2011年1月23日日曜日

ロング・グッバイ

浅川マキの本と浅川マキのDVDを観て、
浅川dayとなった日曜日。

ああ、かっこいいなぁ。

と、溜め息。

もはや松田優作や、マイケル・ジャクソンや、美空ひばり、
エルビス・プレスリー、ジョン・レノン等、
今は亡き数々のスターの一人だ。
そういう類いの人間は死んでやっとその人が完結する、
というのがあると思った。
作品として人類の歴史に刻まれる。
昨年の1月17日に亡くなった浅川マキ。
私は亡くなったときにこの人の存在を知った。
それから1年の間に何度かこの人の気配をどこかで感じて、
ちょうどまた1年経ってから、
きちんと向き合えるタイミングがやっと巡って来た。
水が流れるように私の番がやってきたのだ。
いずれ浅川マキのところを去るときが来るだろう。
そんな風にたくさんの人が浅川マキを通過するのだろう。
私もきっと誰かの通過地点にすぎないのだとおもう。
そう全ての人間は通り過ぎていくものなのだ。

浅川マキと向き合っていると、
浅川マキ越しに色んな人が頭の中に浮かんだ。
捨てきれない情念を大事にしようと思った。
逃げるんじゃなくて立ち向かっていく。
美しく創りあげる。
そういうことをするために生きているのかもしれないと思った。

それと浅川マキの日本語をすごく大事にする姿勢、
言葉のセンスも大好きだ。

ちなみに寺山修司の浅川マキに対するイメージはあまり好きではない。
が、男ってそういうものだと思った。
勝手に想像して理想の女を頭の中で創りあげる。
そして意識的にしろ、無意識にしろ押し付けてくる。
そういう出会いはもういらないなぁ、とおもう。

浅川マキが好きだったビリー・ホリディや、ベッシー・スミス。
女の人が歌うブルース好きだなぁ。
で、やっぱりビリー・ホリディのがタイプだな。









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