2010年12月16日木曜日

最近のこと

ここのところたくさん言葉を出している。
しかもわりとネガティブなイメージの言葉。
そういうことをすると心配する人もいる。
元気で楽しい当たり障りのない言葉を出すのが当たり前で、
汚い言葉やみっともない言葉、弱気な言葉は出さないことが、
いいとされている、この世にはそんな暗黙のルールみたいなのがあって、
私はそんなのは嫌なので思ったことをそのままに出している。
それがいいのか悪いのかわからない。
ただ大人ではないかもしれない。
きっと大人であれば世の中の流れをみて、
世の中をもっとよくしたいと考えて、
いい言葉、美しい言葉を選んで出したりするのだろう。
私はそういうことは出来ない。
本当に思っていることしか言葉にできない。
死ぬまでそのスタンスで行くのか、
途中で変化があるのかはわからないけれど、
ずっとこの感じでやってきてる。

きっと私は信じていることがある。
自分の中の自然を貫き通すことの中にしか、
本当は見えてこないのだと。
押さえ込んでしまったり、ねじ曲げてしまったり、
そういうことをすることで、答えがどんどん遠くなってしまい、
またたくさんの時間をかけて見つけ出さなくてはいけない。
自分自身に正直になることで見えてくることがある。
時折、それが大柄な態度になってしまったり、
わがままであると捉えられたりして、
なかなか加減が難しいのだけど、
ただ「気持ち悪い」ことには敏感で居た方がいい。
そんなことを思う。

こんな風にたくさんの言葉が出てくるときは、
大抵揺らいでいるときなのだけど、
この「揺れ」はそれなりに楽しいのである。
幸せは「揺れ」がない。
ふわっと安心の中に包まれているかんじ。
だから言葉はそんなに出てこない。
今後、安心の中にいるときの言葉をうまく出せるといいけれど、
今のところ不安の中にいるときの方が、
言葉がぽんぽん出てきて爽快なのだ。
人生は「不安」と「安心」を行ったり来たりする。
それは「地獄」と「天国」ということなのかもしれない。
私は多分どっちの世界も好きだし、楽しいのだ。
だから自由に行き来する。
どちらかに飽きたら、またどちらかに行って、
そんな風に人生にメリハリをつけて遊んでいるのだ。
きっと、ほとんどの人もそうなのではないだろうか。
自殺や鬱病も、遊びが本気になってしまうのだ。
力を入れすぎたり、真面目すぎたり、
色んな要因があるかもしれないけれど、
ふわふわと漂っているぐらいがちょうどいい。

もう少し大人になって、もっと自由になれたらいいなぁ。

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