近頃よく眠る。
寝すぎて起きた瞬間、ちょっとした記憶喪失みたいなことになる。
寝る前に明日しようと決めた事を思い出せなくて、
私は今日なにをするんだったけな、と考え込んでしまう。
昨日までの事が遠い昔の事のようで、
私はたった今産まれた人のような気持ちになる。
そんな風に毎日を過ごす事が出来たら、
とても幸せなんじゃないかと思う。
なるべくそういう風な日々にしたいと思ったりもする。
私は毎日死んで、毎日産まれている。
源氏物語を読もうと思って、源氏物語を図書館に借りに行ったのだけど、
その前に、河合隼雄氏が源氏物語について本を出していたので、
それから読んでみようと思う。
最近写真に興味が在るので、森山大道の写真集はないかと探したのだけど無く、
代わりに、土門拳の写真集があったのでパラパラとめくる。
とんでもなく生命力に溢れた写真ばかりで、愕然とする。
戦中戦後の日本の風景、広島の原爆ドームと生々しい被爆者の姿、
貧しい炭坑の町、筑豊で暮らす子ども達の様子、
数多くの著名人、寺、仏像、など、
土門拳という写真家の感性で切り取られた、
確かな日本の姿がありありと納められている。
写真でここまでやれるのか、という感動があった。
文章を書く人には、文章を書く脳が、
音楽家には、音楽家の脳が、
絵を描く人には、絵を描く人の脳が、
写真を撮る人には、写真を撮る人の脳が、
あるように思う。
世界の感じ方というか、表し方の傾向とでも言おうか。
一貫して通ずる世界がある。
土門拳の写真は、画家で言うと岡本太郎のような、そんな力強さが在る。
怒りにも似たエネルギーの渦が巻いていて、こちらに向かって挑んでくる。
そういうものと対峙させられた時、
こちらのエネルギーも活性化される。
外に観ているはずが、自分の内側にも観て取れるのだ。
全ての表現はそんな風に成り立っているのかも知れない。
他人を知ることは自分を知ること。
そんなことを考えていた。
源氏物語は私にどんな世界を教えてくれるのだろうか。
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