感情の解放、浄化。
そういえば、ASA-CHANGが11月24日に桑名で、
タブラボンゴナイトをするらしくて近くで行ける人は、
音楽の世界を耕されに行ってみてください。世界が変わります。
もう一度伊勢でやって欲しい気もするけど人を集める自信がない。
音楽について真剣に考えようという気の人はほとんどいない。
(少なくとも私の周りには。)
難しく考える事を嫌っているし、
ほとんどの人が音楽は楽しむものだと思っている。
愛好家が表現者の真似をしてのさばっている。
しかし、人は表現をしたいのだ。
自分の胸のうちにある感情を自分なりに伝えて、共感され、評価を得たいのだ。
ただ自分が気持ちがよくなるために表現をする。
そういう世界で暮らす人たちは確かに存在する。
そして私もそういった類いの人たちと同じだったりする。
都築響一氏のブログが毎週水曜日に更新されるのだけど、
毎回とてもおもしろい。
アウトサイダーについての文章がぐっときた。
“他人の作ったものに満足できないから自分で作る、
というアートの根本的な衝動/動機を思えば、
アウトサイダーであることこそがアートの本質でもある。”
秩序であるとか、何が正しくて、何が悪いなんてものは、
本当はないような気がしてくる。
すべての人間はそこに存在して、
なにかしらのメッセージを放っている。
その膨大な人間の在り方を認めつつ、
何かを見つけて世界に発信すべきなのだ。
他人の助けを求める声に自然とよってしまう。
そして、そこにある穴を埋める事を無意識にしてしまう。
そんな風にして、私は産まれてきてこのかたずっと、
人の穴を埋めることをしていたように思う。
親にはじまり、友達、恋人。
想いが強くなると同化してしまい、距離感が掴めなくなり、
他人を憎み、距離を置く事もあった。
ここに書く文章たちは私の穴を埋めるために自分でこしらえたものだ。
ある程度満足した私は、再び、どこかの、誰かの穴を埋めようとする。
そうやって私の世界はいつだって回っていたし、
これからもそんな風に過ぎて行くんだろう、
という自分自身の性質のことを今日はっきりと気がつく。
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