母親は大の談志嫌い。
途中まで一緒に観ていたのだけど、
「顔を見るのも嫌だ、何を言ってるのか解らん、眠い」
と言って寝た。
そういう強烈な拒否反応さえ与えてしまうのが立川談志という人間なのだろう。
やはり「かっこいい」の一言に尽きる。
落語ファンから観たら全くのズブの素人なので、
ああだ、こうだと語る資格もないように思うのだけど、
それでもやはり色々と思うことはある。
「書く」ということは精神の運動であると、
福田和也氏が言っていた。
体は動かなくても、精神は常に運動している。
私たちはものを考え、思考が彷徨い、
終着点も目的地もなく、どこかに流れている。
それこそが、魂だとも言えないか、と思う。
立川談志という人は、精神の運動が力強く美しいのである。
体が柔らかいのが自慢だと言っていたが、
精神も柔らかい。
柔軟で大胆で、人間の原点を常に見つめ続けている。
落語と常に格闘し続け、
うんうんと唸り、悩み、苦しみ、転げ続けている。
それを全部ひけらかす。
嘘をつかない、隠さない。
体調が最悪の日に、最高の落語をして、
「悪くない」とつぶやき、元気を取り戻す。
そういう姿をみて、「ああ、人間ってなんて…」
と、思う。
言葉が続かない。が、何か救われるようなそんな気分。
時代は変わる。
お人好しが多くなり、本当に優しい人がいない時代。
立川談志は本当に優しい人の最後の人かもしれない。
なぜなら本当に優しい人でなければ、
みずから危険には飛び込まないからだ。
しかし、今の時代、人々は危険を避ける。
自分の中の不条理からうまく目をそらす方法がいくらでもあるからだ。
知恵が付いている。
テレビもパソコンも携帯電話も、
どんどん薄型軽量。早い安い簡単便利。
きっとそれは人間にも言えることなんだろう。
いい時代とか悪い時代とかではない、
ただそういう時代なのだ。
すごくシンプルで良質な人間を観た。
そのことは、自分がかかっていた現代の病が浮き彫りになるようだった。
色々なことに捕われているくだらない自分に気がつく。
精神の運動は欠かさずに行うべきだと思った。
着地点は考えない。
流れ出るままに流してみる。
裏もないし、表もない。
古いも新しいもない。
ただ瑞々しさがどの時代にもあるのであって、
それさえ感知する能力があれば、
どんな時代で暮らしていても、
どこへでも行って、楽しむことができるのだろう。きっと。
それにしても、談志の娘がいちいちよかったな。
いやーあの人はすごいよ。
0 件のコメント:
コメントを投稿