2011年6月20日月曜日

最後のスヌーザー


てわけで、音楽誌snoozerが終わりました。
なので、今まで一度も買った事なかったのですが買ってみました。
編集長の田中宗一郎氏がスヌーザーの最後にどのような言葉を連ねているのか、
じっくりと立ち会ってみたかったのです。

音楽誌というのは、音楽をとことん言葉で分解し、
ミュージシャンの背景を探り、ミュージシャンの言葉を伝え、
さらに深い音楽の魅力を的確な言葉で世に伝えるという雑誌です。
といっても、ライターの偏見もあり、思い込みもあり、
「ああこういう感じ方もあるかぁ」とか、
「そうそう、そういうことなんだよ」とか、
「いや、そうじゃないんだよ。わかってねーな」とか、
ああだこうだと、
リスナーであり読者は音楽をより深く味わうひとつの材料にします。
音楽の感動を言葉で伝える、というのは、すごく難しいことでもあります。
音楽が言葉を越える事の出来ない部分は確かにあります。
しかし言葉によって伝える事の出来る情報も確かにあります。

今回の最後のスヌーザーの言葉によって、
貴重な情報を手に入れて新しく出会う事ができました。
久しぶりにCDを買うことにしました。
そんな風にして、音楽誌というのは、
今まで知らなかった音楽と突然出会える可能性だって十分にあるのです。

そのような良質な音楽誌がひとつ減ることはさみしいことでもありますが、
これも時代だと思うし、また新しい形で何かが産まれるということなのでしょう。
音楽を愛する気持ちは失われる事なく、
どこかで、誰かが吐露するのだと思います。
タナソウは「求心力は失われた」と発言していたのですが、
確かに昔のような求心力はすでにないかもしれません。
でもそれは、誰かの感覚に頼る事なく、
自分の聴くものを自力で集めようとする人間が増えたのではないかと思います。
「感覚を大切にする」ということ。
そのことで、表面上の孤立化は進んだとしても、
さらに深い部分で人間同士が繋がれるのではないかと思います。

色々思う事がありますが、
時代は変わり音楽も変わり音楽を取り巻く環境が変わってしまったとしても、
人間が音楽を愛する気持ちは縄文時代も現代も大して違わないと思います。

最後にスヌーザーが読者をキッズと呼ぶことに、
ひとつのスタイルであり、世界を感じました。
私もひとりのキッズとしてこれからも音楽を聴き、
愛してゆこうと思いました。

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