2011年3月30日水曜日
車輪の下
ヘルマン・ヘッセ「車輪の下」読了。
確か小学か中学の教科書に一部が載っていたのだけど、
「こんな話しだったけ?」
と思いながら読んでいた。
これは不朽の名作になるのもうなずける。
今も昔も変わらない普遍が美しい言葉できちんと書かれている。
3月24日、秋葉原無差別殺傷事件の犯人が死刑判決を受けた。
私は「車輪の下」を読んでいてそのことを思い出していた。
結局、犯人の母親の育て方が異常だったことが解っている。
一人の人間を育てるにあたって、母親の責任がものすごく大きい。
父親もそれなりに影響はあるけれど、
どんなにアホな父親でも、母親さえしっかりしてたら、
子はそれなりにまともな人間が育つのだとおもう。
つまり「女がんばれ!」ということだ。
深い人間性が必要なのは女だ。
世の中を的確に見据える眼差しや、
人間の本質を捉える技術が必要なのは女である。
学校が車輪の役割をしていて、
どんどん人間を開拓してく機能があるのだから、
また別の部分からアプローチして、開拓しなくてはいけない。
それが母親の役割なのだろう。
秋葉原の犯人は、母親が訳のわからない車輪となって、
犯人の人格を破壊し続けていたのだと思う。
それを見て見ぬ振りした父親も壊れていたのだと思うし、
そんな母親を産み出した家庭もどこかおかしかったのだろう。
そんな風に、負は負を呼び、連鎖を続ける。
最終的に「無差別殺人犯」を産み出す。
その危険性は日本中、至る所にある。
中途半端な人間が、中途半端な結婚をし、中途半端な子どもをつくる。
そして、家庭がめちゃくちゃになって離婚。
そのパターンが多すぎる気がする。
精一杯幸せに手を伸ばしていたはずなのに、
どうしてもうまくいかない。
そこにあるのは自己分析不足だし、
無知や、傲慢さ、そしてただただ垂れ流され続ける欲望だ。
もはや死ぬまで同じ人と結婚生活を続ける人々は、
人間としてかなり優秀のような気がする。
もちろん、その中には嘘や、裏切りや、軽蔑や、嫌悪もあるだろうが、
そういったものにフタをしてでも、
平然と家庭を営みを続けている人間はすごい。
結局そこにあるものは、女の我慢しかないのだろうけど。
気付かないのか、気付かないフリをしているのか、
家庭を顧みない男が何もかもを駄目にしているということか。
私の感覚からいくと、夫の浮気もDVだとおもう。
嫁の精神が不安定になる→フラストレーションたまる
→そのはけ口として子どもに暴力
女は自力で自分の機嫌をよくする装置を自分なりに開発していかないとまずい。
物事を冷静にながめたり、全体の事を考えたり、
そういう判断がいつだって必要なのだ。
あー、生きるって大変だなぁ。
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