伊集院光「のはなしに」 |
今度は伊集院光のエッセイ「のはなしに」を貸してくれた。
相変わらず素晴らしいチョイスです。ありがとうございます。
途中まで読んだのだけど、かなり文章がうまかった。
さすが元落語家志望。
全部うまい小噺でまとめられていて読みやすい。
さくらももこのエッセイが一番と思っていたのだけど、
伊集院光かも。
ネタが豊富で脱帽。頭いんだろうな。
ラジオの伊集院、テレビの伊集院、エッセイの伊集院、
全部ばらばら違う顔で、どれが本当の伊集院とかなくて、
全部伊集院光なのであって、でもそういう風になるのは、
とても全うな気がする。
例えば私がブログのテンションを人と話しをするときに、
持っていけるかというと不可能だし、
そんなの気持ち悪いし、別に意識して使い分けているわけではなくて、
そんな風に人はその時その時の状況によって、
気分も表情もガラリと変わるのだ。
「それでいいんだよ」と、伊集院光のエッセイを読んでいて、
言われている気がして、なんだかホッしたのだった。
いいタイミングでいい出会いだった。
夕方BSのアジアクロスロードを観る。
テレビで喋るU-zhaanさん登場。
おもしろかったー。
しかも今回もナレーションが星野源で、
星野源の声でU-zhaanさんが語られているのが、
なんとも不思議で、私にとってスペシャルなコラボレーションで、
それだけでもかなり楽しめた。
この仕事で星野源はU-zhaanさんを認識したので、
来年あたり何か一緒に仕事したらおもしろいと思う。
楽しみだな。
この世には見逃せない未来が待ち受けているから、
それを観るためにも毎日を地道に楽しく生きていこうと思った。
仲良くなりたい気持ちがみんなにある。
いつだってどこかで誰かが誰かと仲良くなりたがっている。
そういうかわいい気持ちがみんなにある。
そういうかわいい気持ちがみんなにある。
人はよっぽどのことがない限りなるべくその気持ちに答えようとする。
以前友人が「自分のことが好きな人が好き」
と言っていたけど、人間基本的にそういう風に出来ている。
「好き」と言われたら、
「好き」と返したい。
時々面倒なことになるけれど、
それでも出来る限り気持ちに答えたい。
そんな風に出来ていて、
世の中が動いているのもその気持ちが大きいのではないかと思う。
私も色々な人に好意を寄せてきたし、寄せられてきたけれど、
濃くなったり薄くなったりして、
好意が色んな形に変化して通り過ぎていく。
ずっと同じテンションで同じ色で思いを寄せ続けている人はいない。
ブームのような感じで、特定の人にハマることがある。
それが恋だと思う。
恋は一過性のものだ。
そして一方的に自分の中で新しい物語が産まれる。
「この人しかいない」と思う。
物語が通用するうちはいいけれど、
そのうちどうも通用しなくなる。
「あれ?」となって、そのうちイライラしだす。
そうすると相手を嫌いになる。
嫌いにならないまでも「やっぱり違った」となる。
そうなると恋は終わる。
しばらくしてまた別の人と出会う。
ふりだしに戻る。
そういう出会いを繰り返して、自分という人間を知る。
自分という人間がどんな欲望を抱いているのかが、
明るみに出る。
ちょっとずつ大人になる。
なんでもいい。
ヒトでも、モノでも、音楽でも、小説でも、
ハマったり、のめり込んだりして、
盲目的になる経験を繰り返すことの中にしか、
自分が自分を理解するチャンスはないように思う。
そういう人生のチャンスが来た相手をどうして無碍にできよう。
暖かく迎え入れることしか出来ないのではないだろうか。
たとえ傷つけてしまうことになってしまうと解っていても。
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