2011年1月11日火曜日

マジックアワー

AM6:32
日の出前が美しい、1月の早朝。
はっ、とする空のグラデーション。
毎日地球上でこんな光景が繰り広げられているなんて、
宇宙ってやつはほんとに太っ腹だ。

ここのところ考えていたこと。
「他人の底」
「寛容の心」
「否定する事と感謝する事の間にある葛藤のようなもの」
「近未来の想像」
「地元の文化的向上における思考錯誤」
「それぞれが背負っている人生」
「生活に飲まれていく男達」
「言い訳ばかりする男達」
「つまり情けない男達」
「実力の不足」
「憂い、怒ることも忘れた若者」
「私をコントロールしようとする他者の意思に対する嫌悪感」
などなど。

色々な感覚が私の中に産まれて通り過ぎていった。
そいつをいちいち掴まえて出来る限り言葉で出してやりたいのだけど、
まだ形にならない、もやっとした塊のようなものなので、
掴まえることも出来ない。
「そのまま日の目も知らずに死んでいくのかしら」
と思うとたまらない気持ちにもなるが、
きっと彼らはまた私の中、もしくは他の誰かの中にやってきて、
何かを感じさせるのだろう。
その時は、きちんと掴まえて、抱きしめてやろうと思う。
世界は何度でも現れて何度でも死んでゆくのだ。
私の肉体がいずれ滅びようと。

石橋英子の新しいアルバムを聴く。
インタヴューでも答えていたように、
「自分の中にある世界を大事する気持ちが大事」
というのがとても伝わってくる作品。
他人の中にはない世界を、自分で創りだすこと。
丁寧に、クオリティにこだわって創り込んでいくことの、
そこにある精神性に私たちは感動して、心を打たれるのだ。
その事を一度味わうと、他人を頼らなくなるし、
他人に対しても、そんなに雑な対応はしなくなる。
日本人が「ものづくり」に特化しているのは、
きっと何かを追求していくことの精神性の美しさ、
そして単純に楽しさを多くの人々が共有しているからなのではないか
と思った。

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