2011年6月29日水曜日

狂う人

昨日ふと目にした菊地成礼氏のブログ、これが非常に興味深かった。
「女性編集者は狂うのか(同時多発)」というタイトルの記事なのだけど、
連載を突然打ち切りにされたり、話しも来てないのにすでに予告を打ち出したり、
とにかく女性編集者(2件とも担当編集者が女性だったそう)の、
幼児退行化が甚だしいという菊地氏の見解が綴られている。
そしてそれに対して仮説を打ち出し一抹の不安を訴えておられる。

実は私も編集者の妙な対応にあったことがある。

実は以前、突然、某カルチャー紙の編集長から連絡があり、
誌面に載せる文章を書いて欲しいとメールを頂いた。
その某編集長はテーマを持っていてそれに沿って書いて欲しいとのことだった。
私はそのテーマが良いか悪いか別にして、とにかく書いてみることにした。
いくつかの原稿を送り、いくつかのメールでのやりとりをし、
某編集長の返信を待っているとき、
3.11は起きた。
以降、全く返事は来ていない。
こちらからも問い合わせていない。

有名カルチャー誌の有名編集長でさえそんな案配である。
彼が何か直感的に私の文章に感じる所があり、
「なにか書いて欲しい」と思うのは自由である。
こちらも光栄だし、ありがたいと素直に思う。
しかし向こうに提示して頂いたテーマに沿って書いていて、
あまりおもしろい文章だとは思えず、
「こんなのおもしろいか?」と思いながら原稿を送っていたので、
なにやら検討違いの原稿が送られてきたとしても、
「ちょっと違う」とか、
「やっぱり今回の話しはなかったことに」
という一言を言って去ってもいいのではないかと思う。

そういうのも全く無く放ったらかしにして、
なかったことにしようとしているのだ。

これに対して私は、菊地氏と同様に、怒りや悲しみを通り越して、
一抹の不安を覚える。

どうも、東京で第一線で流行を必死で追いかけているような人間は、
どこか狂っているところがあると。
彼らが大事にしているのは、一種の感覚であり、
次にブレイクしそうな世界を見つけることであり、
とにかく手当り次第に唾をつけるというような、
鼻がやたらと効く犬のような生き物になっているということだ。

それがやっぱり違うと思ったら平気で捨てる。
また新しい感覚、世界を見つけたらそっちに走る。
そしてその捨て方がまた雑なのだ。
彼らが欲しいのは、この世を渡り歩く為の保身であり、名声だ。
彼らが人を人とも思わず、なりふりかまわず動いた結果は、
いつか己の身に降り掛かるだろう。
面白いことや楽しいことを求め続け、
それを表現し続ける快感に溺れるあまりに、
失うものもあることを肝に命じた方がいい。

そしてそれは自分にも言えることだ。
私もきっと彼らと同じくどこか狂っているのだろう。

2011年6月27日月曜日

おむかえでゴンス


・手塚治虫の作品に度々出てくる↑はスナイパーと言うそうです。
「おむかえでゴンス」が口癖。

・友人に薦められた「三つ目がとおる」が読んでみたくて、
ネットの中古で大人買いしました。

・うちの猫を時々無意識のうちに「にゃん太郎!」
と呼んでることに気がつきました。
ちなみに「ゆき」という名前なので主に「ゆきちん」と呼んでます。

・人生で初めてお取り寄せというやつをしました。
北海道の「じゃが豚」というやつです。
じゃがいものでんぷんで作ったもちもちしたやつの中に、
餃子の具のようなものが入ってるやつです。

・人のブログに貼ってあって、ぐっときた動画を紹介します。


tahiti80が好きだった頃を思い出しました。
さわやかだわー。
そうそう、つきぬけるほどさわやなものが好きだったんでした。
the sea and cakeという人たちだそうです。
健康的な夏が過ごせそうです。
そして、Yo La Tengo!


これがまためちゃくちゃいい!
このCDがホームページからしか買えなかったので、
思い切って初めて海外に注文してみたけど、どうなんでしょう。
思いっきり漢字で入力してしまったけど、だいじょうぶかな。
画面の向こうで、漢字でごり押ししてくる日本人にイラついてる
アメリカ人の顔が目に浮かびます。

そしてこの動画!
すごいわー。世界感じるわー。繋がってるわー。超たのしそうだわー。

2011年6月26日日曜日

ゆっくり

昨日は友人に誘われてワインバーのお店のイベントに行きました。
ゆるくゆるく、ロックの歴史を解説しながら、
時々ギターで弾き語るという内容でした。
ゆっくり、のんびり、気ままなペースでやってるのが良かったです。
こういう音楽の遊び方もあるんだなぁ、と感心して、
イベントの色々な形を試みるのはおもしろいと思いました。

日々、重い問題が頭をもたげますが、そのことに一生懸命になるあまりに、
つらくて、しんどくて、ぐるぐる堂々巡りの世界に埋没するには、
あまりにも人生がもったいないことだ、と思いました。
でも、優しくて、真剣で、物事の深い部分が見えてしまう人間というのは、
自然とそういう世界に足を踏み入れてしまうものです。
持って産まれた、どうしても逃れられない気質というのがあるのです。
でも、いずれそこから突然、ふっ、と抜け出す瞬間があって、
そういうとき「ついてるな」と思ったりします。
それは祝福されるべき幸運であり、恵みであり、生きることの喜びです。
人間にはそういう力が備わっている以上、
どんな状況であっても浮上できるのだと思います。
そのような力を私たちは信じるべきで、
それこそが信仰に値すべきものなのだと思います。
些細な小さな小さな世界や、当たり前だと思っているものに、
奇跡や神様は隠れているのであり、
人間が気が付こうと、気が付かまいと、
私たちはそういう力に翻弄され続けているのだと思いました。

2011年6月25日土曜日

ぐったり


暑い日々が続いています。
猫もぐったりしています。
写真のようにベッドの上に寝っころがれるときはまだマシだったのですが、
今では床にしか寝ようとしません。
やっぱり暑いの嫌です。
熊谷ですでに39℃とか考えただけで気力が萎えます。
しかし夏はこれからなのです。
ほんとにぞっとします。
この夏は朝顔をたくさん咲かせることだけが楽しみになりそうです。

久しぶりにCDを買いました。
ブライアン・イーノの新譜と、ロックブッダのCDです。
どちらもこないだ購入したスヌーザーから得た情報で買いました。
ブライアン・イーノは前々からずっと気になっていて、
ちゃんと聴いてみたいと思っていたのですが、
どのCDから買えばいいのかわからなかったので、
最近出た新譜から入ってみました。
気持ちがいい洗練された音で、なかなかよかったです。
浮遊感がたまらない感じでした。
今回のアルバムは詩とか声にこだわって創っているようなので、
詩の訳がとても気になる所でしたが、対訳は付いてなかったのが残念でした。
2年前のブライアン・イーノのインタビューがよかったのでリンク貼っておきます。
http://www.timeout.jp/ja/tokyo/feature/138
ブライアン・イーノが雅楽のCDも手がけているということで、
そのCDも今度聴いてみようと思います。

ロックブッダは、スヌーザーのインタビューが、
すごくおもしろかったので買いました。
久々に突き抜けてる感漂うアーティストに出会ったと思いました。
七尾旅人が鬱々としていた頃かなり交流があった人みたいで、
「あんときの七尾」の原因はこのロックブッダこと、
国府達矢氏が大いに関わっているようでした。
他にも、salyuに曲を提供していたり、
くるりの岸田繁氏が評価していたり、
あとなぜかヨシダダイキチさんがホームページにコメントを寄せていたり、
とにかく国府達矢氏の周辺からして注目に値します。
CDは最近ロックブッダ名義で出した「+1Dイん庶民」と、
国府達矢名義の「ロック転生」の2枚購入しました。
ロックブッダの方はめちゃくちゃよかったです。
ただインタビューでもコーネリアスを評価していたように、
コーネリアスを感じる所もなきにしもあらずでした。
これは是非ライブで観てみたいと思いました。
ツイッターで本人が「クラスヌでライブしたい!」と言っていたので、
もし実現したら10年ぶりぐらいにクラスヌに行こうと思います。
「ロック転生」はくるりの岸田繁氏が評価するのもうなずける感じでした。
岸田氏が創る音楽の私が好きな感じとすごく似ていると思いました。
でもどちらがよかったかというと、断然ロックブッダのアルバムです。
真正面から音楽と宗教を混在させようとする試みがおもしろいと思います。
改めて「信仰」と「表現」について考えさせられました。

久しぶりにぐっとくる音楽に出会えてよかったです。

2011年6月22日水曜日

なんでもない水曜日

松本人志監督の「さや侍」を観てきました。
中盤からのまさかの号泣でした。
ほんと一人で観に行ってよかったです。
目から水がダラダラ流れてきて、びっくりしました。
いつも思うのだけど、松本人志監督の映画って、
外国人にもわかるように作られている気がします。
むしろ、外国人に解って欲しがっているようです。
今回の「侍」や「切腹」っていうテーマにしろ外国人が喜びそうな内容で、
松本人志はそんな風にして日本というものを伝えたいのではないかと思います。
「大日本人」、「しんぼる」、「さや侍」
全て松本人志の世界で、松本人志の間で作られていて、
私はそのことに結構感動します。

そのあと柄にもなくおしゃれなカフェにおしゃれなランチをしに行きました。
店員さんもおしゃれなお兄さんでOOIOOのTシャツを着ていました。
そのことをつっこみたかったのだけど、
いかんせん奥手な性格が出てしまい伝えられませんでした。

図書館に本を返しにいって、
ツタヤに寄ってなにか観たい映画はないものかと物色したのだけど、
これといってなく、しょんぼりしながらホームセンターによって、
花の苗をいくつか購入しました。
くそ暑い昼下がりに妙にテンションがあがり、
汗を大量にかきながら無我夢中でプランターに寄せ植えをしました。
近頃はめっきり他人の庭の園芸が気になります。
どこの家も大抵園芸を楽しんでおり、これは歳をとっていなくても、
園芸というものはなかなか楽しいものだと思いました。

2011年6月20日月曜日

最後のスヌーザー


てわけで、音楽誌snoozerが終わりました。
なので、今まで一度も買った事なかったのですが買ってみました。
編集長の田中宗一郎氏がスヌーザーの最後にどのような言葉を連ねているのか、
じっくりと立ち会ってみたかったのです。

音楽誌というのは、音楽をとことん言葉で分解し、
ミュージシャンの背景を探り、ミュージシャンの言葉を伝え、
さらに深い音楽の魅力を的確な言葉で世に伝えるという雑誌です。
といっても、ライターの偏見もあり、思い込みもあり、
「ああこういう感じ方もあるかぁ」とか、
「そうそう、そういうことなんだよ」とか、
「いや、そうじゃないんだよ。わかってねーな」とか、
ああだこうだと、
リスナーであり読者は音楽をより深く味わうひとつの材料にします。
音楽の感動を言葉で伝える、というのは、すごく難しいことでもあります。
音楽が言葉を越える事の出来ない部分は確かにあります。
しかし言葉によって伝える事の出来る情報も確かにあります。

今回の最後のスヌーザーの言葉によって、
貴重な情報を手に入れて新しく出会う事ができました。
久しぶりにCDを買うことにしました。
そんな風にして、音楽誌というのは、
今まで知らなかった音楽と突然出会える可能性だって十分にあるのです。

そのような良質な音楽誌がひとつ減ることはさみしいことでもありますが、
これも時代だと思うし、また新しい形で何かが産まれるということなのでしょう。
音楽を愛する気持ちは失われる事なく、
どこかで、誰かが吐露するのだと思います。
タナソウは「求心力は失われた」と発言していたのですが、
確かに昔のような求心力はすでにないかもしれません。
でもそれは、誰かの感覚に頼る事なく、
自分の聴くものを自力で集めようとする人間が増えたのではないかと思います。
「感覚を大切にする」ということ。
そのことで、表面上の孤立化は進んだとしても、
さらに深い部分で人間同士が繋がれるのではないかと思います。

色々思う事がありますが、
時代は変わり音楽も変わり音楽を取り巻く環境が変わってしまったとしても、
人間が音楽を愛する気持ちは縄文時代も現代も大して違わないと思います。

最後にスヌーザーが読者をキッズと呼ぶことに、
ひとつのスタイルであり、世界を感じました。
私もひとりのキッズとしてこれからも音楽を聴き、
愛してゆこうと思いました。

2011年6月17日金曜日

あんときの七尾



お兄ちゃんが30歳になりました。
このバースデーケーキがめちゃくちゃおいしかったので、
次の私の誕生日もこのケーキでお願いしました。
とりあえず誕生日はホールのケーキを買ってきて、
ローソクさして、みんなでつつく感じです。
照れくさいけどこれは続けています。

近頃の七尾旅人氏が作る曲は、たくさんの人が聴きやすい曲が多く、
それに伴い人間関係も充実してきているので、
人として成長したんだなと安心もするのですが、
昔のように、たった一人で闘っているような、
ギリギリに追いつめられた切羽詰まった感じも嫌いではないです。
あれはあれで魅力があったのです。
私が大学生のとき、友人から七尾旅人のことを教えてもらい、
ホームページを覗いてみるとかなり危うい空気が漂っていたのを覚えています。
ブログも読んでみると、めくるめく世界が繰り広げられていて、
「この人なかなか世の中に受け入れられないだろうなぁ」
という印象がありました。
CDを聴いても難しくてよくわからないし、
でも、すごく独創的なことをやっている、
希有な音楽人である事はひしひしと伝わってきました。
数年経って、七尾氏はやけのはらとの共作「ローリンローリン」や、
「検索少年」など今までにないポップな路線を打ち出してきました。
それが見事に大衆のハートを捉えて、
歌い手として多くの聴衆を魅了するようになりました。
七尾氏はようやく人々に発見されたのです。

私は時々、あの独特の鬱屈とした世界を思い出します。
もうあのような文章に出会う事はないでしょう。
そんな風にして人は刻一刻と変化しています。
その時その時の美しさを見せて、
私たちは生き、そして老い、いずれ死ぬのです。

しかしこれだけは言えそうです。
あの鬱屈した時代を通り過ぎたからこそ、
彼は今、独特の輝きを持って日本の音楽界に居るのだろうと。
芸人で言うと有吉のようなところでしょうか。
苦い汁も味わっていて、
そこから這い上がってきた人間にしか持ちえない強さが確かにあります。
私は人間のそういう強さであり美しさに感動を覚えます。

ハンデは武器になる。
そのことを忘れないようにしたいと思います。

2011年6月16日木曜日

八丈島の思い出

今日は朝から雨ということで、
早起きしようと思っていたのですが、
しとしとという雨の音が「まだ眠ってていいよ」と聴こえたので、
とことん惰眠をむさぼりました。
今日の雨はほんとうに優しい優しい雨だと思います。
土も植物も空気も音も立てずにぐんぐん浄化されている気がします。
こういう日は大島弓子さんの読みかけの漫画を読む為に用意されているのだな、
と思いました。
という訳で、あとで読もうと思います。

友達から先月、八丈島行ったときにビデオで撮影したDVDが送られてきました。
これが思いのほかおもしろく、癒し系のDVDでした。
本当にしょうもない事でゲラゲラ笑っていて、
「こんなしょうもない事でゲラゲラ笑えるという事はなんて幸せなんだろう」
と思いました。
あと集団における自分の発言や立ち位置を初めて客観視できて、
「ああ、こういう人なんだなぁ」という発見というか、
そういうのができておもしろかったです。

これからも友人同士の小旅行に、
なんとなく呼びたくなる人間でありたいと思いました。
「あの人呼んだら、ちょっとおもしろくなりそうだから呼んでみよう」
みたいな、そんな人であり続けたいと思います。

2011年6月15日水曜日

バカドリルとバカリズム

私の人生が突如、怒濤のタナカカツキワールドに入り込んでおります。
つまるところタナカカツキ氏の世界というのは、
ある種の「原風景」が詰まっているのではないかとおもう。
細野晴臣氏の音楽にも通ずるもの。
私たちはいつだってもと居た場所の風景に憧れにも似た郷愁を抱いている。
その気持ちを喚起させられるのだと思う。
岡本太郎氏の世界と見事にコラボレーションして、
アニメーションで生き生きとした光景を見せてくれる。
絵画の中で静止した状態で描かれていた色とりどりの線は、
命を宿らせたかのように動き回り、
とても愉快でエネルギシュな世界として立ち現れている。
岡本太郎の世界のより正しい見方を教えてもらったような気がしている。

タナカカツキ氏といえば、天久聖一氏とのバカドリルが有名だけど、
バカドリルを観ているとふとバカリズムを思い出す。
こないだIPPONグランプリを観ていて、
バカリズムの大喜利の強さに驚いたのだけど、
あの大喜利の回答はバカドリル的要素が大いにあると思う。
バカリズムが普段一体どんなネタを披露しているのか、
いまいち正確に把握していないのだけど、
ちょっとギャグ漫画家のような部分はあるのではないかと思う。
今度レンタルビデオ屋でバカリズムのDVDを借りて確認してみようと思う。

2011年6月14日火曜日

タナカカツキまみれ

今日は午前中からホームセンターに行って、
ゴーヤの苗を買いました。
ハイビスカスがキレイに咲き誇って激しい自己主張をしていたので、
まんまと買ってしまいました。
ハイビスカスの近くにあった食虫植物もかなり気になりましたが、
やっぱりハイビスカスにしました。
ゴーヤとハイビスカスということで、
かなり庭が南国チックになってきて、
こうなったらとことん南国化させてみようかと思います。
ブーゲンビリアとかもあったら購入にしてみようと思います。

こないだ友人から大量のタナカカツキDVDが送られてきて、
いつ見ようかとタイミングを見計らっていたのですが、
それにいよいよ手を付け始めました。
まだ全部観てはないのですが、
やはりタナカカツキ氏の色彩感覚はタイプだと思いました。
あと、岡本太郎とか、赤塚不二夫、藤子F不二雄、昔の少女漫画風など、
もとある材料を完全に自分のものにして、
パロディにする才能が半端ないということに気がつきました。

私の中に「真理」とか宗教のような哲学のような、
少々胡散臭く、小難しい世界を求める心理と、
本当にばかばかしいものや、美しいものを求める心理と、
ほとんど同じ分量で存在していて、
どちらの色が濃くなるかでその時求めるものが違ってくるということを、
発見しました。
しっちゃかめっちゃかですが、
しっちゃかめっちゃかのまま突き進んでいきたいと思います。

あと漁業体験をしに来た友人がそのときの様子をブログにアップしています。
友人らしく無味乾燥で淡々と、かつ、しごく丁寧に書かれており感動しました。
よろしかったらどうぞ。
http://pokodays.jugem.jp/

2011年6月13日月曜日

炭酸と沖縄

ここのところ炭酸飲料をよく飲んでいます。
こないだ来ていた友人と食事をしに行くと必ずソーダ類を頼んでいました。
ゆずソーダ、レモネードソーダ、ラムネ、ときて
今日はファンタグレープを自販機で買いました。
本当はマウンテンデューを欲しているのですが、
どこにも売っていません。
もうネットで買ってしまおうかと思ってしまうほどです。

さっきスーパーでオリオンビールを買いました。
そして昼は沖縄そばでした。
郵便局にいったらシークァーサージュースの試飲をさせてもらいました。
無意識が沖縄を欲しているようです。
つまり、マウンテンデューと沖縄をこよなく愛しているということです。
そんなことが意識上に浮上してくるのは、
気温も上がり、半袖で過ごせる陽気になってきたことが、
大いに関係しているように思います。
夏はもうすぐそこです。

2011年6月12日日曜日

人生はよくできている

友人が3日間の漁業体験を終えて次の研修先へと旅立っていきました。
なんだかんだと、ご飯やお茶を一緒にして、
一日3時間以上は喋っていたと思います。
とりとめもない身辺の事を喋っていたのですが、
そのとりとめのなさが良かったです。
いいタイミングで人と出会い、人と話しが出来て、
人生ってよくできてるなぁ、としみじみ思いました。

今回の村上春樹氏のスペインでのスピーチが尋常ではなく素晴らしかったです。
子供でもわかるような、簡単な言葉を使って、
美しく端正に創作してあるのがよくわかります。
村上春樹氏が「無常」について語っていたのが印象的でした。
「無常」については、私もここのところ考えていたところだったので、
感じ入ることがたくさんありました。

頭痛で頭がうまく働かないのでこの辺で終わります。

2011年6月8日水曜日

こんがらがった精神


髪型が画像の人みたいなイメージを彷彿とさせるようになってきたので、
今日、切りに行くつもりです。

千葉の友人がやってきました。
父のもとで3日間、漁業を体験するようです。
昨日は友人が「andymoriの新しいアルバムが欲しい」という願望を叶えるため、
CDショップを三軒ぐらい回りましたが、
どこも売ってませんでした。
正直がっかりでした。
とはいえ、結局自分はCDはamazonで買っているので、
地元のCDショップも入荷しても売れなそうなやつは、
置かないのだろう、と思いました。

一人きりになると、絶望的なことばっかり考えている私ですが、
誰かと話しをしていると、すごく楽になり、
人生を多角的に眺める事ができるということを発見しました。
私にとって、絶望は必要な要素で、
絶望がないと前に進むことができない仕組みになっているので、
わりと絶望を求めてしまうというめんどくさい節があるのですが、
人は全く、ほとんど、絶望は必要としていないことを実感します。
世の中の健康で優良な精神を携えている多くの人々は、
絶望の、ぜの字も知らないような顔で暮らしていて、
ああ、世の中の暗闇は、
精神がこんがらがった一部の人間が
勝手に創りあげている世界にすぎないのだなぁ、と思いました。
そう考えると健康で優良な人間にとって、
絶望を創りだすこんがらがった精神を持つ人間は、
迷惑極まりないのだろうと思ったりするのです。

こんな風に極端に2極化をして世の中を見渡してしまうのが、
私の世界の悪い癖なのだけど、
とにかく、健康で優良な精神を作り損ねた、
こんがらがった世界を持ち合わしている人間である事は、
間違いないのだと思いました。
そしてそれをむりやり治そうという気もさらさらない、
ということなのだと思います。

2011年6月6日月曜日

友人のブログ

友人のぶんちゃんのブログを紹介します。
ぶんちゃんは色々なことを知っていて、
会うたびにおもしろい話しが聞けて、
その話しを聴くのがいつも楽しみです。
あと地味に凄い人と出会う引力とか半端ないです。
ぶんちゃんの世界を通じて、
地元の新たな魅力を発見したりするのでした。

それにしても、地球の事を本気で心配している人たちって、
ほんと偉いなぁ、と思う。
そういう世界に一回染まる事が出来たら楽なんだろうけど、
私はどうやら楽になりたくないらしい。
私がえげつないことばっかり考える人だから、
こういう人たちとあんまり仲良くなれないんだろうなぁ。
なんか後ろめたくなる。

それにしても、これまで出会ったなにもかもが、
中途半端に通り過ぎるな。
なんだろうな、これ。
きっと私がどうしようもなく中途半端な人間なんだろう。

2011年6月5日日曜日

地元のフェス

タイコクラブに行かなかったので、
近所のフェス(祭り)に足を運んでみた。
途中で「在日ファンクいいわ〜」とか、
「七尾旅人がローリンローリン歌ってる」とか、
友達からいちいち気遣いなのか嫌がらせなのか、
どっちとも取れるメールが入ってきて、(きっと気遣い)
残念ながらイライラしてしまったのは、
私の心の狭さ以外の何ものでもない。
ビールを飲んで、チーズ棒を食べて、なんとか悔しさを紛らわしました。
地元のフェスは小学生と中学生と親子連れとお年寄りが、
主なオーディエンスで、
中学生ぐらいの子で、すでに男目線を意識した、
肩丸出しで浴衣を着こなしたりしていて、
なんかもうよくわからなかった。
地元の祭りは田舎の人間にとって数少ない刺激のひとつだということを、
改めて思い知らされた。

この祭りは、昔、天皇家の皇女が一人選ばれ、
伊勢神宮に祈りを捧げる為にやってきて、
その人物を斎王と呼ぶのだけど、
斎王が暮らしていたのが斎宮という場所で、
その歴史を振り返る祭りである。
なので巫女の舞や雅楽の演奏を聴いた。
やっぱり笙がいちばん好きだと思った。

やっぱりタイコクラブ行きたかったなー、
という気持ちはあったけど、
行かなくてよかった、と思える事が、
ちょいちょいあったので、
まぁ、よしとする。

2011年6月2日木曜日

ニート×3


今日は絵描きのニートと50代のニートと、
アラサーの新参者ニートで集まった。
これだけニートがひとつの場所に集まったら、
なにか悪い事が起きるのではないかと(例えば地震とか)
ハラハラしたけど今のところ何も起きてない。
何か起きたらすみません。

CDや漫画や本を貸したり借りたり、
雑談しながら、
フレードリヒ・シュレーダー・ゾンネンシュターンの画集を眺めたり、
CD聴いたりしつつ、お菓子食べて、ジュース飲んだりして過ごした。

なんだかよくわからないが、
この集まりにそれなりの意義を見つける。
普通の人が知らないたくさんのことを知っている彼らは、
彼らなりの人生をまっとうしており、
私が無意識のうちに要求していることを、
少なからず持っているのだろうと思う。

人が人として生きる事のいやらしさであるとか、
打算的な交流、そういうものを排除したいと思い込んでしまうと、
人は孤立する。
孤立は闇を産む。
闇を観る。
闇に浮かび上がるもの。
きっとそれは真実だと私は思う。