2011年6月29日水曜日

狂う人

昨日ふと目にした菊地成礼氏のブログ、これが非常に興味深かった。
「女性編集者は狂うのか(同時多発)」というタイトルの記事なのだけど、
連載を突然打ち切りにされたり、話しも来てないのにすでに予告を打ち出したり、
とにかく女性編集者(2件とも担当編集者が女性だったそう)の、
幼児退行化が甚だしいという菊地氏の見解が綴られている。
そしてそれに対して仮説を打ち出し一抹の不安を訴えておられる。

実は私も編集者の妙な対応にあったことがある。

実は以前、突然、某カルチャー紙の編集長から連絡があり、
誌面に載せる文章を書いて欲しいとメールを頂いた。
その某編集長はテーマを持っていてそれに沿って書いて欲しいとのことだった。
私はそのテーマが良いか悪いか別にして、とにかく書いてみることにした。
いくつかの原稿を送り、いくつかのメールでのやりとりをし、
某編集長の返信を待っているとき、
3.11は起きた。
以降、全く返事は来ていない。
こちらからも問い合わせていない。

有名カルチャー誌の有名編集長でさえそんな案配である。
彼が何か直感的に私の文章に感じる所があり、
「なにか書いて欲しい」と思うのは自由である。
こちらも光栄だし、ありがたいと素直に思う。
しかし向こうに提示して頂いたテーマに沿って書いていて、
あまりおもしろい文章だとは思えず、
「こんなのおもしろいか?」と思いながら原稿を送っていたので、
なにやら検討違いの原稿が送られてきたとしても、
「ちょっと違う」とか、
「やっぱり今回の話しはなかったことに」
という一言を言って去ってもいいのではないかと思う。

そういうのも全く無く放ったらかしにして、
なかったことにしようとしているのだ。

これに対して私は、菊地氏と同様に、怒りや悲しみを通り越して、
一抹の不安を覚える。

どうも、東京で第一線で流行を必死で追いかけているような人間は、
どこか狂っているところがあると。
彼らが大事にしているのは、一種の感覚であり、
次にブレイクしそうな世界を見つけることであり、
とにかく手当り次第に唾をつけるというような、
鼻がやたらと効く犬のような生き物になっているということだ。

それがやっぱり違うと思ったら平気で捨てる。
また新しい感覚、世界を見つけたらそっちに走る。
そしてその捨て方がまた雑なのだ。
彼らが欲しいのは、この世を渡り歩く為の保身であり、名声だ。
彼らが人を人とも思わず、なりふりかまわず動いた結果は、
いつか己の身に降り掛かるだろう。
面白いことや楽しいことを求め続け、
それを表現し続ける快感に溺れるあまりに、
失うものもあることを肝に命じた方がいい。

そしてそれは自分にも言えることだ。
私もきっと彼らと同じくどこか狂っているのだろう。

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