2010年10月31日日曜日

秘宝館

素晴らしい写真家を知る。
都築響一という方だ。
まさに、世間が追っかけていない世界を体を張って追っかけている。
私のほぼ理想と言っても過言ではない。
以下、展覧会場に貼ってあった本人のメッセージ。
(他人のブログからコピペ。)


『僕はジャーナリストだ。アーティストじゃない。


ジャーナリストの仕事とは、最前線にいつづけることだ。そして戦争の最前線が大統領執務室ではなく泥にまみれた大地にあるように、アートの最前線は美術館や美術大学ではなく、天才とクズと、真実とハッタリが、からみあうストリートにある。ほんとうに新しいなにかに出会ったとき、人はすぐさまそれを美しいとか、優れているとかは評価できはしない。最高なのか最低なのか判断できないけれど、こころの内側を逆撫でされたような、いても立ってもいられない気持ちにさせられる、なにか。評論家が司令部で戦況を読み解く人間だとしたら、ジャーナリストは泥にまみれながら、そんな「わけがわからないけど気になってしょうがないもの」に突っ込んでいく一兵卒なのだろう。戦場で兵士が命を落とすように、そこでは勘違いしたジャーナリストが仕事生命を危険にさらす。でも解釈を許さない生のリアリティは、最前線にしかありえない。そして日本の最前線=ストリートはつねに発情しているのだし、発情する日本のストリートは「わけがわからないけど気になってしょうがないもの」だらけだ。この展覧会の主役は彼ら、名もないストリートの作り手たちだ。文化的なメディアからはいっさい黙殺されつづけてきた、路傍の天才たちだ。自分たちがアートを作っているなんて、まったく思ってない彼らのクリエイティヴィティの純度が、いまや美術館を飾るアーティストの「作品」よりもはるかに、僕らの眼とこころに突き刺さってくるのは、どういうことなのだろう。アートじゃないはずのものが、アーティスティックに見えてしまうのは、なぜなんだろう。僕の写真、僕の文章はそんな彼らを記録し、の後の世に伝える道具に過ぎない。これからお目にかける写真がどう撮られたかではなく、なにが写っているかを見ていただけたら幸いである。これは発情する最前線からの緊急報なのだから。』


これだな。
この感じがいいんですよ。
はーかっこいいなー。
秘宝館に行っておけば良かったと改めて後悔した。

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