「信じるものは救われるのは、当然である。
なぜなら救われたくて信じるからである。
したがって、信じないものが救われないのも当然である。
そのような仕方で救われることを、拒否するからである。」
と、言うのは池田晶子さん。
人の精神てやつは複雑だなぁ、とほとほと思う。
ぐちゃぐちゃの迷路。
こういう角度の視線もあれば、斜め45度ぐらいからの角度の視線もあり、
3,2㎝上からの視線もあれば、真後ろからの視線もある。
ほんとにいろんな世界が錯綜している。
そんなものをいっぺんに感知して把握しようなんてことをしたら、
頭の中で液状化現象が起きて、
「ああ、今日もいい天気だなぁ」
なんてことしか浮かばなくなるから残念な話だ。
「なんであの人はあんなに物事を斜に捉えて考えるんだろう」
と、思ったのだけど、
それはブルースを愛しているからだということに気がつく。
今までブルースのことを深く考えたこともない人間が、
ブルースについて語るなんて、
ブルース愛好家にとっては虫酸が走るほどに
腹立たしいことかもしれないけれど、まぁご勘弁を。
ブルースって言うのは、日常の幸せなことや憂鬱を歌うこと、
なんだそうで、
「なるほど、常に憂鬱ありきなんだ」
ということに気がつく。
憂鬱がなければブルースは成立しない。
つまりどれほど幸せであっても常に憂鬱を探し求める。
「はぁ、人生なんてさ」と、いつも憂鬱。
ささいな幸せと憂鬱の間を常に行ったり来たりするのが、ブルース。
つまり、そういうスタイル、そういうジャンル、
そういうひとつの思想と言える。
常に煮え切らない態度なのが当たり前。
どれだけスコーンと抜けていく思想があっても、
「いや、これはなにか疑わしい」
と、斜に捉えるのがブルース。
ブルースはある種の人間の心の落ち着きどころ。
死ぬまで、日常のささいな幸せと、憂鬱の間を行ったり来たりして、
「はぁ」
というのがスタイル。
ブルースを信仰するとはそういうことだ。
お父さんのところで働いている水夫の一人で、
どうしようもない怠け者がいる。
奥さんの手前、かろうじて家は出るが、
仕事をさぼって数時間車の中にいる。
そしてなんの変哲もない顔をして家に帰る。
こないだ、その事が奥さんにバレてしまったらしいが、
お父さんは大笑いしている。
「働くのは辛いもんなぁ」と。
ブルースでも聴かせてあげたいけれど、
多分なにがいいのかよく解らないだろう。
音楽を作るのも才能が居るが、
聴く方にも、作り手の才能をキャッチする才能が必要なのだ。
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