2011年3月25日金曜日
時をかける少女
DVD「時をかける少女」のアニメをみる。
なんどもリメイクされているけれど、
どんな話しなのか知らなかったので。
キャラクターデザインが貞本義行だったし、
終始映像も美しかったので楽しめた。
ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」を途中まで読む。
図書館でなんとなく目に留まったので借りてみた。
「ヘルマン・ヘッセって確か水木しげるが好きな詩人だよなー」
と思ったらゲーテだった。
ゲーテも今後読んでみたい。
「車輪の下」を読んでみるとヘッセがかなりタイプであることに気付く。
なんとなくカポーティが頭の中でちらつく。
カポーティのことは時々思い出す。
他人を無償になじりたい気分になると、
「カポーティみたいに友達なくして病むのかな。」とおもう。
カポーティもヘッセも田舎出身で、
どちらも田舎で抜きん出た才能を持つものの、
特有の悩みや、楽しみ方が正直に書かれていてとてもよい。
そして、ふたりとも都会にでるが、
結局田舎に帰りたいとおもう心の流れが好きだし、同感する。
「車輪の下」で今のところぐっときた部分抜粋。
少年の中には、ある粗暴なもの、乱暴なもの、野蛮なものがある。それがまず打ち砕かれねばならない。また少年の中にある危険な炎がまず消されねば、踏み消されねばならない。自然に造られたままの人間は、計ることのできない、見通しのきかない、不穏なものである。それは、未知の山から流れ落ちて来る奔流であり、道も秩序もない原始林である。原始林が切り透かされ、整理され、力でもって制御されねばならないように、学校も生まれたままの人間を打ち砕き負かし、力でもって制御しなければならない。学校の使命は、お上によって是とされた原則に従って、自然のままの人間を、社会の有用な一員とし、やがて兵営の周到な訓練によってりっぱに最後の仕上げをされるはずのいろいろな性質を呼びさますことである。
学校に随分めちゃくちゃにされたと思っていたけど、
そもそも学校は人間をめちゃくちゃにしてなんぼのところだった。
その辺は、今も昔も変わらないのだろう。
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