2010年12月15日水曜日

世界のあれこれ

昨日の自分のブログが見苦しくて仕方なく、
久々に消したい衝動にかられたけど、
そのままにしておくことにする。
色々と自分の人生に不満があるみたい。
はーみっともない。
が、しょうがない。それが今の自分の現状だ。

今日は「週刊現代」を病院の待合室で読んでいて、
まんまと週刊現代脳になってしまったのだけど、
この国がどんどん駄目になる様相が、
小気味いい程に伝わってきて変なテンションになってしまった。
老人の割合が増えすぎて、どう考えても、
若者は支えきれないし、どんどん沈んでいく。
「あーあ」とその様子を眺めているしかほかない。
どうして私たちは子どもを産めないのか、
と、いまだに産んでない28歳のひとりの女として考えるけれど、
どう考えても子育てにお金がかかりすぎるというのがある。
自分自身を養っていくのに手いっぱい(もしくは不可能)の
若者ばかりだし、社会は何かにつけお金を使えと脅迫してくるし、
実際欲しいものがたくさんあって、
そういう世の中に産まれて育って、
あー、なんだかなー、と思う。
色々なことがちぐはぐで、多種多様で、
私なんか都会でバリバリ働くなんて生き方はできないし、
まぁ、おいしいところばかり頂こうという魂胆が
こんな風になっているのではないかと思う。
自分の中の何かも、世の中のいろいろも、
色んなことが行き詰まっていて、倒れそうな気持ちになる。
というか、自分が行き詰まっているから、世の中の行き詰まっている部分ばかりに、
目がいくのであり、全ては自分自身の心に起因しているという、
みっともない事実を承知の上のこれらの発言だ。

ばたーん、と倒れる寸前の所で、
ぽかん、と抜け出てみる。
すると上からの視点が現れる。
「おや、まてよ。
私の人生ここいらで、この世界の流れがこういう風になっていて、
ふむ、だったらこんな風に進もうではないか。」
という流れがみえる。
まぁ、このまま行くしかない、という結論になる。
いつだって未来はみえないものだ。

そんな気持ちの中、旅行会社からブータンの資料が届く。
パンフレットを読んでいると、
「ブータン人は輪廻転生を信じており、徳を積めば
日本人に生まれ変われると信じているらしい」
まじで!?日本人になりたいの!?
そういう考えがほんの一部にしろあることに驚いた。
これからどんな風にこの国がなるのかは解らないけれど、
とにかく老人ばかりの国になることは間違いない。
「ああ長生きしてよかった」と思える老人が多い国になれるかどうか。
それとも「生きててもろくなことない」と考えるかどうか。
少なくとも子どもを作らない人が多いということは、
若者は「生きててもろくなことがない」と考えるからだと言えなくもない。
奇しくも子育て情報誌なんてものを創るアルバイトをしながら、
そんなことを考えている。

週刊現代で、江國香織が自分の本について語る記事があり、
その中で「子どもは学校に通わせたくない」という意見があり、
納得したのだけど、学校はたしかにろくでもない場所なのである。
小学生の頃などいかにズル休みが出来るかと考えていたものだ。
ろくでもない先生と、ろくでもない生徒。
まるで自分の感覚が間違っているかのように思い込まされる。
自分で自分をぐちゃぐちゃの不純物にに仕立てあげ、
ようやく、それでよし、と思えるなんて悲しすぎる。
他人なんかいらない、と思える強さを持つことが出来ればいいけど、
なかなかそうはいかない。
どうしても友達がほしい。
嘘でもいい、上辺だけでもいい、
ただの空気になれればそれでよかったのだ。
そんな時代が人生に必要なのか?と考えた時、
必要ではないかもしれないけれど、この世の不条理を考えた時に、
そういう体験は身をもって感じること出来る貴重な体験だった、
と言えるかもしれない。
そんなことを考えだすとますます子どもは産むべきではない、
という気持ちに傾いてしまうけれど、
子どもという生き物はそういう風にこの世にいる人間があれこれ考えて、
コントロールする生き物ではないような気もする。
きっととてもありがたくて、神秘に包まれた生き物なのだ。

あまり子どもを神聖視するのもいかがなものかと思うけれど、
そういう見方もある。
でも多分わたしは産むだろう。
そんな気がする。わからないけど。

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