2010年12月18日土曜日

はだかのりれきしょ

AV女優のインタビュー記事がどうにもおもしろい。
men's NOWで連載されている峰なゆかの『はだかのりれきしょ』というコーナー。

鈴木杏里という人がおもしろすぎる。

本を読むAV女優はなぜだかとても好感が持てる。
結婚もしない、子どもも産まない、性欲もない。
その代わり、本を読む、モノを買う、AVを仕事にする。
そこまで突き抜けた精神を持ちつつ、
あれだけの美貌を兼ね備えていたら、
文句のつけようもなく、すがすがしささえ感じる。

Aセクシャルというものがあるそうで。

Aセクシャル【asexual】
男性および女性のどちらをも性愛の対象としない人、
もしくは性欲そのものがない人、およびその性的指向

ゲイ、レズどころか、性欲自体がない人もいる。
その件に関して石原都知事はどう思うのか聞いてみたいところだけど、
そういう人間は今の時代いくらでもいる気がする。

恋愛至上主義がもてはやされる時代はすでに終りつつあるのかもしれない。
無くなることはけしてないだろうけど、
違う価値観、違う生き方が模索され始めている。
そしてそういう世界こそもっと広まっていくべきだと思う。
もちろんますます子どもは産まれないだろう。
産まれた子どもも、ゲイやレズや、
そもそも性欲がないなんて言い出す可能性もある。

それにしてもこの感覚は一体どこからやってくるのだろう。
どうしてこれほどまでに広まって共有されているのだろう。
私たちは消えていくべき民族なのだろうか?
そんな風に遺伝子のどこかに書き込まれているのだろうか?

ところで私はときどき自分のことを「ぼく」と言いたくなる。
「どうして私は女なのだろう」とまでは思わなくても、
女の子の扱いをされるのが苦手だったし、
常に中性的な立場でものごとを考えようとしている。
しかし女の子っぽいものはすごく好きだし、
逆に普通女の子は興味を示さないものが好きだったりする。
しかし女である。紛れもなく。
それに違和感はない。
が、男だったらどんな風に過ごしていただろうか、
と考えたりはする。

多分どんどん性別というものの境目が
曖昧になってきているように思う。

少し歳があがるとその感覚を感知することができない。
今、この世で起きているのは、
これ以上この民族を増やさないという滅びの呪いが蔓延している、
ということ。
その代わりに、イマジネーションの力がものすごく強い。
イマジネーションで世界はどんどん豊かになる。
それを感知する能力がない人間は、一生不幸のままだ。

人間という生き物の本質的な部分。
それが問い直されている時代とも言える。

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