。
しかし、もうそんなことを言ってる場合ではないどん詰まりのところに、
差し掛かっているのであって、
とにかく、多くの人間が希望に群がることにより、
絶望を量産しばら撒いていることは間違いないのであり、
あえて、絶望に飛び込んでそこから見える景色を発表する人間がいないと、
この世界は終わる。
いづれ終わる運命にある世界なのかもしれないけれど、
それを先に延ばすことはできる。
そこに意味があるのかは解らない。
ただ、人間という生き物の粘り強さであり、執念を見ることが出来る。
そもそもなぜこの世界を延命させたいのか。
この世とはなんなのか。
人間は常に闇との攻防があり、
押したり引いたりの綱引きを永遠にしているみたいな、
そんな感覚に陥る。
死んだ人の供養とはどういうことか。
津波に呑込まれた人間の無念とはなにか。
あ、わからなくなってきた。
そう、結局、命の根本、世界の根本は謎のままである。
根本は謎なのだけど、人間が勝手に創った概念の中で、
右往左往はできる。
右往左往し、その中で「これは」と思えることを、
自分なりに掬っていくしかないのである。
2011年7月22日金曜日
魔法少女⇔DE DE MOUSE
すでにブームは去っておりますが、「魔法少女まどか☆マギカ」
数ヶ月前テレビでアニメ放映をしてた頃、
いい大人達が夢中になっていたようで、
その頃からすごく気になっていたのだけど、
いかんせん三重県ではテレビの放映も無かったし、
気になりつつも踏み込んでいませんでした。
しかし、今回とあることがきっかけで漫画を手にして読んでみたところ、
大人が夢中になるのも頷ける、ものすごく深ーい内容の作品でした。
「涼宮ハルヒの憂鬱」でもかなり衝撃を受けたのですが、
この手のヒットする漫画やアニメというのは、
やっぱりそれなりに素晴らしい作品なのだと思いました。
数ヶ月前、とあることがきっかけで精神的なダメージを受けて、
じわじわと落ち込んで、すでに治りつつはあったのですが、
まだ後遺症の中にいた私の気持ちに、
ひとつの回答を得たような気がします。
「誰も何も悪くなかったんだ」という確信。
私はやっとそれを心の底から手に入れることが出来たように思います。
「魔法少女まどか☆マギカ」のおかげで。
作品との出会いは新しい人生との出会いでもあります。
そういう深い作品に出会えたことに、深い喜びを感じて、
やっと一歩前に進めたような、そんな充実感を得ることが出来ました。
ハルヒにしろまどか☆マギカにしろ、
オリジナリティ溢れる壮大な宇宙観はほんとうに素晴らしいです。
「エヴァンゲリオン」や「時をかける少女」のニュアンスもあります。
ところでDVDがまだレンタルしてないのはなぜなのだろう。
アニメのクオリティがほんとうに素晴らしいらしいので、
レンタル開始したら是非みてみたいと思います。
で、「魔法少女まどか☆マギカ」読み返しながらネットしている時に、
ふと出会ったのがDE DE MOUSEです。
名前は知っていたのですがちゃんと聴いたことなくて、
youtubeを何気なく開いてみると、
久しぶりに、どかーん!とハートを持っていかれました。
頭の中がまどか☆マギカでいっぱいだったので、
また余計にしっくりきてしまったようです。
りんご音楽祭に出演予定らしいので、
これまたかなり楽しみになってきました。
とりあえず動画はりまくります。
DE DE MOUSE最高じゃ〜!
2011年7月15日金曜日
東進のCMがおもしろい件
「サイタマノラッパー2」を観た。
今回もすごくおもしろかった。笑えるしちゃんと泣ける。
安藤サクラが出てて「借金」とか「不渡り」という台詞を、
ラップに乗せていたのだけど、それがすごく似合っていた。
いやー、彼女はドスきいててほんとすごい。
そもそも20代後半って辺りで、もうどんぴしゃな訳ですよ。
「川の底からこんにちわ」もだけど、
世の中における映画ならではの現実感というか、そういうのが半端ないと思った。
映画の役割ってこういうことかー、と感心するような。
素晴らしいです。ほんとうに。
そして「サイタマノラッパー」を観るたびに、
スチャダラパーの偉大さを改めて再確認させられる。
ラップをあそこまでオリジナリティ溢れる世界観で、
洗練させることに成功できたのはスチャダラパーだけだろう。
いやー、ほんとすごいよ。
りんご音楽祭がますますたのしみだ。
(実は去年なにげにスチャダラパーを3回ぐらい観ている。)
続いて「サガン〜悲しみよこんにちわ〜」。
サガンの本て実はちゃんと読んだことないのだけど、
私はカポーティもしかり、昔の外国の作家の生き様が好きなのである。
しかも途中で破滅する型の作家。
今の時代そんな作家はいない。
みんなそれなりに巧く、楽しく、人生を送っている。
すでにそういうコツを掴んでいる。
作家や芸術家が薬やお酒に溺れるなんて古臭くて、ナンセンスなのである。
サガンはそういった今やナンセンスな破滅的な人生を送っている。
どこまで事実に忠実なのかは全く知らないけれど、
すごく賢くて、すごく駄目なのだ。
すごく賢い人は、すごく駄目にしか生きられないのだと思う。
人生とは不思議なものでそんな風に出来ているのだ。
サガンの人生を観ていると、西原理恵子がチラチラと頭に浮かぶ。
もちろん西原氏にはサガンほどの繊細さや、
アンニュイな部分はあまり感じられないが、
ギャンブル好きなところなど、破天荒ぶりはかなり近いのではないかと思う。
カポーティであり、サガンであり、
彼、彼女らの自在感はかなり共感する。
それゆえにあまりにも繊細な部分も。
いたずら好きの愛されるべき人たちなのだけど、
最終的に誰からも愛されることがない。
誰よりも愛を求め、そして誰よりも愛を恐れ、
愛を避けるようになるのだ。
不思議だけど、そういう風にできている。
あと、この映画はファッションも素敵なので注目です。
それから、カポーティもしかり、役者の演技が素晴らしいです。
友人が東進のCMの真似をよくしているので、
気になってなんとなく見返してみたところ、
やっぱすごくおもしろかった。
はねトビのメンバーもパロってたのね。
この人たち変だよなーどう考えても。
2011年7月14日木曜日
まどろむとある午前
怪我をしたときに病院で刈られた下半身の体毛が、
まだ生え揃わない我が家の猫ちゃん。
元気に昼寝をしています。
チョンさんが死んだことを知った日の夜から、
なぜか私の横で寝るようになりました。
「うちらもいずれ居なくなるんだしそれまで仲良くやろうぜ」
というような、そんな気持ちが聴こえてくるようです。
まぁ、とにかくかわいいです。
昨日注文していた一人用テントが届きました。
汗だくになりながら畳の上で一人で組み立ててみました。
なんとか組み立てられましたが、
この作業を強い陽射しの中でやるのかと思うと、ぞっとしました。
今なんとなく色々なことが止まっている状態。
いや、意識の底のほうでは動いているのだけど、
視覚化できないようなそんな状況。
昨日も22時過ぎにはベッドに寝っころがったし、
今日もなんとなくぼんやりと過ごしている。
空の青さに感動したり、
時々窓から吹き込んでくる風に、はっ、としたり。
瞑想し放題。
昨日の田口ランディ×飴屋治水×大友良英のイベントがどうだったかが気になる。
そういえば、こないだ朝まで友達と呑んでたときに、
ある一人の友人から「君はもったいないことをしている」と言われて、
ああ、確かに全部駄目にしているなぁ、と思ったりして、
その一方で、横に座った大卒フリーターのうだつのあがらない男子に、
すげー体触られたり、下ネタ連発されたりしていて、
確かにこの場にいることがもったいないなぁ、と思ったりしたけれど、
きっとこのセクハラ男子は日々の色々な鬱憤を、
無抵抗そうな女のような曖昧な存在に発散しているんだと思ったり、
男のそういう馬鹿馬鹿しさというか、くだらなさというか、可哀想さを思い、
男に対して激しく嫌悪しながらも、
やはり何も抵抗できずに居た自分の不甲斐なさ、
というか、奇妙な優しさと残酷さを思った。
2011年7月13日水曜日
チョンさん
7月5日、私はチョンさんに出会いました。
チョンさんは私がよく遊びに行っている雑貨屋さんに居ました。
いつも通りそのお店に行くと、
きよみちゃんのお腹でタオルに包まれて寝ていました。
それはそれは小さな子猫でした。
きよみちゃんは私にすぐに私にチョンさんを抱かせてくれました。
細くて、軽くて、私はまるで鳥みたいだと思いました。
そんな子猫でした。
7月1日にチョンさんはお店の近くで倒れていたのを保護されました。
保護したのはいいけれど、風邪もひいているし、
弱っているし、やせ細っているし、すぐに病院に連れて行って、
点滴をしたら少し回復したそうです。
きよみちゃんはチョンさんを育てる決心をしました。
いつもチョンさんを仕事場に連れてきて、
ずっとお腹で暖めて、エサを与えていたのです。
きよみちゃんは本気で命を守ろうと思ったのです。
しばらく私はチョンさんを抱っこしていると、
チョンさんはもぞもぞと体を動かして、
とても痩せていて、弱々しくもあるけど、きちんと生きていました。
「私はこの子はだいじょうぶ」と思いました。
今は食欲はないけれど、きよみちゃんがしっかりと面倒を見ているし、
ちゃんと病院に連れて行ってもらって点滴も打っているし、
現にこうやって動いているし、チョンさんは時期によくなって、
大きくなるんだと思いました。
地面もたどたどしくも歩いて、ひとしきり鳴いたりもして、
ひなたぼっこをしたりもしていました。
その姿はほんとうに可愛いかったので、
はやく元気になって一緒に遊びたいと思いました。
バイバイと手をふって、私は店を後にしました。
昨日、猫のおもちゃを持ってお店に行きました。
絶対に元気に生きてることを疑わずに行きました。
きよみちゃんは「チョンさん死んでしまった」と泣きました。
チョンさんは一回だけ私に姿を見せてどこかに消えてしまったのです。
きよみちゃんと一緒に居たのは10日だけでした。
きよみちゃんはチョンさんが死んで行った経緯を詳しく説明してくれました。
やっぱりご飯が食べられなかったこと、急に具合が悪くなってしまったこと。
なにか不思議な気持ちがしました。
チョンさんと出会ったこと。
チョンさんがもう去って行ったこと。
私はきよみちゃんと色々な話しをしました。
地震の話しや仏教の話しもしました。
「私たち丈夫な体に産んでもらえてよかったよね」
という呑気な話しもしました。
チョンさんが夏の初めにやってきて、すぐに去って行ったこと。
そのことに私はたくさんの意味を見出そうとしていることに気がつきます。
チョンさんのことをたくさん考えて、
自然とチョンさんをすごく立派で神々しいものに仕立てようとするのです。
そこになんの意味があるのかはわかりません。
人間の勝手な心の慰めなのかもしれません。
ただ、生き物が死ぬ、命がどこかに消えていくということは、
何か心もとなく、悲しいことなのだけど、
どこかすごく安心できるのも確かです。
「どこに行っちゃったのかなぁ、チョンさん」
なんてつぶやきながら、私は確かにあの時チョンさんの存在を感じていました。
でも、もうチョンさんは目に見える形ではいなくなりました。
そう、私たちはもしかしたら、目に見える形で過ごす為に、
ここに居るのかもしれないと思うのです。
目に見えるうちにやるべきことはやらなくてはと、
チョンさんはそんな思いをもたらしてくれました。
チョンさんありがとう。
きっとまたどこかでチョンさんを見つけるよ。
チョンさんは私がよく遊びに行っている雑貨屋さんに居ました。
いつも通りそのお店に行くと、
きよみちゃんのお腹でタオルに包まれて寝ていました。
それはそれは小さな子猫でした。
きよみちゃんは私にすぐに私にチョンさんを抱かせてくれました。
細くて、軽くて、私はまるで鳥みたいだと思いました。
そんな子猫でした。
7月1日にチョンさんはお店の近くで倒れていたのを保護されました。
保護したのはいいけれど、風邪もひいているし、
弱っているし、やせ細っているし、すぐに病院に連れて行って、
点滴をしたら少し回復したそうです。
きよみちゃんはチョンさんを育てる決心をしました。
いつもチョンさんを仕事場に連れてきて、
ずっとお腹で暖めて、エサを与えていたのです。
きよみちゃんは本気で命を守ろうと思ったのです。
しばらく私はチョンさんを抱っこしていると、
チョンさんはもぞもぞと体を動かして、
とても痩せていて、弱々しくもあるけど、きちんと生きていました。
「私はこの子はだいじょうぶ」と思いました。
今は食欲はないけれど、きよみちゃんがしっかりと面倒を見ているし、
ちゃんと病院に連れて行ってもらって点滴も打っているし、
現にこうやって動いているし、チョンさんは時期によくなって、
大きくなるんだと思いました。
地面もたどたどしくも歩いて、ひとしきり鳴いたりもして、
ひなたぼっこをしたりもしていました。
その姿はほんとうに可愛いかったので、
はやく元気になって一緒に遊びたいと思いました。
バイバイと手をふって、私は店を後にしました。
昨日、猫のおもちゃを持ってお店に行きました。
絶対に元気に生きてることを疑わずに行きました。
きよみちゃんは「チョンさん死んでしまった」と泣きました。
チョンさんは一回だけ私に姿を見せてどこかに消えてしまったのです。
きよみちゃんと一緒に居たのは10日だけでした。
きよみちゃんはチョンさんが死んで行った経緯を詳しく説明してくれました。
やっぱりご飯が食べられなかったこと、急に具合が悪くなってしまったこと。
なにか不思議な気持ちがしました。
チョンさんと出会ったこと。
チョンさんがもう去って行ったこと。
私はきよみちゃんと色々な話しをしました。
地震の話しや仏教の話しもしました。
「私たち丈夫な体に産んでもらえてよかったよね」
という呑気な話しもしました。
チョンさんが夏の初めにやってきて、すぐに去って行ったこと。
そのことに私はたくさんの意味を見出そうとしていることに気がつきます。
チョンさんのことをたくさん考えて、
自然とチョンさんをすごく立派で神々しいものに仕立てようとするのです。
そこになんの意味があるのかはわかりません。
人間の勝手な心の慰めなのかもしれません。
ただ、生き物が死ぬ、命がどこかに消えていくということは、
何か心もとなく、悲しいことなのだけど、
どこかすごく安心できるのも確かです。
「どこに行っちゃったのかなぁ、チョンさん」
なんてつぶやきながら、私は確かにあの時チョンさんの存在を感じていました。
でも、もうチョンさんは目に見える形ではいなくなりました。
そう、私たちはもしかしたら、目に見える形で過ごす為に、
ここに居るのかもしれないと思うのです。
目に見えるうちにやるべきことはやらなくてはと、
チョンさんはそんな思いをもたらしてくれました。
チョンさんありがとう。
きっとまたどこかでチョンさんを見つけるよ。
伊勢から江戸へ 後編
9日17時30分。
西船橋到着。
友人が主催をしているDJイベント、
「ポコニャンナイト〜オレンジ色のニクいやつ〜」
に参加するため会場のアジトというお店に向う。
大学生の頃から継続して開催しているこのイベント。
私はいつもわざわざ三重県から行くのである。なぜか。
なぜだろう。
友人達と話しがしたいというのもあるし、
音楽で盛り上がりたいというのもあるし、
都会における同年代の人たちの生き方というのを、
密かに調査している感もある。
ずっと参加しているので、突然参加しなくなるのもどうなんだろう、
という気持ちが無い訳でもない。
とにかく色々な気持ちが重なり合って、私は参加している。
というかそもそも酒を飲んで音楽で踊りはしゃぐという行為が私は好きなのだ。
それはそれは楽しいのである。
人間の根本である生きることの喜びみたいなものが、
わーっと湧き上がってくるのだ。
盆踊りであり、阿波踊りであり、沖縄のカチャーシーであり、
人間が音楽に合わせて踊るのは自然なことだ。
そういうことが出来る機会があるのがこのポコニャンというイベントで、
しかも音楽は知ってる曲が流れてくるし、
知らない曲でも安心できる選曲なので私はわざわざ足を運ぶのだろう。
この日もダフトパンクやくるりなど、
普段通りベタな展開をしつつも、
新しいネタなども仕込んであって楽しく盛り上がりました。
最後の最後、アンコールがAIRのLast Danceで、
それが今まで聴いてきた中でどんぴしゃでした。
そのあと朝まで近くの居酒屋で呑んだのですが、
4時過ぎぐらいからかなり体調が悪くなってしまい、
漫画喫茶で2時間ぐらい寝ました。
が、それでも回復せず、
慣れない寝不足と疲労と二日酔いで相当グロッキーな状態になり、
地面を這うようにしてなんとか東京駅八重洲口まで行って、
バスで帰ることが出来ました。
今回少しだけの上京でしたが、
いろいろあって楽しく過ごすことが出来ました。
次の週末から3ヶ月ぶりに働き出します。
テントとリュックを購入するので。
西船橋到着。
友人が主催をしているDJイベント、
「ポコニャンナイト〜オレンジ色のニクいやつ〜」
に参加するため会場のアジトというお店に向う。
大学生の頃から継続して開催しているこのイベント。
私はいつもわざわざ三重県から行くのである。なぜか。
なぜだろう。
友人達と話しがしたいというのもあるし、
音楽で盛り上がりたいというのもあるし、
都会における同年代の人たちの生き方というのを、
密かに調査している感もある。
ずっと参加しているので、突然参加しなくなるのもどうなんだろう、
という気持ちが無い訳でもない。
とにかく色々な気持ちが重なり合って、私は参加している。
というかそもそも酒を飲んで音楽で踊りはしゃぐという行為が私は好きなのだ。
それはそれは楽しいのである。
人間の根本である生きることの喜びみたいなものが、
わーっと湧き上がってくるのだ。
盆踊りであり、阿波踊りであり、沖縄のカチャーシーであり、
人間が音楽に合わせて踊るのは自然なことだ。
そういうことが出来る機会があるのがこのポコニャンというイベントで、
しかも音楽は知ってる曲が流れてくるし、
知らない曲でも安心できる選曲なので私はわざわざ足を運ぶのだろう。
この日もダフトパンクやくるりなど、
普段通りベタな展開をしつつも、
新しいネタなども仕込んであって楽しく盛り上がりました。
最後の最後、アンコールがAIRのLast Danceで、
それが今まで聴いてきた中でどんぴしゃでした。
そのあと朝まで近くの居酒屋で呑んだのですが、
4時過ぎぐらいからかなり体調が悪くなってしまい、
漫画喫茶で2時間ぐらい寝ました。
が、それでも回復せず、
慣れない寝不足と疲労と二日酔いで相当グロッキーな状態になり、
地面を這うようにしてなんとか東京駅八重洲口まで行って、
バスで帰ることが出来ました。
今回少しだけの上京でしたが、
いろいろあって楽しく過ごすことが出来ました。
次の週末から3ヶ月ぶりに働き出します。
テントとリュックを購入するので。
2011年7月11日月曜日
伊勢から江戸へ 前編
先週末、一瞬だけ東京と千葉に行ってきました。
その流れを記しておきます。
8日21時。
家出発。
8日23時。
名古屋着。
そこから夜行バスで新宿に向う。
9日7時。
新宿着。
17時まで時間が空いているので、
適当に買い物でもして時間つぶすかーと思っていたところ、
新宿駅に貼ってあったポスターで「密教・空海・曼荼羅展」を発見したので、
これでも行くかーと思いつく。
9日8時。
適当にファミレスで朝ご飯。
「今回の旅ではつぶやかない」と決めていたのだけど、
やはり手持ち無沙汰になりツイッターを開いてしまう。
文明の利器には敵いません。
そしてやはり性懲りもなくつぶやく。
とりあえずファミレスの劣悪な環境などを愚痴ってみる。
すると、思いがけない方から反応とお誘いがあり、
それに乗っかることにする。
まさにブログのタイトル名「人生なりゆき。」
9日11時。
調べた所「空海・密教・曼荼羅展」はまだ開催されておらず、
江戸東京博物館に行ってみる。
思いのほか広い博物館で、江戸〜東京の歴史が紹介されておりました。
東京というか江戸気分を満喫して、
いつの時代も物と人と情報が集結していて賑やかで、
ぐちゃぐちゃしているところなのだなー、とふらふら観ていました。
江戸時代の長屋住まいなど、
今のワンルームマンションと同じだと思いました。
まさしく今の東京は江戸から地続きで続いているもので、
その間に関東大震災とか、空襲とかに見舞われつつも、
変わらずに人が集まってくるところなのだと思いました。
その中でも皇居だけが広大な敷地に緑を蓄え、
東京なのに一切の穢れを寄せ付けずとても静かな空間を維持していることに、
驚きと神秘を感じました。
皇居を意識してしまうあたりに、
伊勢人としての感覚がいつの間にか培われているのかもしれません。
9日13時。
両国にてシタール奏者ヨシダダイキチさんと再会、シタール王子に初対面。
昨年鳥羽でユザーンさんと共にインド古典音楽を演奏しにきて頂いた、
ヨシダダイキチさん。
3月には松阪のカフェでヨシダダイキチさんがスルバハールという楽器を
演奏するイベントが行われそれを観に行きました。
で、そのときシタール王子という人の応援団を作っているという話しを伺い、
私と私の友人は鳥羽1号、2号と命名され、
シタール王子を応援している設定になりました。
で、私は今回そのことをすっかり忘れていたのですが、
ヨシダダイキチさんの提案により鳥羽1号として写真を撮り、
ブログに載るという流れになった次第です。
ほんと「人生なりゆき。」です。
そのときの様子はこちらで観れます。↓
http://ameblo.jp/sitaartah/theme-10034178371.html
なんか動画とか撮りました。
シタール王子の撮られ慣れぶりはさすがだと思いました。
なんか実際の石川さんとシタール王子というキャラ設定の間を
行ったり来たりする人間の心の揺らぎにカオスを感じました。
ちょっと自然と応援したくなりました。
で、宣伝もさせて頂きます。
アラヤヴィジャナ「火と薪」7月13日発売です。
ジャケかわいい。きちんとロビタもおります。
インド音楽と短歌を融合させているそうです。
これは買って聴いてみないとなぁ〜。
次の日、スーパーデラックスでユザーンさんとヨシダダイキチさんが出演する、
いい感じのイベントあったのですが、都合によって行きませんでした。
お前東京まで来といてなんだよ!って感じでなんか申し訳なかったです。
あと、ますます「こいつは一体何ものなんだ?」という不穏な空気を
発生させてしまい申し訳なかったです。
色々と申し訳ない気持ちを胸に抱きつつ、
西船橋編に続きます。
その流れを記しておきます。
8日21時。
家出発。
8日23時。
名古屋着。
そこから夜行バスで新宿に向う。
9日7時。
新宿着。
17時まで時間が空いているので、
適当に買い物でもして時間つぶすかーと思っていたところ、
新宿駅に貼ってあったポスターで「密教・空海・曼荼羅展」を発見したので、
これでも行くかーと思いつく。
9日8時。
適当にファミレスで朝ご飯。
「今回の旅ではつぶやかない」と決めていたのだけど、
やはり手持ち無沙汰になりツイッターを開いてしまう。
文明の利器には敵いません。
そしてやはり性懲りもなくつぶやく。
とりあえずファミレスの劣悪な環境などを愚痴ってみる。
すると、思いがけない方から反応とお誘いがあり、
それに乗っかることにする。
まさにブログのタイトル名「人生なりゆき。」
9日11時。
調べた所「空海・密教・曼荼羅展」はまだ開催されておらず、
江戸東京博物館に行ってみる。
思いのほか広い博物館で、江戸〜東京の歴史が紹介されておりました。
東京というか江戸気分を満喫して、
いつの時代も物と人と情報が集結していて賑やかで、
ぐちゃぐちゃしているところなのだなー、とふらふら観ていました。
江戸時代の長屋住まいなど、
今のワンルームマンションと同じだと思いました。
まさしく今の東京は江戸から地続きで続いているもので、
その間に関東大震災とか、空襲とかに見舞われつつも、
変わらずに人が集まってくるところなのだと思いました。
その中でも皇居だけが広大な敷地に緑を蓄え、
東京なのに一切の穢れを寄せ付けずとても静かな空間を維持していることに、
驚きと神秘を感じました。
皇居を意識してしまうあたりに、
伊勢人としての感覚がいつの間にか培われているのかもしれません。
9日13時。
両国にてシタール奏者ヨシダダイキチさんと再会、シタール王子に初対面。
昨年鳥羽でユザーンさんと共にインド古典音楽を演奏しにきて頂いた、
ヨシダダイキチさん。
3月には松阪のカフェでヨシダダイキチさんがスルバハールという楽器を
演奏するイベントが行われそれを観に行きました。
で、そのときシタール王子という人の応援団を作っているという話しを伺い、
私と私の友人は鳥羽1号、2号と命名され、
シタール王子を応援している設定になりました。
で、私は今回そのことをすっかり忘れていたのですが、
ヨシダダイキチさんの提案により鳥羽1号として写真を撮り、
ブログに載るという流れになった次第です。
ほんと「人生なりゆき。」です。
そのときの様子はこちらで観れます。↓
http://ameblo.jp/sitaartah/theme-10034178371.html
なんか動画とか撮りました。
シタール王子の撮られ慣れぶりはさすがだと思いました。
なんか実際の石川さんとシタール王子というキャラ設定の間を
行ったり来たりする人間の心の揺らぎにカオスを感じました。
ちょっと自然と応援したくなりました。
で、宣伝もさせて頂きます。
アラヤヴィジャナ「火と薪」7月13日発売です。
ジャケかわいい。きちんとロビタもおります。
インド音楽と短歌を融合させているそうです。
これは買って聴いてみないとなぁ〜。
次の日、スーパーデラックスでユザーンさんとヨシダダイキチさんが出演する、
いい感じのイベントあったのですが、都合によって行きませんでした。
お前東京まで来といてなんだよ!って感じでなんか申し訳なかったです。
あと、ますます「こいつは一体何ものなんだ?」という不穏な空気を
発生させてしまい申し訳なかったです。
色々と申し訳ない気持ちを胸に抱きつつ、
西船橋編に続きます。
2011年7月7日木曜日
三つ目がとおる
「三つ目がとおる」読み終えました。
手塚治虫氏の仕事にぬかりなし!という感じでした。
やはりインディジョーンズなどは、
手塚治虫氏の仕事にかなり影響されているんじゃないかと思います。
超古代文明ネタは好きです。
現代の文明がどこまで続くかは知りませんが、
今はその瀬戸際を迎えているように思います。
ただ自分のことだけを考えている人間が多いように思うので、
なかなか難しいような気がします。
三つ目族の生き残り写楽保介は、
手塚治虫氏の精神構造なのではないかと思いました。
そこにある二重人格性にはなにやら惹かれるものがあります。
絆創膏が貼ってあると無邪気で優しい馬鹿な中学生なのですが、
絆創膏を剥がすと現代の人間を滅ぼそうとする、
悪魔の化身のような子どもになります。
そこにある二つの世界観は誰にでもあるものなのではないかと思います。
何も考えず、本来もつ力を発揮しなければ、
楽しく無邪気に平和に暮らせると思うのですが、
何かを考えたり、深く物事を観ようとすることによって、
世の中の汚い部分や、嫌な部分が見えたりするものです。
その汚い部分、嫌な部分を壊そうとするのが、
写楽保介の三つ目バージョンです。
「三つ目がとおる」は人間がカタルシスを得るように出来ています。
自分の代わりに世界をむちゃくちゃにしてくれるのです。
手塚治虫氏もどこかでそういう願望があったんじゃないかと思うのです。
色々なことが見通せた代わりに、
心底人間が嫌になる気持ちがあったと思います。
その気持ちを漫画に納めるために、写楽保介が産まれたのではないかと。
しかしその反面、きちんと人間の美しい面も描いてます。
手塚治虫氏はその辺りのバランスが絶妙なのだと思います。
温厚でニコニコしている人ほど、
何を考えてるか解りません。
それは私自身にも言えることです。
2011年7月6日水曜日
SF百景
友人に誘われていた長野県松本市で開催されるりんご音楽祭の出演者が
おもしろいことになってきたので行くことにしました。
それに合わせて一人用のテントを買ってみようかと思っています。
これはタイコクラブのいいリベンジが出来そうで楽しみです。
一人用のテントをネットで検索していると、
無性にわくわくしてきました。
これからどこへでも行ってどこにでも寝れるような、
そういう頼もしい気持ちになります。
数年前に一人で沖縄を旅をしたときと似た気持ちです。
これからもしかしたらまた、
どこかに行こうという気分になるかもしれないし、
ならないかもしれないですが、
一人用テントはなにか夢があると思いました。
おもしろいことになってきたので行くことにしました。
それに合わせて一人用のテントを買ってみようかと思っています。
これはタイコクラブのいいリベンジが出来そうで楽しみです。
一人用のテントをネットで検索していると、
無性にわくわくしてきました。
これからどこへでも行ってどこにでも寝れるような、
そういう頼もしい気持ちになります。
数年前に一人で沖縄を旅をしたときと似た気持ちです。
これからもしかしたらまた、
どこかに行こうという気分になるかもしれないし、
ならないかもしれないですが、
一人用テントはなにか夢があると思いました。
2011年7月3日日曜日
ゲーム音楽の魅力
今日やっと朝顔が咲きました。
起きたときはすでに花はしぼんでいたので、
咲ききっている姿はまだ観ていません。
明日は早起きしてその姿を写真に収めたいと思います。
サカモト教授のピアノリサイタルを観に、
名古屋の中電ホールに行ってきました。
名古屋でおいしいものをたらふく食べようという欲望を満たす為に、
朝ご飯を抜いて電車に乗ったところ見事に貧血になりました。
久しぶりの貧血で相当焦りました。
吐き気、目眩、肩こり、冷や汗、顔面蒼白、
体がどんどん硬直していき、手足が冷たくなって力が入らない、
あの感じ。
まだ座っていたのでマシだったのですが、
もし立って居たらと考えるとぞっとします。
名古屋駅に着いて速攻アリナミンVを購入しました。
それでも不安だったので、薬局でファンケルの鉄を買いました。
この鉄が1000円ぐらいして高かったです。
会場の近くのお店で適当にランチを食べて中電ホールに行きました。
中電ホールは中部電力本社の横にあるホールです。
電力会社は立派なホールを持てるぐらいに稼いでいるんだなぁと思いました。
受付を済ませ、物販コーナーでTシャツとCDを買って、
来ているお客さん達をぐるりと眺めていました。
女の子も結構いましたが、やはりみんなゲームが生き甲斐で、
おしゃれとかそんなものには無頓着な雰囲気の人たちが多かったです。
私はライブだけの参加だったのですが、
ライブが終わったあと、サカモト教授とファンが親睦を深める2次会や、
カラオケ屋でみんなとゲームをする3次会が企画されていて、
そのシステムが普通のライブじゃないなと思いました。
ちなみに2次会には109名もの参加希望者が集まったそうです。
14時から18時前までの3部構成のライブで、
まず1部目がサカモト教授によるキーボードでの演奏でした。
大げさなホールの会場で、頭にファミコン乗っけて、
赤いマントを着てキーボードに向っているおじさんは、
確かに滑稽でした。でも、motherやドラクエやマリオ、
ファイナルファンタジーやクロノトリガーなど、
わりと知ってる曲を弾いてました。
でも、やっぱり知らないゲームの音楽も弾いていて、
会場のお客さんはいちいち反応したり、
当たり前のように、よくわからないところで笑ったりしていたので、
「やっぱりみんなゲームをやり込んでるんだなー」と、思いました。
2部はホールでの演奏らしく、高価なグランドピアノで弾いてました。
しかし、音楽の内容はあくまでもゲーム音楽で、
演奏者も頭に乗っけているものをファミコンからスーパーファミコンに変えた、
ただの怪しいおじさんです。
音楽もさることながら、このギャップがかなりおもしろかったです。
お客さんのリクエストに答えて演奏する場面もあったのですが、
その中で「星のカービィをしっとりめで」というリクエストがあり、
私は小学生の頃、星のカービィが好きだったのですごく嬉しかったです。
しかも、しっとりめというのがすごく良くて、思わず涙ぐんでしまうほどでした。
3部はサカモト教授と3人のセッションでした。
バイオリンのかた2人と、ピアノのかた1人で、順番に演奏していました。
ピアノの人がマリオの格好で登場して、
高価なグランドピアノを演奏している姿はやはりおもしろかったです。
全部終わって、ロビーでサカモト教授と握手や、サインや、写真が撮れる時間が
設けられていましたが、新参者の私はスルーして帰りました。
ラシックに寄って、天下一品のラーメンを食べたかったのですが諦めて、
名古屋をあとにしました。
やっぱり私の音楽体験の根本にゲームの音というのがあって、
それを聴くと懐かしいのと同時に、
なんともいえないワクワク感が蘇ってくるのです。
ゲーム音楽にしかない魅力があって、
それをきちんと理解して表現しているサカモト教授は、
やはり貴重な存在なんだと思いました。
2011年7月1日金曜日
愛すべきskmtたち
私は坂本と書いてサカモトというのですが、
プライベートで出会うサカモトも、音楽業界のサカモトも、
どうやら一癖も二癖もあるという疑惑が濃厚になってきました。
昨日のアズミさんのライブにも私を含めて3人のサカモトが居たのですが、
全員だいぶ変な人でした。
家に帰ってほぼ日のユーストリームを開くと、
坂本龍一ではないサカモト教授という人がキーボードでライブをやってまた。
サカモト教授は頭にファミコンのっけてました。
ピコピコ音は想像以上に心地よかったです。
なんと明日名古屋の中電ホールでサカモト教授のピアノリサイタルがあるので、
ノリと勢いで行ってこようかと思ってます。
音楽業界で大活躍中の愛すべきskmt達の勇姿をご覧下さい。
(世間的に認知されていであろう順。)
■坂本龍一
(世界のサカモト。坂本龍馬に続き坂本であることを誇らしく思わせてもらえる人。)
■坂本美雨
(昨日のユーストでサカモト教授と共演してたらしい!
小室哲哉氏を支持しているところにタダ者ではないものを感じる。)
■サカモト教授
(昨日のユーストリームの人。普段は会社員らしい。)
■MASAKI SAKAMOTO
(この人は神経内科医らしい。)
プライベートで出会うサカモトも、音楽業界のサカモトも、
どうやら一癖も二癖もあるという疑惑が濃厚になってきました。
昨日のアズミさんのライブにも私を含めて3人のサカモトが居たのですが、
全員だいぶ変な人でした。
家に帰ってほぼ日のユーストリームを開くと、
坂本龍一ではないサカモト教授という人がキーボードでライブをやってまた。
サカモト教授は頭にファミコンのっけてました。
ピコピコ音は想像以上に心地よかったです。
なんと明日名古屋の中電ホールでサカモト教授のピアノリサイタルがあるので、
ノリと勢いで行ってこようかと思ってます。
音楽業界で大活躍中の愛すべきskmt達の勇姿をご覧下さい。
(世間的に認知されていであろう順。)
■坂本龍一
(世界のサカモト。坂本龍馬に続き坂本であることを誇らしく思わせてもらえる人。)
■坂本美雨
(昨日のユーストでサカモト教授と共演してたらしい!
小室哲哉氏を支持しているところにタダ者ではないものを感じる。)
■サカモト教授
(昨日のユーストリームの人。普段は会社員らしい。)
■MASAKI SAKAMOTO
(この人は神経内科医らしい。)
それはスポットライトではない
おとといまで、さわやなか初夏を感じる曲の世界に住んでいたのですが、
突如、汗臭い男の世界に行ってきました。
自分の人生どうなっているのかさっぱりわかりません。
竹原ピストルという人のライブに行きました。
こないだ映画館で観た「さや侍」に出演している人です。
追い打ちをかけるようにして号泣を誘う松っちゃんが作詞した曲を熱唱する
お坊さんの役をしていました。
あんだけ号泣させてもらっといて、
近所にライブしに来てくれるなら観に行くしかない!と思って行きました。
まさしく体育会系のあんちゃんによる、体育会系のライブでした。
やはり歌とギター一本でお客さんを一気に引き込むパワーはプロだと思いました。
そして今日はアズミさんです。
アズミさんは2回目です。
アズミさんはやっぱりものすごいです。ものすごすぎて、口をあんぐりするか、
にやにやするかのどちらかでした。
個人的にはIt's not spotlightのアズミさんバージョンに感動しました。
私には浅川マキバージョンしかインプットされていないので、
英語の所は完全につのだ☆ひろの声が流れてきました。
酒が呑みたくなります。
そして浅川マキ祭りに突入したくなります。
突如、汗臭い男の世界に行ってきました。
自分の人生どうなっているのかさっぱりわかりません。
竹原ピストルという人のライブに行きました。
こないだ映画館で観た「さや侍」に出演している人です。
追い打ちをかけるようにして号泣を誘う松っちゃんが作詞した曲を熱唱する
お坊さんの役をしていました。
あんだけ号泣させてもらっといて、
近所にライブしに来てくれるなら観に行くしかない!と思って行きました。
まさしく体育会系のあんちゃんによる、体育会系のライブでした。
やはり歌とギター一本でお客さんを一気に引き込むパワーはプロだと思いました。
そして今日はアズミさんです。
アズミさんは2回目です。
アズミさんはやっぱりものすごいです。ものすごすぎて、口をあんぐりするか、
にやにやするかのどちらかでした。
個人的にはIt's not spotlightのアズミさんバージョンに感動しました。
私には浅川マキバージョンしかインプットされていないので、
英語の所は完全につのだ☆ひろの声が流れてきました。
酒が呑みたくなります。
そして浅川マキ祭りに突入したくなります。
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