2010年11月27日土曜日

人生の楽しみ方

インド古典ライブが終わり、
楽しむべきものが未来にないなーなんて思っていたら、
友達から来年のタイコクラブ行かない?とお誘いの電話。
こういうタイミングってほとんど神様が仕組んでるに違いないと思う。
神様ってすごい。
わたしたちを見えない糸で操っていて、
宇宙からの引きの目でみたらすごく綺麗な模様だったりするのかも。
ここに悲しみや苦しみがあることで、
どこかの光が引き立てられていたりして、
なんて事を考えると、無理をしなくなる。
私は無理をしない。
何者かに操られるままだ。
そこにある模様が美しいと思えばそれに従うのみ。
人生は美意識で出来ている。
そう決めた。

今日はグラタンを作った。
お母さんにもお兄ちゃんにも好評。
明日はお母さんとハリーポッターを観に行く予定。

DSでマリオカートをしていたら、
お兄ちゃんも興味津々で懐かしがって楽しそうに遊んでいた。
それを横からみてる感じがすごくよかった。
「もう30前なのにこんなことしていいんだろうか」
なんて言ってたけど、「PS3買おうかな」なんて言ってて、
なんか「しめしめ」と思った。

兄弟で仲良くゲームで遊んでたあの頃を思い出して、
なんだか泣きそうになった。
私たちはもう大人で、別々の他の事に興味があって、
それぞれに世界を構築していて、
もう共通で楽しめる事なんて持てないと思っていたけど、
昔はちゃんとあったんだな、ってそう思ったのだ。

本屋さんで森三中の大島の旦那さん鈴木おさむさんの、
『ブスの瞳に恋してる』の一番新しいやつを立ち読み。
全編どれだけ二人が愛し合っているかを赤裸々に綴り、
ほとんど嫁(大島)へのラブレターなんだけど、
やっぱりこれも泣いてしまった。
お互いが全力で愛し合っているのが分かって、
この二人の出会いもほとんど奇跡に近いなと思ったのだ。
私はこの人たちみたいに誰かを全力で
素っ裸の泥まみれになって愛したりするのだろうか?
多分相手の気持ちばかりを読み取る事に専念して、
私の本当の気持ちにフタをする。
それで何か物事が捩じれていく。
私はまだそんな方法の愛し方しかできない気がする。
人には色々な段階で色々な愛情表現が在るのだ。

よしもとばななのツイッターのbotが素晴らしかったので、
こちらにも乗せておこう。
ああ、染みるなぁ。

人生はうんとはじめのころに至福のほとんどを知るものなの。
人によって違うけれど、至福の鋳型はそのときに作られる。
そしてその後はほとんどずっとそれを取りもどすための戦いなの。
ーサウスポイント

さて、友達に薦められた本と、
池田晶子氏の『残酷人生論』でも読むとしよう。

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