2010年12月6日月曜日

ブータンの知恵袋

ツイッターを眺めていると糸井重里さんのつぶやきが目に止まる。
『足るを知ること』という内容。
そしてこのリンクが貼ってあった。
ホントにこの記事が最高で。
ブータンに住んでる日本人のブログなんだけど、
私が2日前にお金について考えたことのひとつの収まりどころが
ここにあるように思う。

ぐんぐんと燃えたぎるように湧いてくる欲望は、
若さゆえの過剰なエネルギーの放出でもあるのかもしれないけれど、
それを経験せずしてまともな大人になれるのかというと、
怪しい気がする。
一回大きく振れて、道を外しそうになるぐらいまで、
ギリギリのところまで行って、
でも戻ってくるという経験が必要なのだ。
そう考えると、田舎のヤンキーなんかはかなりの早熟で、
同い年くらいの人だと、今頃大きな子どもが2、3人ぐらいいて、
もはや身も心もおじさん・おばさんになっているのではないかと推測する。
ヤンキーに友達がいないから勝手な想像。

私の成長の遅さは一目瞭然で、
大学卒業するまでは特に荒れることなく過ごしたけれど、
(単に精神的にさぼっていたのだけども。面倒くさいことは後回しが悪いクセだ。。)
それ以降はほとんど嵐の中で暮らしていたようなものだ。
地に足がつかないし、ちょっとでも針で刺したら
すぐに割れてしまいそうな風船みたいになって空中を彷徨っていたのだけど、
やっと最近、手応えのようなものを掴み始めている。
『一個の魂としてここにいる』という自覚のようなものが、
芽生え始めてきた。
(いや、これはもうほんと遅いです。すみません。)

幸せについて考え続けることは大事だ。
そして暗闇の中にいても、光を求めようとすること。
そもそも暗闇というものはその状態がずっと続くと
居心地のよいところであるし理解すればさほど怖いものでもない。
むしろ人生のいい相棒として側にそっと寄り添っている。
でも命の本質はきっと光だ。
なんてことを言うとうさん臭い宗教ぽくなって嫌だけど、
きっと自分自身に正直になればなるほど、
光しか見えなくなるんだと思う。
そしてそれは他人から「これですよ」と与えられるものではなくて、
実際のプロセスを経てたった一人で掴みとっていくものなのだ。
そしてそこには宇宙史上たったひとつのスートリーが産まれる。
コンビニのレジ打ちでも、農家のおじさんも、中小企業のサラリーマンも。
誰一人として全く同じ人生はない。
そのストーリーこそが宇宙がみせる夢なのだ。
けして人間が勝手に頭でこしらえて人間に与える夢なんかではない。
人は絶対に神様になることはできない。

うーん。ブータンに行きたくなってきた。

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