2010年12月14日火曜日
その先へ
穴を掘って掘って掘りまくれば、
どこかに出られると信じていたのだ。
下界とリンクする瞬間があると思っていた。
たくさんの人たちがそうしているように。
しかしどうやら私という人間の謎は、
どんどんと深まる一方なのである。
近頃では、もう掘ることにも飽きて、
周囲と合わせて生きてみようなんて思い、
ほどほどのところでやろうとする。
しかしどうでもいい邪念のようなものが私を取り巻き、
わけのわからない、不純な場所に連れていく。
腐る。
しかし人はこの腐っている状態が常だと考えている。
常だし、当たり前。
それ以上はない。
しかし、私はそれ以上があるのではないかと考える。
それ以上の世界がちらちらと頭の中をよぎるので、
そこへ行こうとするしかない。
今年ももう終わるけれど、
ほんとうに色々な人たちが通り過ぎていったなぁ、と思う。
すべての人を、私はもう求めていないし、
もちろん求められてもいない。
ただ、ぽかん、と宙に浮いている。
ああ、楽と寂の融合。
私は人生というのは、ある日突然、
「これだ!」という出会いがあり、
劇的に人生が一変して、迷いもなくまっすぐにどこかに向かうものだと考えていた。
もちろん、そういう解りやすい人生を生きている人もいる。
そしてきちんと切磋琢磨し、なにやら“向上”という世界にいる人もいる。
しかし、どうやら私の人生はそうではない。
どこにも向かうべき方向らしきものは見当たらない。
ただ漫然と時が過ぎていく。
割り切れないし煮え切らない。
「単なる精神の怠惰である」と叱る紳士淑女もおろうが、
それは、その人の世界がそうなのであって、
私の世界はそうではない。
そういう世界もこの世には存在することを認めて頂きたい。
認められないのであれば、すぐに私を無視して頂きたい。
いなかったことにして忘れてください。
私は君の人生には必要のない世界を持った人間だった、
ただその事実があるだけなのだ。
私は考えたいように考えるために生きている。
誰も言葉にしたことがない世界を言葉にする。
しかし、この世の全ての書き物を読んだわけではないので、
私のようなグータラな筆まめはいくらでも存在したかもしれない。
古代ギリシャあたりに居てくれた嬉しいが。
豊かであるとは、
現代の安っぽい病にかからないということだ。
物欲、金欲、嫉妬、恨み、恋だとか愛だとかにかこつけたくだらない茶番、
そんなもに煩わされない時間が多ければ、多いほど豊かだ。
悟りだとかそんな陳腐なものもいらない。
人一倍、様々な煩悩を吸収して通り過ぎる20代。
それでいいのではないかと思う。
徹底的に深めていくことの中でしか、
私が本当に語りたい世界は浮かび上がらないだろう。
何をしていても虚しいのは、
心が何かを強烈に求めているサインだ。
求めているその先のものを自分自身の手で見つけられない限り、
虚しさからは永遠に逃れない。
だとしたら、探しまわるしかないのである。
たとえひとりぼっちになってしまおうとも、
危険な場所だとわかっていても、
その中に飛び込んでいくしかない。
人は自分に絶対に嘘をつけないようにできている。
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