世の中にはどうにもならない事が起こる。
戦争だって、テロだって、震災だって、原発事故だって、
全部どうにもならないことだ。
そして、いきなり多くの命がなくなる。
ごそっと根こそぎもってかれる。
そんなとき残された側の人間はうろたえる。
たくさん悲しんで、傷ついて、どうにもならなくなる。
戻ってこない命について考える。
またたくさんの命が犠牲になるかもしれない。
生活を豊かで便利してくれた電気が、
私たちを恐怖のどん底におとしめるものになっている。
この恐怖を私たちは学べるだろうか。
結局多くの命を犠牲にすることでしか私たちは学べないのだ。
残された人間が後世に伝えるべきこと。
私たちは今確実に地球に住む人類として何かを学び取らなくてはいけない。
地球をひとつの生命体だと想定する。
私たちの意識は地球のひとつの細胞。
私たちは傷を負った。
痛くて痛くてたまらない。
傷を治そうと細胞のひとつひとつが喚起して総動員で頑張っている。
精一杯治そうとしている。
傷はいずれ治癒されるだろう。
地球はそういう力を持っている。
ただ悪い細胞が創った原子力発電所の影響で、
傷が深くなって、痕が残るかもしれない。
残された人間は改めて地球を考える。
正しい方向に進む力をもつ。
深い傷を負って、それでも私たちは前に進もうとするだろう。
人間というのはそういう生き物だし、
地球とはそういう生命体だ。
すべての思想が、感情が、地球の尊い一部分だ。
多様性の海を泳ぎ、私たちはどこかへ向かう。
鳥のような羽と、魚のような鱗と、獣のような毛並みで
世界を柔軟に行き来しよう。
私たちはどこへでも行けるし、なんにでもなれる。
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