2011年1月21日金曜日

時代と呼吸するつもりはない

不気味に近づいてくる存在といえば、
花村萬月ともう一人、
浅川マキがいる。

で、おもうのだ。
「なんだ結局ブルースなのか」と。

憂鬱にも色んな次元の憂鬱があるのだとおもう。
「明日学校いきたくないなー」とか、
「友達できないなー」とか、
「同じことの繰り返しじゃねぇかよー」とか、
私が今思いつく限りの憂鬱はそんなとこだけど、
その憂鬱の感じ方、表し方は無尽蔵にあるのだと思う。

憂鬱のカタルシス。
憂鬱の世界を押さえ込んで、
例えば何かの宗教に走って世界を固定してしまうのではなくて、
哲学的な思考回路を持ってバサバサと無味乾燥に切っていって、
安易な答えを求めるでなくて、
それそのものを味わおうではないか、という気持ちがある。
実はそんなことをするのがちょっと嫌な気持ちもある。
そんな風に間を行ったり来たりしていたのだけど、
こちらの世界を許容量をぐっ、と広げると、
どちらの世界も同時に共存できるようになる。
多分、それが成長ということで、大人になるということなんだと思っている。

憂鬱を避けるのではく、憂鬱にフタをするんではなく、
憂鬱を味わうこと。
徹底された美意識のもとで。
それを実行したのが浅川マキという人、なのではないかと思う。
そんなわけで私にとって花村萬月と、浅川マキは、
2011年前半に研究すべき対象となった。

人生とは自分では思ってもみない方向に転がる瞬間が、
一番の醍醐味だと言える。





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