2010年11月30日火曜日

ただの妄想

昨日友達の妊娠の報告を受ける。
とても嬉しかった。
元気な赤ちゃんが産まれてくるといいな。

色々な妄想が頭の中を駆け巡る。
自分勝手に、こんな風だったらいいなぁ、を頭の中で再現する。
すごく幸せ。すごく楽しい。
本当じゃないかもしれないけど、
ただの私の頭の中だけの世界なのかもしれないけど、
それでもこんな風な幸せな気持ちにさせてくれるだけの、
材料をくれてありがとうと思う。

私の命は、まず家族のためにある。
そして次に誰かのためにある。
なんだか解らないけれど人に産まれ人として生きていること、
この不思議さを思いながら、
時々憎らしくなったり、楽しくなったり、
自由自在に私はここで生きている。

よくわからない事を言っていると思う人がいるだろうけど、
わかる人がいるかもしれないという賭けで書いている。
この精神は池田晶子さんから学ぶ。

曖昧であやふやな、まるで夢を見ているような心地で、
私は人生を歩むのだろう。
その中でふらふらとどこかに進んでいる。
頼りになるのは、ただ自分の嗅覚のみだ。

以下突然ラブレターを書きたくなったので書いてみた。

これからもずっと見ているんだとおもう。
君が世界を縦横無尽に動き回る姿をみて、
君の思惑通りになるように念を送り続ける。
夢を叶える力が君にはある。
人をよく見ているし、人をきちんと愛しているのが伝わるから、
君は君だけのやり方で世界を切り開いていく。
だいじょうぶ。
安心して。
たぶん私は君を理解しているから。
これからも無言で君を理解することを努め続けるから。
もし私が変な気持ちになって卑屈になってしまうようなことがあったら、
それは私の気持ちがまだまだ弱い証拠。
もっと強くなれるように頑張るよ。
そうやってこっそりと世界を支えているよ。
だから今日はぐっすりと眠るといいよ。
いつも君の側にいて、君が君になっていく様を見守っているよ。
私は君がいつでも安心できるように、
自分自身を鍛える事を頑張るよ。
今よりももっとはっきりと世界が受信できるようにする。
私がやるべきことは君が教えてくれたんだ。
今、明確に理解した。
私はただ強くなる。
君を引っ張っていけるだけの世界を創る。
ただそれだけなんだね。
私が心の底から確信したかったのはそのことなんだ。
命が途切れるその瞬間まで気を抜かないで、
見つめ続けて強化し続ける事。
私はそれをしようと、そう思ったんだ。
その気持ちは多分“信仰”って呼んでもいい気がする。


君がこれを読んでいようといまいと、それはどうでもいい事なんだ。
ただ私の中にある世界を引きずり出すために言葉を使う。
私の中にある透明な想いを言葉に乗せて表したかった。
それは自分自身を強くする事が目的なんだ。
言葉で世界を縛ることで、世界が浮かび上がる。
そういう事を私はほんとうに信じているんだよ。


もし読んでいるなら私の世界はそういうことなんだって事を伝えたい。
全然違っていたら私はとても孤独な人間なのかもしれないけれど、
まったくの不幸だとも思えない。
もしかしたらそれはそれで幸せなことでもあるのかもしれないから。

2010年11月28日日曜日

言葉のその奥にある風景

ハリーポッターを観る。
まだ最終章のpart1。多分part3までは続くだろう。
それにしてもどれだけハリーポッターで稼ぎたいのだ。
まるで『渡る世間は鬼ばかり』状態だ。
まぁいいけど。

『言葉が足りないとサルになる』を飛ばし読み。
途中興味の無いサッカーの話しなどが挟まれているため。
ほんと自分が興味ないと飛ばしちゃうんだよな。
文面の流れから察して自分にはあまり必要の無い情報だな、
と思ってしまうと読まない。
もしかしたらこの中に有益な情報が隠されているかも?
なんて思っても、面倒が先立って読まない。
あまりよくない傾向だと思うけど、これはもうしょうがない。
大学生の言葉の足りなさを大学の教授が危機感を抱いていて、
問題にしてるんだけど、「確かにこの状況はまずいかもな」と共感しつつ、
完全に言葉が足りないサルの代表みたいな人間が私なのであって、
どうやらそんな若い人たちがいよいよ増えてきて、
世の中まともに話が出来ないサルみたいな人たちで溢れかえっているんだな、
という感慨をもつ。
やはりおじさん達はどうも人間がどんどん劣化しているように感じ、
それがとても心配で、恐ろしく、憂いているらしい。
というか、そもそも大学という存在がほとんどの人間に必要ない、
ということではないか、と私は思う。
そこまで明確に言葉を操る能力を育むシステムが教育現場にないというのもあるし、
ネットやテレビや雑誌の影響で言葉がどんどん変化していて、
それを子ども達はぐんぐん吸収して吐き出している結果だとも言える。
曖昧さや、不明瞭さ、が日本人の持ち味なので、
その性質がどんどん強くなっているというのもあるかもしれない。
そもそも一体なにが起きているのかというと、「幼児化」だ。
幼児が社会に出て社会をまわす。
そんな事が到底できないから、ニートやアルバイトになる。
言葉が足りない。言葉を構築できない。
この能力の欠如。不甲斐なさ。
それは私が随分前から常に感じているものだった。
どんどん言葉を使えなくなって、私たちはどこへ行くのか?
よくわからないけれど、とにかく人は変化をし続けている。
もしかしたら本当にサルになってしまうのかも。
たまの『さよらな人類』が頭をよぎる。

『残酷人生論』を読む。
うーん、池田晶子さんの世界はやはり素晴らしいです。
ある意味これは聖書だと思う。
といっても、仰々しいわけでもなく、
一人の人間の澄み切った思考の繰り返しの中にあるその一端に垣間みる、
神聖さ、のようなもの。
これほどまでに魂に正直で誠実で当たり前な世界があるものだろうか、
と思った。
これを読めばいつだってゼロに戻れると思った。
人間が自分を守るために勝手にこしらえた支離滅裂な思考から、
逃れられる世界がここにある。
言葉を通して、宇宙が垣間見える。
「わからない」が「わかる」。
それは安心だ。
ひとつの考えに縛られるという状況が一番苦しい。
抜け出せない。自由にならない。
魂が泣いているのだ。私を自由にしてくれと。
そして往々にしてそんな自分に自分が気がついていない。
それが一番の悲劇だ。
残りの人生の時間をなるべく宇宙に開いていたい。
そのことで魂が磨かれていけばいいと思った。
ほとんどその事をするために生きてると言っても過言ではない。
世の中には色々な才能を持った人が居て、
それを全うするために生きているのだけど、
私の場合、池田晶子さんが言葉で綴る世界に激しく共鳴し、
その事で自分自身を知るのだった。
他者を知ることは自分を知ること。
どうやって知るのかというと、それは言葉という方法がやはり大きい。
私は私がどういうことに共鳴するのかを誰かに知ってもらいたいし、
共鳴はさらなる共鳴を産み、そこに人との繋がりができることで、
明日を生きて行く活力になる事も知っている。
なるべく色々な人と共鳴したい、
というのが私のスタンスであることを改めて気がつかされる。

印象的な一文を抜粋。


人が、自身の宿命を認識し、それに沿い、その実現のために為される努力、
これが幸福だ。
悪人であるとうい宿命もあるのではないか、そんなのは屁理屈だ。
悪人は自身の悪を認識していない、つまり自身を認識していないのだから、
したがって、それは彼の宿命ではない。
たんに努力をしていないだけである。
人はいかにして自身の宿命を認識すべきか
宿命は魂にあるのだから、「己が魂」を、まずよく認識することである。




2010年11月27日土曜日

人生の楽しみ方

インド古典ライブが終わり、
楽しむべきものが未来にないなーなんて思っていたら、
友達から来年のタイコクラブ行かない?とお誘いの電話。
こういうタイミングってほとんど神様が仕組んでるに違いないと思う。
神様ってすごい。
わたしたちを見えない糸で操っていて、
宇宙からの引きの目でみたらすごく綺麗な模様だったりするのかも。
ここに悲しみや苦しみがあることで、
どこかの光が引き立てられていたりして、
なんて事を考えると、無理をしなくなる。
私は無理をしない。
何者かに操られるままだ。
そこにある模様が美しいと思えばそれに従うのみ。
人生は美意識で出来ている。
そう決めた。

今日はグラタンを作った。
お母さんにもお兄ちゃんにも好評。
明日はお母さんとハリーポッターを観に行く予定。

DSでマリオカートをしていたら、
お兄ちゃんも興味津々で懐かしがって楽しそうに遊んでいた。
それを横からみてる感じがすごくよかった。
「もう30前なのにこんなことしていいんだろうか」
なんて言ってたけど、「PS3買おうかな」なんて言ってて、
なんか「しめしめ」と思った。

兄弟で仲良くゲームで遊んでたあの頃を思い出して、
なんだか泣きそうになった。
私たちはもう大人で、別々の他の事に興味があって、
それぞれに世界を構築していて、
もう共通で楽しめる事なんて持てないと思っていたけど、
昔はちゃんとあったんだな、ってそう思ったのだ。

本屋さんで森三中の大島の旦那さん鈴木おさむさんの、
『ブスの瞳に恋してる』の一番新しいやつを立ち読み。
全編どれだけ二人が愛し合っているかを赤裸々に綴り、
ほとんど嫁(大島)へのラブレターなんだけど、
やっぱりこれも泣いてしまった。
お互いが全力で愛し合っているのが分かって、
この二人の出会いもほとんど奇跡に近いなと思ったのだ。
私はこの人たちみたいに誰かを全力で
素っ裸の泥まみれになって愛したりするのだろうか?
多分相手の気持ちばかりを読み取る事に専念して、
私の本当の気持ちにフタをする。
それで何か物事が捩じれていく。
私はまだそんな方法の愛し方しかできない気がする。
人には色々な段階で色々な愛情表現が在るのだ。

よしもとばななのツイッターのbotが素晴らしかったので、
こちらにも乗せておこう。
ああ、染みるなぁ。

人生はうんとはじめのころに至福のほとんどを知るものなの。
人によって違うけれど、至福の鋳型はそのときに作られる。
そしてその後はほとんどずっとそれを取りもどすための戦いなの。
ーサウスポイント

さて、友達に薦められた本と、
池田晶子氏の『残酷人生論』でも読むとしよう。

2010年11月26日金曜日

座敷とインド

にゃーん

U-zhaan×ヨシダダイキチのインド古典音楽ライブ、
無事盛況のうちに終わりましたー!
(わーパチパチ)

場所も内容もなにもかもが最高でした!
昨日のお客さんはほんとにおいしかったと思います。
友達に思う存分自慢してください。
また何か企画が持ち上がった際にはよろしくお願いします。

さすがやってる人たちが一流だけあって、
インド古典音楽のイメージが覆されたかと思います。
楽器は2つだけなのに盛り上がった時の音の密度が半端無いです。
ずーっと精密な音の洪水の中を漂う感じでとてつもなく気持ちがよいのです。
眠くなったり、覚醒したりを繰り返す1時間30分でした。
また来年やってきてもらいたいものです。
是非おまちしてます!


本日のサンセット

2010年11月25日木曜日

にぎゃー



ほぼ日でやってた矢野顕子×星野源みのがしたー!
ショックだー。
その代わり何やってたかっていうと、
都築響一のブログに夢中でした。
わたしこの人の感覚というかアンテナすごい好きだ。
わたしが男子ならこんな男子になりたい。
みんなが見てないものを見て、拾って、なでなでして、
すごいでしょ?かっこいいでしょ?って
一番最初に言える人。

さて明日はいよいよインド古典音楽です。
シタールとタブラのすごいやつ聴けます。
木曜日の平日だけど突然ふらっとやってきてね〜。
今日は電気グルーヴのこの曲で終わりたいと思います。



みんなちょっとずつかわいくないのがいいね。

2010年11月23日火曜日

kid gets a wii

MOTHER3クリアしました。
いやーまさかの号泣。
あんな感動的なエンディングだなんてずるいよ。
てかストーリー深いわ〜。糸井重里すごいわ〜。
小説にも映画にも味わえない体験がゲームにはあると思う。
二ノ国が終わったら、MOTHER1、2もやりたいと思う。
クリアしたいゲームがたくさんあるなぁ。

子どもがゲーム機プレゼントされて狂喜乱舞する姿ってすごくいい。
任天堂ってホントにすごい。
世界中の子どもを幸せにしている。
タムくんの漫画にもゲームの話が出てきてしみじみした。

2010年11月22日月曜日

everybody everything

よしもとばななが愛する世界の傾向として、
奈良美智であったり、タムくんであったり、
そこには通ずるものがある。
かわいい女の子。
どうしようもなくかわいい。
かわいいとはこういう事だというかわいさ。
そして、とてつもなく残酷な面も併せ持つ。
かわいいと残酷は表裏一体で、
常に隣り合わせにあるものなのかもしれない。

今日は朝からマグロの刺身を食べた。
めちゃくちゃおいしかった。
お父さんの網にひっかかったマグロだ。
マグロがかかるのは珍しい。
近くのマグロの養殖場から逃げてきたマグロらしい。
マグロLOVE。

池田晶子さんの『残酷人生論』という本が本屋で目にとまる。
読みたい。買おう。と思ったけれど、
その時財布を持っていなかったので明日買う。
図書館に頼んでいた『言葉が足りないとサルになる』も届いたと連絡があった。
読みたい本がたくさんある。

DSi LLが届く。まだ開けてない。
楽しみすぎる。わくわく。
手始めにマリオカートを買って遊んでみようと思う。
あ、MOTHER3まだクリアしてない。

もうすぐインド古典音楽のライブだ。
とんでもなく楽しみである。
みんなもとんでもなく楽しみにして来ればいい。
どうでもいいけど、理解って愛らしいよ。