2011年1月3日月曜日

ぶをわきまえること

赤福ぜんざい
人っていうのはもともと持って産まれた資質が強いのであり、
そうそう根本的な何かが変わるというのはないのだろう、
というようなことをここのところ考えていた。
「ぶをわきまえる、ということ」
自分は自分の分というものを理解できているだろうか、
とふと心配になったのだった。

最近世界の成り立ちを自分なりにうまく掴まえたな、
と思える瞬間がわりとある。
世界がじわっと広がる感じ。
そういう瞬間は地味に、そして単純に嬉しいものだ。

結局私の生き方というのは、
自分の身を立てるというよりも、
隙間隙間に赴いて、その場をうまく循環させることができたとき、
充実感というか、やりがいのようなものを感じる。
もしかしたら何かから逃げているんじゃないかと思う事もあったけど、
近頃はもうそんなことも考えなくなった。
きっと生涯そんな風にして誰かのどこかの隙間を埋めようとするのだろう。
仕事も恋愛も結婚もきっとそんな風な世界を求めている。
それは考え方というよりも思想というよりも、
もともとの性質なんだと思う。
とにかく自分なりに明るい方へ地道に手を伸ばしていくしかない。

一人の時間は私にとって確実に必要だ。
一人の時間になると世界は単純になる。
まかり通らないことも、まかり通る。
世の中のあれこれを考えたりイマジネーションを膨らませることは
単純に楽しい。

体や脳はどうしようもなく疲れているのに、
とても楽観的な気分だ。
これはどうしたことだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿