ここのところたくさん言葉を出している。
しかもわりとネガティブなイメージの言葉。
そういうことをすると心配する人もいる。
元気で楽しい当たり障りのない言葉を出すのが当たり前で、
汚い言葉やみっともない言葉、弱気な言葉は出さないことが、
いいとされている、この世にはそんな暗黙のルールみたいなのがあって、
私はそんなのは嫌なので思ったことをそのままに出している。
それがいいのか悪いのかわからない。
ただ大人ではないかもしれない。
きっと大人であれば世の中の流れをみて、
世の中をもっとよくしたいと考えて、
いい言葉、美しい言葉を選んで出したりするのだろう。
私はそういうことは出来ない。
本当に思っていることしか言葉にできない。
死ぬまでそのスタンスで行くのか、
途中で変化があるのかはわからないけれど、
ずっとこの感じでやってきてる。
きっと私は信じていることがある。
自分の中の自然を貫き通すことの中にしか、
本当は見えてこないのだと。
押さえ込んでしまったり、ねじ曲げてしまったり、
そういうことをすることで、答えがどんどん遠くなってしまい、
またたくさんの時間をかけて見つけ出さなくてはいけない。
自分自身に正直になることで見えてくることがある。
時折、それが大柄な態度になってしまったり、
わがままであると捉えられたりして、
なかなか加減が難しいのだけど、
ただ「気持ち悪い」ことには敏感で居た方がいい。
そんなことを思う。
こんな風にたくさんの言葉が出てくるときは、
大抵揺らいでいるときなのだけど、
この「揺れ」はそれなりに楽しいのである。
幸せは「揺れ」がない。
ふわっと安心の中に包まれているかんじ。
だから言葉はそんなに出てこない。
今後、安心の中にいるときの言葉をうまく出せるといいけれど、
今のところ不安の中にいるときの方が、
言葉がぽんぽん出てきて爽快なのだ。
人生は「不安」と「安心」を行ったり来たりする。
それは「地獄」と「天国」ということなのかもしれない。
私は多分どっちの世界も好きだし、楽しいのだ。
だから自由に行き来する。
どちらかに飽きたら、またどちらかに行って、
そんな風に人生にメリハリをつけて遊んでいるのだ。
きっと、ほとんどの人もそうなのではないだろうか。
自殺や鬱病も、遊びが本気になってしまうのだ。
力を入れすぎたり、真面目すぎたり、
色んな要因があるかもしれないけれど、
ふわふわと漂っているぐらいがちょうどいい。
もう少し大人になって、もっと自由になれたらいいなぁ。
0 件のコメント:
コメントを投稿