2011年3月20日日曜日

キッチン


地震以降、台所に居る時間がぐっと増えた。
野菜に触って、包丁もっていると安心する。
テレビを見たり、インターネットをしているとそわそわする。
だから私は台所に行って料理をつくる。
料理は精神安定剤のようなものだ。
料理は車の運転と似ている。
手を動かして頭の中の半分は料理のことだけど、
もう半分は違う所に繋がっている。

食べるものをつくる事は、命を繋げていくことだ。
生きる意思を示していく。
それがエネルギーになる。
単純に野菜を切ったりすることがしたくなるのだ。
空中に漂っている雑念のようなものを振り払い、
純粋に「料理をつくる」という部分をすくいとって、
私は台所にたっている。
堂々と、力強く、私は台所にいる。
生きることが、料理をつくることや食べることに、
直結している。
そのことが地震以降、明確にみえてきて、
私はいてもたっても居られなくなり、台所に立つ。
おばあちゃんの存在を感じていることも、
要因となっている気がする。
「食べるもの」をつくり、
「おもうこと」をつくる。
そんな風に、自分がいいと思えることを、
ずっとつくり続けていれたら幸せなのに。

久しぶりによしもとばななの「キッチン」でも読もうかな。

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