2010年10月21日木曜日

啓蒙かまぼこ新聞

もしも私がお笑いやってたら、やっぱり人力舎に入りたいなぁ、と思う。
よしもと?松竹芸能?ナベプロ?ホリプロ?ホリプロコム?タイタン?
と、なぜかやたら芸人の事務所に詳しくなっているが、
やっぱり人力舎がいい。
なんでかっていうと、おぎやはぎが上下関係がないと言っていたから、
というすごい単純な理由なんだけども。
バナナマンのポッドキャスト聴いていると、
お笑い界のなんやかんやをついつい考えてしまう。
そんでバナナマンの別格ぶりが浮き彫りになってくる。
お笑いやってる人はコンビっていいなーって思うし、
音楽やってる人はバンドいいなーって思う。
どっちもすごくエネルギーのいる事だけど、
そういうのを創って世に提供してそれなり評価され続けるっていうのは、
やっぱりすごいことだ。
絶妙のタイミングで絶妙のこと言うっていうのは、
やっぱり才能なのだ。

さて、今日は会社の人から借りた中島らもの『啓蒙かまぼこ新聞』の
文庫本を借りたので読んだ。
文庫ででたのはわりと最近のようだけど、内容は中島らもが、
まだコピーライターとして活躍していた頃の作品だ。
中島らもが一般サラリーマンの粋を軽々超えている作品の数々。
驚くほどの数の発想と世界の構築。おそるべしである。
私が中島らも好きな所は垂れ流し感である。
それは伊集院光のラジオにも通ずるかもしれないけれど、
とにかく、ダラダラと高品質の世界が、
とめどなくこの世の垂れ流され続けているのだ。
縦横無尽に世界が動き回る。それに安心する。
「現実とはこの世の成り立ちとは」のひとつのカタチがそこにある。
そういう世界がいいと思う。
あっちへ行き、こっちへ行き、
世界をひっちゃかめっちゃかに行き来する。
それこそ自由とは言えまいか。

話が横道にそれるかんじ。でもきちんと最後は着地するかんじ。
そういう文章は読んでいて安心感がある。

中島らもと同じ印刷会社に働きながら、中島らもの本を読むと、
より近くに感じられるし、仕事もおもしろく感じられる。
小説も、コントも、落語も、音楽も、演劇も、全部やった中島らもは、
本当に天才だったのだろう。
松尾スズキなんかも似たタイプかもしれない。
しかし中島らもは陰の世界で生き続けた人だ。
そういう人の方がある意味信じられる気もするのは、
私も陰にしか生きられない人間だからかもしれない。

どうでもいいけれど、私は今日、この無目的な人生に初めて、
ひとつのビジョンをたてた。
「47歳に腎臓がんで死ぬ」というビジョンだ。
それは哲学者の池田晶子の生き方なのだけど、
なんとなくその生きた年数、死に方に惹かれるものがある。
美酒美食を好み、犬を飼い、子どもを持たない。
実にすっきりとした人生なのだ。
そもそも私は遺伝なのか食生活が悪いのかすでに腎臓が悪いので、
腎臓関係の病気で死ぬだろうという、予測を容易に立てられるのと、
47歳で死ねば、ボケて他人に迷惑をかけることもないだろうし、
醜く歳をとることもない。
そう考えるとあと20年。なにができるだろうか。
ちなみに中島らもは52歳で亡くなっている。
まぁ、二人とも中身が濃い人生だったので、短命だったというのもあるだろう。
人生が薄い人はきっと長生きするものなのだ。
だったら、私は結局長生きかもしれないなぁ・・・。

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