2010年10月31日日曜日

日々の再生

近頃よく眠る。
寝すぎて起きた瞬間、ちょっとした記憶喪失みたいなことになる。
寝る前に明日しようと決めた事を思い出せなくて、
私は今日なにをするんだったけな、と考え込んでしまう。
昨日までの事が遠い昔の事のようで、
私はたった今産まれた人のような気持ちになる。
そんな風に毎日を過ごす事が出来たら、
とても幸せなんじゃないかと思う。
なるべくそういう風な日々にしたいと思ったりもする。
私は毎日死んで、毎日産まれている。

源氏物語を読もうと思って、源氏物語を図書館に借りに行ったのだけど、
その前に、河合隼雄氏が源氏物語について本を出していたので、
それから読んでみようと思う。

最近写真に興味が在るので、森山大道の写真集はないかと探したのだけど無く、
代わりに、土門拳の写真集があったのでパラパラとめくる。
とんでもなく生命力に溢れた写真ばかりで、愕然とする。
戦中戦後の日本の風景、広島の原爆ドームと生々しい被爆者の姿、
貧しい炭坑の町、筑豊で暮らす子ども達の様子、
数多くの著名人、寺、仏像、など、
土門拳という写真家の感性で切り取られた、
確かな日本の姿がありありと納められている。
写真でここまでやれるのか、という感動があった。

文章を書く人には、文章を書く脳が、
音楽家には、音楽家の脳が、
絵を描く人には、絵を描く人の脳が、
写真を撮る人には、写真を撮る人の脳が、
あるように思う。

世界の感じ方というか、表し方の傾向とでも言おうか。
一貫して通ずる世界がある。

土門拳の写真は、画家で言うと岡本太郎のような、そんな力強さが在る。
怒りにも似たエネルギーの渦が巻いていて、こちらに向かって挑んでくる。
そういうものと対峙させられた時、
こちらのエネルギーも活性化される。
外に観ているはずが、自分の内側にも観て取れるのだ。
全ての表現はそんな風に成り立っているのかも知れない。
他人を知ることは自分を知ること。
そんなことを考えていた。

源氏物語は私にどんな世界を教えてくれるのだろうか。

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