2010年11月10日水曜日

言葉が足りないとサルになる

大学時代、友人が入っていたゼミの教授が本を出した。
『言葉が足りないとサルになる』という本。
とても興味深いのでいずれ読むつもり。

言葉というのは不思議なもので、
私たち人間に無くてはならないものである。
言葉を話すのは人間だけだ。
猫を見て「かわいいなぁ」と言葉に出したり、
美味しいものを食べて「おいしいなぁ」と言ったりするのが人間。
ほとんど動物的な感覚で誰かと話をして、
快、不快を嗅ぎ分ける。
そこら中に散らばっている文章だってそうだ。
世の中には不快な言葉が蔓延している。
つまり不快な考え方、不快な感じ方、不快な人という事になるのだけど、
それは私の感覚なので、間違っているという訳ではない。
それを他者は快いとし、受け入れられる場合もある。
「えー!ちょっとちょっと!そこの変な感じ無視しちゃうの!?それでいいの!?」
なんて思ったりもするのだけど、本人はそれでいいのである。
私の感覚を促したとて「?」と思う部分が多々あるのだろうから。
そこはよっぽどの事がない限りそっとしておくのが一番である。
つまり、私は誰かにとって不快な存在である可能性がある。
誰かの事を嫌だなーと思っていたら、
きっとその数と同じぐらいの人が私を嫌だと思っている。
私のずるさや汚さ弱さちぐはぐさを日々垂れ流しているからだ。
こんなふうに。
しかし私はこの作業を辞めないだろう。
なぜか?と聞かれたら多分こう答える。
「生きているからです。」
言葉を出し続ける事は人として生きているという事の最大の証明であり遊びなのだ。
一瞬のうちに通り過ぎていく世界に敬意を払い続けていこう。

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