2011年3月8日火曜日

ぐうぜんはひつぜん

富士山

東京から帰ってきた。
今回も色々と収穫のある上京だった。

土曜と日曜は河口湖の付近でバーベキューをして、
音楽を聴いてみんなでわいわいする。
6年ぶりの再会などもありのんびりすごす。
帰りに温泉に寄って、ほうとうを食べて、近くにあった
久保田一竹美術館に寄って感動する。
久保田一竹さんが創った尋常じゃない美しさの着物と、
収集されていたトンボ玉が展示しているのだけど、
建造物もいちいちこだわり抜かれていて、
私は今まであんなにすごい美術館に行った事はない。
騙されたと思ってみんな行ったほうがいい。
絶対に損はしない内容なので。
東京に戻ってくると友達と高円寺に行って
コーヒーを飲んだりご飯を食べたりする。
ものすごくたくさんのことを聴いたり喋ったりして、
なんだか不思議な気分だった。
きっと彼女と縁があるのだろうと思った。
実際色々なことを考えた。
頭が良くて、姿もかわいくて、いいエネルギーを持っている。
単純にそんな女の子が好きで、
そんな女の子が見てきた地獄とか、抱えているものについて、
私はこれからも考えていきたいと思った。

日曜日はなぜか雪が降り、行動しずらかったので、
地下の薄暗い喫茶店で4時間ぐらいずっと本を読んだ。
本を選ぶために本屋さんに行って二冊チョイスした。
バナナマン特集の「クイックジャパン」と
細野晴臣さんの「分福茶釜」。
その前に原節子特集の雑誌と、
能町みね子の「くすぶれ!モテない系」を立ち読みしたのだけど、
この女の格差はなんだろうか、と思った。
私は原節子や、浅川マキなどの昭和にいたどっしりしたタイプの女が
すごく好きなのだけど、近頃ではそんな女はどこを探してもいない。
「くすぶれ!モテない系」の内容、特に巻末にあった、
「モテキ」の作者、久保ミツロウ氏との対談には寒気がするほどだった。
「そこまで計算して、男に相手してほしいわけ!?」と。
モテるとか、モテないとか、この現代に蔓延している、
安っぽい感覚ってなんなんだろうか。
これが全部を台無しにしているような気さえする。
とにかく、つまらなくて、いじけていて、みっともない女たちがいる。
しかも、それがウケるということは、相当数いる。
そのことが、かなりやばいと思う。
容姿に対するコンプレックスと、妙な頭の良さにより、
誰も言葉にできなかった曖昧な世界を
見事に言語化にしているという点で、確かに評価すべき点もあるだろう。
女の開き直りはまじで怖い。というか、やっぱりみっともない。
でもそれをきっちりと自覚した上で、彼女はそれをし続けるだろう。
それが仕事だし、それによって何かを発散できる人々がいるのだから。
しかし、それにしてもこの不快感はなんなんだろうか。
この、感覚に全てが覆われてしまう前に、
カウンターで違う夢を打ち出さなければ、女に明るい未来はない気がする。
世の中の全ての創作は、世の中の流れに対抗するために創る。
そんな風にして世界はどんどん豊かになるのだろう。

と、話が脱線したけれど、
細野さんの本がほんとに良くて、これについてはまた後日書くつもり。

夜は新宿で友人達とご飯&飲み。
ラーメンの話で盛り上がりそのまま歌舞伎町の天下一品行って、
こってりラーメンを食べる。

今日は東京近代美術館で催されている「岡本太郎展」の初日に行った。
これがすばらしかった。
全体の流れも解りやすく紹介されていたし、作品も充実した内容だったと思う。
太陽の塔の制作の過程を紹介するコーナーでは、
私は思わず涙ぐんでしまった。
岡本太郎の人間としての大きさが、
目の前にぐいっと迫ってきて、心の底から感激したのだ。
自分がいかにちっぽけな世界を創って、
その中で安住しているか思い知らされた。
過去を知ることで、自分が今何をすべきかを知る。
それは、岡本太郎も、水木しげるも、細野晴臣も、同じだと思った。
自分なりの感覚で歴史の掘り下げていく作業がとても大切なのだ。
美術館の外にはガチャガチャもあって、
海洋堂の岡本太郎作品のフィギュアもゲットできる。

新幹線で帰って夕方には三重に戻ってきたのだけど、
私には私がやるべきことがある、とじんわりと確信した。
拙い言葉で具体的に言うと、
「女の解明」「芸術への愛」「正しい歴史認識」
のようなこと。
その辺を辛抱強く深めていくことで、
自分の中で世界がより明確に浮き彫りになるのではないかと。
そういった点で、河口湖で見た久保田一竹の着物や、
岡本太郎の世界は今の私にとって必要なエネルギーの形だったといえる。

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