2011年1月7日金曜日

断捨離と寛容

「断捨離」という言葉が流行っているようで。
身の回りにあるヒト・モノ・コトで自分に必要なものと
そうでないものを判断して人生の新陳代謝を促すというもの、らしい。

「寛容」という言葉も気になっている。
私はわりと寛容な方だと思っていたのだけど、
そうではない瞬間が多々ある。
自分の心の拒絶反応が出て、全面的に嫌になるのだ。
アレルギーかのように側に寄れない、
声を聞いただけで虫酸が走る、等、
人間と人間同士はなかなか難しい。

この宇宙という仕組みがどうなっているか知らないけど、
人と人は出会う。
何かを思ったり、何かを感じたりする。
私たちはずっと手を伸ばしていて、
どこかに繋がる。

言葉は所詮言葉だな、と思う.
ぐっと一点を凝視し続けると他が見えなくなる。
必死になって探していると見つからないのに、
ふっ、と力を抜くとちょっと浮いて、
また違う世界が見えて、探していたものも簡単に見つけることができる。
何事もリラックスした気持ちというのは大事なのだと思う。

とても客観的に見える。
ああ、真っ最中の時、一方的に思ってる時って、
こういう風になっちゃうんだな、と。
本人は見えているように思っていているのだけど、
全然相手のことを見ていない。
完全にその人の中で作り上げた人間だ。
でも、そんな風に、その人の中で作り上げた私、
が色んな人の中に居て、そうやって、
私はこの世界に存在しているんだと思った。
全員がそうなんだ。
つまり、私が思う私というのも、
私が勝手に作り出しているということ。

だとしたらそこにあるのはなんだろう。
単なるエネルギー。発光するそれ。
何かを妄想し続ける生命体。

私が死ぬまで妄想し続けたい世界はどんなだろう。
他人の妄想のいいところをかいつまんで、
私なりに加工、編集して、世界をつくろう。
その世界の住人になろう。
そのことだけに集中しよう。

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