2010年11月6日土曜日

辞世の句

今日は朝から10年以上前に、
池袋で母(70代)と息子(40代)が餓死した事件で、
その母が死ぬ直前まで書いてた日記を読んだり、
死刑囚の辞世の句を読んだりして胸に迫るものがあり、
喫茶店でひとり涙ぐんでいました。
どちらも都築響一氏の『夜露死苦現代詩集』に載っている。
本当に素晴らしい本だと思うけど、
きっとほとんどの人はこんなの読みたくないだろうし、
出来ればそんな世界の事とは無縁で生きていたいと考えるだろう。
ましてやお金を出してわざわざ買おうと思う人なんてほとんど居ないだろう。
そんな事は自分の人生には関係のない事だし、
これといって問題の無い(と思い込んでいる)
人生にわざわざ不幸な匂いを漂わせたくない。
出来る限り陽気な音楽と美しいもの囲まれて幻想の世界を生きたいと考えている。
しかし実際に彼らが住んでいる世界は、
嘘と裏切りと浅はかな思い込みと他人への配慮が欠けた傲慢な世界。
些細な事に苛立ち、心の奥底のドロドロとしたものにフタをして、
そこにあるものでさえも、まるでなにも無いかのようにしてしまう、
狭い狭い幻の世界。
そんな風に世間が“ない”ものとして黙殺するものを、
きちんと拾ってじっと眺める作業をしているのが、
都築響一という人だと思う。

近頃私は人間のいやらしさや汚さみたいなものをひしひしと感じてしまっている。
正直なところ自分をよく見せようとする必死さにうんざりしている。
特に男。
知識の量を女にひけらかす奴。
(結局、量だけで全くモノになっていない。)
偉そうに先輩風を吹かせる奴。
自分は常に上の立場に居なければ気が済まない奴。
他人を思い通りにしようとする奴。
女を数人まわりに置いて値踏みしている奴。
一人きりになる勇気もない奴。

しかし男というのは自分の良いところを女にアピールして、
よりいい女と出会い自分の精子を卵巣に着床させ種を残すという目的のために、
ほとんど生きているのであって、だとしたらそこに必死になるのは、
ある程度はしょうがない事なのかもしれない。

しかし、うざい。
そこをうざいと感じたら女として駄目かもしれないけれど、
現状に甘んじてヘラヘラ生きているような、
ぐずぐずの男達にさらに向上してもらうためにも、
そういう事実は誰かが言わなくてはいけないことのような気もする。

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