2011年6月8日水曜日
こんがらがった精神
髪型が画像の人みたいなイメージを彷彿とさせるようになってきたので、
今日、切りに行くつもりです。
千葉の友人がやってきました。
父のもとで3日間、漁業を体験するようです。
昨日は友人が「andymoriの新しいアルバムが欲しい」という願望を叶えるため、
CDショップを三軒ぐらい回りましたが、
どこも売ってませんでした。
正直がっかりでした。
とはいえ、結局自分はCDはamazonで買っているので、
地元のCDショップも入荷しても売れなそうなやつは、
置かないのだろう、と思いました。
一人きりになると、絶望的なことばっかり考えている私ですが、
誰かと話しをしていると、すごく楽になり、
人生を多角的に眺める事ができるということを発見しました。
私にとって、絶望は必要な要素で、
絶望がないと前に進むことができない仕組みになっているので、
わりと絶望を求めてしまうというめんどくさい節があるのですが、
人は全く、ほとんど、絶望は必要としていないことを実感します。
世の中の健康で優良な精神を携えている多くの人々は、
絶望の、ぜの字も知らないような顔で暮らしていて、
ああ、世の中の暗闇は、
精神がこんがらがった一部の人間が
勝手に創りあげている世界にすぎないのだなぁ、と思いました。
そう考えると健康で優良な人間にとって、
絶望を創りだすこんがらがった精神を持つ人間は、
迷惑極まりないのだろうと思ったりするのです。
こんな風に極端に2極化をして世の中を見渡してしまうのが、
私の世界の悪い癖なのだけど、
とにかく、健康で優良な精神を作り損ねた、
こんがらがった世界を持ち合わしている人間である事は、
間違いないのだと思いました。
そしてそれをむりやり治そうという気もさらさらない、
ということなのだと思います。
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