不気味に近づいてくる存在といえば、
花村萬月ともう一人、
浅川マキがいる。
で、おもうのだ。
「なんだ結局ブルースなのか」と。
憂鬱にも色んな次元の憂鬱があるのだとおもう。
「明日学校いきたくないなー」とか、
「友達できないなー」とか、
「同じことの繰り返しじゃねぇかよー」とか、
私が今思いつく限りの憂鬱はそんなとこだけど、
その憂鬱の感じ方、表し方は無尽蔵にあるのだと思う。
憂鬱のカタルシス。
憂鬱の世界を押さえ込んで、
例えば何かの宗教に走って世界を固定してしまうのではなくて、
哲学的な思考回路を持ってバサバサと無味乾燥に切っていって、
安易な答えを求めるでなくて、
それそのものを味わおうではないか、という気持ちがある。
実はそんなことをするのがちょっと嫌な気持ちもある。
そんな風に間を行ったり来たりしていたのだけど、
こちらの世界を許容量をぐっ、と広げると、
どちらの世界も同時に共存できるようになる。
多分、それが成長ということで、大人になるということなんだと思っている。
憂鬱を避けるのではく、憂鬱にフタをするんではなく、
憂鬱を味わうこと。
徹底された美意識のもとで。
それを実行したのが浅川マキという人、なのではないかと思う。
そんなわけで私にとって花村萬月と、浅川マキは、
2011年前半に研究すべき対象となった。
人生とは自分では思ってもみない方向に転がる瞬間が、
一番の醍醐味だと言える。
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