2010年10月31日日曜日

秘宝館

素晴らしい写真家を知る。
都築響一という方だ。
まさに、世間が追っかけていない世界を体を張って追っかけている。
私のほぼ理想と言っても過言ではない。
以下、展覧会場に貼ってあった本人のメッセージ。
(他人のブログからコピペ。)


『僕はジャーナリストだ。アーティストじゃない。


ジャーナリストの仕事とは、最前線にいつづけることだ。そして戦争の最前線が大統領執務室ではなく泥にまみれた大地にあるように、アートの最前線は美術館や美術大学ではなく、天才とクズと、真実とハッタリが、からみあうストリートにある。ほんとうに新しいなにかに出会ったとき、人はすぐさまそれを美しいとか、優れているとかは評価できはしない。最高なのか最低なのか判断できないけれど、こころの内側を逆撫でされたような、いても立ってもいられない気持ちにさせられる、なにか。評論家が司令部で戦況を読み解く人間だとしたら、ジャーナリストは泥にまみれながら、そんな「わけがわからないけど気になってしょうがないもの」に突っ込んでいく一兵卒なのだろう。戦場で兵士が命を落とすように、そこでは勘違いしたジャーナリストが仕事生命を危険にさらす。でも解釈を許さない生のリアリティは、最前線にしかありえない。そして日本の最前線=ストリートはつねに発情しているのだし、発情する日本のストリートは「わけがわからないけど気になってしょうがないもの」だらけだ。この展覧会の主役は彼ら、名もないストリートの作り手たちだ。文化的なメディアからはいっさい黙殺されつづけてきた、路傍の天才たちだ。自分たちがアートを作っているなんて、まったく思ってない彼らのクリエイティヴィティの純度が、いまや美術館を飾るアーティストの「作品」よりもはるかに、僕らの眼とこころに突き刺さってくるのは、どういうことなのだろう。アートじゃないはずのものが、アーティスティックに見えてしまうのは、なぜなんだろう。僕の写真、僕の文章はそんな彼らを記録し、の後の世に伝える道具に過ぎない。これからお目にかける写真がどう撮られたかではなく、なにが写っているかを見ていただけたら幸いである。これは発情する最前線からの緊急報なのだから。』


これだな。
この感じがいいんですよ。
はーかっこいいなー。
秘宝館に行っておけば良かったと改めて後悔した。

日々の再生

近頃よく眠る。
寝すぎて起きた瞬間、ちょっとした記憶喪失みたいなことになる。
寝る前に明日しようと決めた事を思い出せなくて、
私は今日なにをするんだったけな、と考え込んでしまう。
昨日までの事が遠い昔の事のようで、
私はたった今産まれた人のような気持ちになる。
そんな風に毎日を過ごす事が出来たら、
とても幸せなんじゃないかと思う。
なるべくそういう風な日々にしたいと思ったりもする。
私は毎日死んで、毎日産まれている。

源氏物語を読もうと思って、源氏物語を図書館に借りに行ったのだけど、
その前に、河合隼雄氏が源氏物語について本を出していたので、
それから読んでみようと思う。

最近写真に興味が在るので、森山大道の写真集はないかと探したのだけど無く、
代わりに、土門拳の写真集があったのでパラパラとめくる。
とんでもなく生命力に溢れた写真ばかりで、愕然とする。
戦中戦後の日本の風景、広島の原爆ドームと生々しい被爆者の姿、
貧しい炭坑の町、筑豊で暮らす子ども達の様子、
数多くの著名人、寺、仏像、など、
土門拳という写真家の感性で切り取られた、
確かな日本の姿がありありと納められている。
写真でここまでやれるのか、という感動があった。

文章を書く人には、文章を書く脳が、
音楽家には、音楽家の脳が、
絵を描く人には、絵を描く人の脳が、
写真を撮る人には、写真を撮る人の脳が、
あるように思う。

世界の感じ方というか、表し方の傾向とでも言おうか。
一貫して通ずる世界がある。

土門拳の写真は、画家で言うと岡本太郎のような、そんな力強さが在る。
怒りにも似たエネルギーの渦が巻いていて、こちらに向かって挑んでくる。
そういうものと対峙させられた時、
こちらのエネルギーも活性化される。
外に観ているはずが、自分の内側にも観て取れるのだ。
全ての表現はそんな風に成り立っているのかも知れない。
他人を知ることは自分を知ること。
そんなことを考えていた。

源氏物語は私にどんな世界を教えてくれるのだろうか。

2010年10月29日金曜日

人としてのバランス

映画はなぜかとびきり重たいものを観たくなる。
『ヘヴンズストーリー』
HP http://heavens-story.com/
4時間超えの映画。
12月になったら名古屋まで観に行こうと思う。

やっぱり私はどうしても、
この世の暗い世界について考える性質である事を再確認する。
周囲や世の中が浮かれていれば浮かれているほどだ。
昔は随分それが嫌だったんだけど、
今思うとほんと未熟というか子どもだったんだなと思う。
徐々に、この世の重たい側面を自然と受け止める事が出来るようになってきた。
昔はきっとそこにある負の世界に飲み込まれてしまっていたんだろう。
まるで私そのものが負の存在であるように感じてしまい、
それが恐ろしかったのだと思う。
しかし最近になってやっぱり思うのだけど、
この世の暗い側面について考える事はやっぱり人としてすごく健全なのだと。
バランスというかそういうものが必要なのだ。
しかし、そこかしこに潜んでいる負のパワーに飲み込まれてしまい、
鬱病になったりする人もいるけれど、
そうならない心の持ちようというか、精神の在り方があるように思う。
大雑把にいうと『強くなる』ということなんだけど、
この『強くなる』にはどうもコツが必要な気がする。
自分の頭で考えて、自分なりの意見を導きだす癖を身につけるであるとか、
他人の言葉に注意深く耳を傾けるであるとか、
基本的に自分の感覚はどこか欠陥があるという自覚を持つであるとか、
色々だけども、とにかく『強く』なる事が必要なのだ。
自分の心の奥底にある自然の力をうまく解放する才能は人それぞれで、
解放するのはいいけれど、そのエネルギーをコントロールしなくてはならないし、
ほんとんどそれは魔法みたいなものなのだと思う。
私が人として、どういう精神をカタチ創っていくかは、
あらかじめ決められた設計図みたいなものがあるのだろうけど、
ほとんどそれがいわゆる“夢”と呼ばれるものなのだろうと思う。
しかし、それは“夢”ではなく、欲望であり、才能であり、現実なのだ。

とにかく、バランスがとれている人間はそれだけで美しい。
この感覚は私なりの美意識のかなり根底にある気がする。

自己顕示する手段

最近、気にかけている事は、

『自然を大事にする事』

『言葉にできない気持ちを大事する事』
です。

自然を大事にするというのは、
山や海などのこの星にそのままある自然もあるけど、
私や他人の中にある自然の事も同じことだ。
自然に動く心の動き。
誰かを愛しいと思う気持ち。
何かを嫌悪する気持ち。
楽しい気持ち。悲しい気持ち。
全部を丁寧に掬っていくことをしようと思う。
その中から見える世界を何らかのカタチで表に出していけるといい。
いくつになっても、風通しのいい体でいたいと思う。

言葉にできない世界を、
無理矢理言葉にしようとするんじゃなくて、
しっかりとそこにある事をまず感じる事からしようと思う。
いつかきちんと言葉にできるかもしれないし、
そのまま流れていく、一過性の風景なのかもしれないけれど、
焦らず、急がず、しっかりと見極める事に力を入れたい。

そんな風に、ちょっとずつ色んなことに気が付きながら、
人はその人自身になっていくんだと思う。
時間が経てば、考え方は変わる。
いつか言ってたあの人の言葉がぐっと染みる時が来る。
かつて受け入れられなかった世界も受け入れられるようになる。
そんな風に人は出来ている。
時間は偉大だ。
私たちは繰り返し繰り返し産まれては死に、
その螺旋の中で少しずつ進化してるのだとそう信じたい。
人はたくさんのことを経験して、
たくさんの引き出しを持って、
膨大な知識と、命のパターンを経験して、
どこかに向かっている。
情報は単なる情報に過ぎないけれど、
ただ単にひたすら同じ事を繰り返してるだけなのかもしれないけれど、
それでも変化している。

世界を刻もう。
それぞれのカタチで。
それぞれの手段で。

2010年10月27日水曜日

光と影

笑いを突き詰めていくと悲しみが在る。
闇を突き詰めていくと希望が在る。
突き詰める作業のその先に待ち受けるものは反対の事象。

だったら何も恐れるものはないのだ。
片方にしがみついたり、引っ張られたりする事もしなくていいのだ。

平然とすべてを眺めていよう。

私が見ないようにしていたものは、
本当は見たかったものかも知れない。

自由とはやりたい事をやりたいようにやるという事だ。
思ったままに体を動かすという事。

本当に優しい人は、人生で必ず一度は闇を覗こうとするだろう。
闇の正体を暴く事に一生懸命になるだろう。
そして闇を覗けば覗くほど、その先には希望しかない事を、
身をもって知るだろう。
そんな風にして、人は強くなっていくのだろう。

残りの人生をかけて人間達に捨てられた風景をもう一度拾わなくちゃ。

2010年10月26日火曜日

地方の暮らし

仕事で三重出身の写真家、
浅田政志さんの対談に立ち会える事になりそう。
どんな話が聴けるか楽しみ。

浅田さんのコメントで、
「三重はどこにでもありそうな街なのがいい」
というような事を言っており、ああなるほどな、と思った。

どこにでもある街。
どこにでもある寂れた地方都市。
そこに暮らす若者。

私たちがダラダラと生活を続けるダラダラとした町並み。
そこにあるダラダラとした空気こそが本当だと思う。

ラブホとジャスコとコンビニ。

そういう世界だけをきちんと丁寧に納めたい気がする。
私が写真を撮るならそういう世界だし、
何よりも一番リアリティを感じるものでもある。

きっとそこから映画でも音楽でも小説でも産まれるだろう。
私が求めているのは、そういうファンタジー。

地方都市の暮らしの真実に光を。

やかんポリス村田さんを見て、
そんなことを思う。

なんとなく、冷凍都市の暮ーらーしーあいつ姿くーらーまーしー

地元の天才

すごくイイ!
地元の風景をこんな面白く切なく、かつ、かっこよく撮れる人はこの人だけ。

HP http://petsson.web.fc2.com/index.htm

女が家を出る時

女は家を出る。
男は家を出ない。
そんなもんだ。

職場の人が母親が入院するのでどうしようと言っていた。
朝起こしてくれるし、ご飯も作ってくれる。
適度な距離もある。そんな人は他にはいない。

女が家を出るときというのは、
なにか超越したものに引っ張られるときに起こる。
例えば、なにか宗教にハマったり、新しい恋人が出来たり、
毎日一緒にくらしていた人の存在が自分の中でぼんやりと薄くなるのだ。
もしくは女にとって決定的に何かが不足していて、
慢性的にうんざりしていて、ある日突然プチリと切れて家を出る。
そこにある女の気持ちの動きに男は全く気が付かない。
そういう生き物なのだろう。
黙って出て行かれても意味が分からない。
女は男を平気で裏切る。男みたいに割り切る事が出来ない。
そんな風に出来ている。

満島ひかりは私が今最も注目している女優だ。
そんな彼女が結婚した。
相手は映画監督の石井裕也という人だそうだ。
『川の底からこんにちは』という映画で石井さんが監督をし、
満島ひかりは主演をしている。
石井さんのインタビュー記事を拾って読むと、なるほど納得、
彼らが惹かれあい人生をともに歩む事を決意した流れがよく解る。
久しぶりにとても嬉しい気持ちになる結婚だ。
どちらもとても応援したい。
若手でも素晴らしい才能を持った人たち。
こんな風に、時代というものは移り変わって行くんだと思う。
石井監督のインタビュー記事http://www.cinra.net/interview/2008/05/30/193627.php

このインタビュー記事は全体的にとてもすばらしいんだけど、
特に「女の人に裏切られる」と解っていても、
満島ひかりとの結婚を選んだこの監督はすごい人だと改めて思った。
確かにもし私が男なら満島ひかりだったら裏切られてもいいかもしれないな。


どうでもいいけど、私は満島ひかりと誕生日が一日違いで、
血液型が同じだったのだけど、なんとなく納得できるものがあった。



しつこい奴が生き残る

おばあさんのフラダンス

こども蹴鞠

家から徒歩5分のフェスの様子。
おばあさん達のフラダンスの時に虹でもかかっていたら
もっとよかったのにと思いました。

人生というのは、どんどん外側の世界が広がっていくみたいだと思う。
自分が思い込んでいる世界なんてほんとはどうでもよくて、
全然違うことが外側に張り巡らされているように思う。
「ああ、こうなっていたんだ」
という発見を続けても、どうしても抜け出せないところがあって、
結局足止めをくらい真実は闇の中だ。

そろそろ源氏物語でも読もうかと思っている。
岡本太郎以降、世の中は縄文的なものが好まれる世界にあるように思う。
それは文学でも漫画でも音楽でも芸術でも。
アニミズムや有機的なものから派生していく世界。
私もそういった世界に憧れて好んでいたのだけど、
そろそろ平安時代の世界におりていこうかと思う。
なんとなく、自分の中でそういう流れがある。

豊かであるとはどういうことかをもっと考えたい。

外国がいいとか、都会がいいとか、未来がいいとか、
そういうのは一概に言えなくて、
埋もれていった過去にも魅惑的な世界があったのではないかと思う。
それはほとんど、外国で、都会で、未来に近いものなのかもしれない、
と思ったりもする。

2010年10月24日日曜日

スーツと音楽

私はスーツで音楽をやる人が好きだ。

ビートルズ
THE HIVES
クレージーキャッツ
SAKEROCK(ジャケットで着用してました)

音楽もいいけど、ビジュアル的にスーツっていうのがぐっとくるのだ。
漫才でもスーツ着ている人は好感が持てる。
そんな好きなグループにもうひとバンド加わりました。

THE BAWDIES

かっこいい!
やってる音楽がベタなのに、ベタさを感じないのは一体なんなんだろう。
ボーカルROYの顔と声のギャップにやられるというのはあるれけれど、
多分純粋にそういう音楽が好きという気持ちで音楽をやっていて、
しかも彼らの味もにじみ出ているというのが大きい気がする。

そもそも在日ファンクの情報から知ったんだけど、
(12月にROY氏とコラボした曲を発表するらしい)
ぜひ在日ファンク×THE BAWDIESでライブして欲しい。
絶対行く。

てか純粋にROYの顔がかっこいい。
インタビューも好感度ありすぎだし。




点在する小宇宙

昨夜はリクオさんライブ@カップジュビー。
星野源とおおはた雄一とハナレグミと荒井由美のカバーが聴けた。
どれもこれも素晴らしくじっと聞き入っていた。
オリジナルの曲もとてもよかったです。
その後深夜2時までみんなでお喋り。
たわいもない事から深い事までたのしかった。
20周年記念イベントもあるようです。
HPはこちらhttp://www.rikuo.net/

昼は家から徒歩5分の場所でやっているフェスにぶらっと出掛ける。
和太鼓や笛の音に引き寄せられながら会場に向かうと、
子どもとお年寄りがたくさんいる。
素朴なお菓子や食べ物が売っている。
自治体で地道に催されているという感じ。
なんでもない田舎の町の小さなお祭りなんだけど、
なにか例えようのない居心地の良さを感じた。

子どもが蹴鞠をしていた。
大音量でハワイアンが流れる中おばあさんがフラダンスをしていた。

そこにあるのんびりとした空気は、
沖縄にもハワイにも通づる、でもそれとはやっぱり違う、
平安時代に築かれた一時代にこの場所に住んでいた人たちの世界だった。
私はもっとこの場所について知るべきことがあるようだ。
そしてうまく伝えていくべき世界もあるような気がする。

機織り機でコースターも創ってみる。
今度はランチョンマットも創ってみよう。

私が昨日この土地で感じた発見は、
岡本太郎が縄文土器と出会って「なんだこれは!?」と驚愕した感覚と、
似ている気がする。
私が人にもっと知ってもらいたいのは、この土地にあるこの空気感。
一時代に築かれた小宇宙。
伊勢にある宗教、政治、金、という人間の俗世界から、一歩ズレた世界。
その世界を感知し、住む者として、愛すべき使命がある気がする。

2010年10月21日木曜日

啓蒙かまぼこ新聞

もしも私がお笑いやってたら、やっぱり人力舎に入りたいなぁ、と思う。
よしもと?松竹芸能?ナベプロ?ホリプロ?ホリプロコム?タイタン?
と、なぜかやたら芸人の事務所に詳しくなっているが、
やっぱり人力舎がいい。
なんでかっていうと、おぎやはぎが上下関係がないと言っていたから、
というすごい単純な理由なんだけども。
バナナマンのポッドキャスト聴いていると、
お笑い界のなんやかんやをついつい考えてしまう。
そんでバナナマンの別格ぶりが浮き彫りになってくる。
お笑いやってる人はコンビっていいなーって思うし、
音楽やってる人はバンドいいなーって思う。
どっちもすごくエネルギーのいる事だけど、
そういうのを創って世に提供してそれなり評価され続けるっていうのは、
やっぱりすごいことだ。
絶妙のタイミングで絶妙のこと言うっていうのは、
やっぱり才能なのだ。

さて、今日は会社の人から借りた中島らもの『啓蒙かまぼこ新聞』の
文庫本を借りたので読んだ。
文庫ででたのはわりと最近のようだけど、内容は中島らもが、
まだコピーライターとして活躍していた頃の作品だ。
中島らもが一般サラリーマンの粋を軽々超えている作品の数々。
驚くほどの数の発想と世界の構築。おそるべしである。
私が中島らも好きな所は垂れ流し感である。
それは伊集院光のラジオにも通ずるかもしれないけれど、
とにかく、ダラダラと高品質の世界が、
とめどなくこの世の垂れ流され続けているのだ。
縦横無尽に世界が動き回る。それに安心する。
「現実とはこの世の成り立ちとは」のひとつのカタチがそこにある。
そういう世界がいいと思う。
あっちへ行き、こっちへ行き、
世界をひっちゃかめっちゃかに行き来する。
それこそ自由とは言えまいか。

話が横道にそれるかんじ。でもきちんと最後は着地するかんじ。
そういう文章は読んでいて安心感がある。

中島らもと同じ印刷会社に働きながら、中島らもの本を読むと、
より近くに感じられるし、仕事もおもしろく感じられる。
小説も、コントも、落語も、音楽も、演劇も、全部やった中島らもは、
本当に天才だったのだろう。
松尾スズキなんかも似たタイプかもしれない。
しかし中島らもは陰の世界で生き続けた人だ。
そういう人の方がある意味信じられる気もするのは、
私も陰にしか生きられない人間だからかもしれない。

どうでもいいけれど、私は今日、この無目的な人生に初めて、
ひとつのビジョンをたてた。
「47歳に腎臓がんで死ぬ」というビジョンだ。
それは哲学者の池田晶子の生き方なのだけど、
なんとなくその生きた年数、死に方に惹かれるものがある。
美酒美食を好み、犬を飼い、子どもを持たない。
実にすっきりとした人生なのだ。
そもそも私は遺伝なのか食生活が悪いのかすでに腎臓が悪いので、
腎臓関係の病気で死ぬだろうという、予測を容易に立てられるのと、
47歳で死ねば、ボケて他人に迷惑をかけることもないだろうし、
醜く歳をとることもない。
そう考えるとあと20年。なにができるだろうか。
ちなみに中島らもは52歳で亡くなっている。
まぁ、二人とも中身が濃い人生だったので、短命だったというのもあるだろう。
人生が薄い人はきっと長生きするものなのだ。
だったら、私は結局長生きかもしれないなぁ・・・。

ホットワイン

去年買ったホットワイン用のワインが大量に余っているので、
まずはそれから消費することにした。
ホットワインは熱燗の洋風であり、冬に飲む飲み物である。
ホットワインも熱燗もカップに顔を近づけると、
アルコールが蒸発するのが目や鼻に当たり非常に飲みづらく、
ふがふがしてしまうのが難点。
ああ、だから熱燗はお猪口で飲むんだ、だからぬる燗なんてものがあるんだ、
と納得した。
しかし、どうしてもワインを暖めすぎてしまい、
毎回ふがふがしてしまう。
ぬるいと冷めるのも早いしね。でもやっぱりいいなぁ、ホットワインは。

昨日はだいぶと食を我慢し、一晩で0,5kg減ったのもつかの間、
今日は寿司屋に行き、寿司をたらふく食べてしまった。
母親が残した分までぺろり。ふりだしに戻る。
まさににすごろくのあの感じとおんなじ。
明日は友達とご飯食べにいくし。道のりは遠いなぁ。

突然話しは変わり、縁あって、私はときどきイベントのオーガナイズをする。
私が「しよう!」と思ってするのではなく、
「して。」と頼まれるので「うん、する。」となるのだけど、
そこでのやりとりはすごく自然な流れなので、私は必然的にそれをしている。
オーガナイザーはとにかく人を集めるということをしなくてはいけないのだけど、
それがなかなか難しい。
イベント内容そのものは、本当に素晴らしい内容で、
「三重県でこんなイベントができるなんてほんとすごい!みんなに知らせなきゃ!」
という気持ちでいっぱいになり、居てもたってもいられなくなるのだけど、
周囲を見渡すとなかなかその気持ちを、
受信してくれそうな人物が居ないことを思い知る。
「来てね!」ていうのは出来るけど、
その人がほんとに楽しめるだろうか、と考えた時にやっぱり未知数だし、
変に相手に「友達のあれだし・・・」みたいなノリで来てもらっても悪いし、
やっぱり本人がそこにある情報と向き合って、
「行きたい!」「たのしそう!」という、
純粋にビリビリした感触を感じて来てもらいたいし、うーん難しいところなのだ。
そしてこの“ビリビリとした感触”は本当に人それぞれ、
その人のものなのである。
ビリビリ感を伝染させていくにはどうしたらいいのかというと、
フライヤーの見せ方もあるだろうし、本人の伝え方もあるだろうけど、
やっぱり本当はそこにある情報、それ自体から発せられるエネルギーを、
うまく抽出して、感度のよさそうな人を見抜いていき、
的確にそこに伝えていくという作業の精密化だろう。
街にフライヤーを置くとか、ネットで告知する以外にも、
やはりそこで重要になるのは人と人とのネットワークだ。
しかし、そのネットワークも注意深く人付き合いをしていないと、
自分が発信したい情報が無駄に終わる事もある。
この土地のどこかにいるであろう、本物を観たがっている人たちを、
もっと発掘できたらいいと思う。
とは言っても、数年前に比べたらだいぶマシになってきた方だ。
イベントのオーガナイズという作業に関わる事は、
情報の流れつまり大きなエネルギーの流れを産み出しているのであり、
それに関してはすごく意義の在る事をやっていると感じる事が出来る。
私自身ほんとうにありがたいことなのだ。
もっと純粋に関わっていけたらいいと思う。
そこにあるエネルギーそのものを誰かに届ける仕事に徹して、
この場所の空気感が徐々に変化していけばいいと思う。

結局この土地の人たちは何をするにも仲間意識というか身内意識が強すぎて、
まぁ、その意識がないと人を集められないのも事実なんだけど、
なにかをしようとした時に、どうしてもサークル的なノリになるのがどうも苦手なのだ。
言葉は汚くなるが、正直反吐がでる。
純粋にそこにある音楽を楽しむ人たちが純粋に集まれる場所を提供したい。
ただそれだけだ。

そういうのがほんとに嫌なんだなぁ、あたし。

豚になる日

朝起きて居間を通過すると、母親が私をみて開口一番、
「太った?」

超気分悪い。
知ってるし。気にしてるし。まずいな〜とか思ってるし。
母親という生き物はそもそもデリカシーというものが欠如している生き物なので、
そういうものを求める事自体が間違っていることも知っているのだけど、
さすがに、「いらっっ」っとしてしまい、朝からスーパー不機嫌になってしまい、
独りで神経をバサバサさせていた。

私は最近ブヨブヨしている。
なぜなら食べたいものを食べたいだけ食べているからである。
昨日はマクドナルドに行って、チーズフォンデュ味のハンバーガーと、
ポテトと、コーラをお昼に食べ、
夕方になると、シェイクとたこ焼きを食べた。
漫画みたいにガツガツという音が聞こえてきてもおかしくないぐらいに食べている。
近頃なにを食べてもおいしいのだ。
食べることが幸せで仕方がない。

今朝鏡をみるとつるっとしたほっぺたに、ぽつんとニキビが。
かなり目立っていてショック。
しかし昨日の食生活を考えると自業自得の結果である。
体もむくんでいる。というか脂肪がちょっとずつ増えてきているのがわかる。
デブだ。私このままデブになるんだ。
最近髪の毛も伸びっぱなしで、なんだかだらしがないし、
ああ、なんかすごい駄目っぽい。引きこもりの過食みたいな・・・。
と、思ったらどんどん怖くなってきたので、
そろそろ本気で痩せること真剣に考えようと思います。

しかし食べても太らない人って本当にうらやましい。
食べたいだけ食べて、お酒も飲みたいだけ飲んで、
全然脂肪にならない体になりたいなー、切実に。

そういえば、こないだ大学時代にフランス語を教えてもらった先生が、
ビールじゃなくてワインを飲むと痩せると言っていたので、
ワインを飲もうとおもう。
ポリフェノール満載だし、ああ、そうだワインを飲むのだ。
そしてチーズを食べよう。

ああ、やっぱりどうしても食べる事をばかり考えてしまう。

2010年10月19日火曜日

遺伝のはなし

母親はなぜこんなにも何もしないんだろうと、
つくづく思っていたのですが、今日はその理由が少し解明された気がしました。

母親の父親の話し、つまりおじいちゃんの話を聞いてとても納得しました。
おじいちゃんは酒飲みで毎日毎日お酒を飲んでいました。
朝起きたらコップ一杯の日本酒、昼にコップ一杯の日本酒、
昼下がりにコップ一杯の日本酒、晩酌にコップ一杯の日本酒、と言った具合に、
一日中日本酒でほろ酔い状態で暮らしていたそうです。
その代わりに、母親の母親、つまりおばあちゃんはとても働き者で、
一日中落ち着く事なく、家を出たり入ったりして、せわしなく働いていたそうです。
母親はというと体を壊し、家に引きこもり30代半ばまで無職でした。
本ばかり読みふけり、家事は全て母親にまかせっきり、
居間のこたつに座れば、自動的にご飯が用意されている生活。
おばあちゃんは、おじいちゃんと嫁に行き遅れた娘と
二人の家族の世話をし続けたのでした。

そしておばあちゃんはわりと若い年齢で犬の散歩中に転んで亡くなります。
依存しきっていたおばあちゃんが亡くなって、
しばらく抜け殻のように暮らした母親は30代後半で見合いして結婚します。
結婚した相手は野心を持ち精力的に働く男でした。
3人の子どもを授かり、苦手な家事もなんとかやって、
それなりに子育てをこなした母親。
そんな母親に対する子どもからの印象は、
タバコ吸いながらコーヒー飲み一日中テレビを見続ける姿でした。
子どもながらに「専業主婦っていいなぁ」なんて思っていましたが、
多分、普通の専業主婦はもっとせわしなく動いているものだと、
最近やっと解りました。あの母親の姿は特別なものなのだと。

おじいちゃんはタバコと酒をこよなく愛し、
母親はタバコとコーヒーをこよなく愛していました。
そして一日中ほとんどなにもせず生きていました。
(あ、母親はまだ生きてますが)
労働という労働の全てを自分の人生の最小限のものにとどめました。

ちなみに、私はタバコを吸いませんが、酒とコーヒーは愛しています。

この流れからいくと、
私がもし結婚するとしたらすごく働く人と結婚するでしょう。
なぜなら、私がそんなに働きたくない性質を少なからず受け継いでいるからです。
そして、そんなに働きたくない人同士は相性が合わず一緒に暮らすと、
無駄なトラブルが多くなるというのが経験から得た知識です。

そう考えると、お父さんはすごくいい男なのです。
とても働き者だし、寛大だし、ちょっとやそっとのことではへこたれません。
前妻からも今だに愛されているようです。
もちろんとても駄目な部分もたくさん知っているのですが、
それもきちんと相殺するぐらいのいい部分があります。
人ってそういう風にできているものなのでしょう。

とにかく、すごく働くお父さんと、全然働かないお母さんの子どもの私は、
どっちつかずで、週3日働いています。
まぁ、私は私なりの感覚でこれからもそれなりに人生の舵をとるのだと思います。
つまりそれが守られているということなのかもしれません。

引っ越し

新しいブログにしてみました。
どうだろうねぇ。