2010年12月5日日曜日

多感なお年頃

友達から送られてきたトン子ちゃん
バイトをしている子育て情報誌の締め切りが近いので、
連日深夜12時近くまで職場にいる。
赤ちゃんの写真をたくさんみたり、小さい子どもを持つ主婦達が
ネット上で交流している掲示板を読んだりしているのだけど、
お母さんというのは、つくづく独特の世界に住んでいるな、と思う。
というか仕事とはいえ、
なぜ私は主婦が書き込む掲示板を読む機会が巡ってきているんだろう、
なんてことを考えるととても不思議な気持ちになる。

人生は宇宙の夢だって、あがた森魚や池田晶子やが言っていたけれど、
だとしたら夢がみる夢とは一体なんだろうか、と思う。
複雑すぎる。
ただでさえ人生が不可解なのに、夢のことまで真剣に考えられない。
そんなことをとうとうと考えながら、
今日も仕事を辞めたくなったのだった。

お金なんかいらないけど、
お金がないと生活できない。
欲しいものが買えない。
そもそもなんで欲しくなっちゃうんだろう。
なにもいらなくなればいいのに。
毎日妄想で遊んだらいいのに。
でもお金は時々愛の表明に役立つ。
好きな作品を買うことが出来る。
お金が好きな人のところに届く。
その循環はわりと解りやすくていい。
そりゃ貢ぐ人が出てくるわけだ。
ジャニーズがグッズやCDを出せば、
ファンは必ず買ってお金を出す。
お金を出してその人を得るという快感がそこにはあるのだ。
だとしたら愛されている人はお金が集まるってことなのか。
ゴッホの絵は何億円もする。
それはその絵にそれだけお金を集める力があるということで、
それだけの価値を多くの人が認めているということだ。
価値ってなんだろう。
価値って人それぞれ。
私はお金がたくさんあっても何もできないし、
身の程のちょうどのお金が循環していたらそれでいいのだけど、
お金のために未来に不安を抱くことが一番ばかばかしいけど、
やっぱり不安になるものだ。

とりあえず損とか得とかを考えずに何かを選び続けたい。
人もモノも。

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